企画 | ナノ

恋が始まる触れ合いを

「失礼いたします。書類をお持ちしました」

威圧感すら感じる重厚な扉の前でナマエは一度息をのみこんで、心を落ち着かせた後静かな声でそう中へと声を掛ける。ほんの少しの間を置いた後「入ってくれ」と漸く耳に馴染んできた柔らかな低い声に、心臓が一度大きく跳ねた。何度経験しても慣れないこの瞬間に、心の中で「しっかりしなきゃ」と呟いてナマエはほんの少しだけ目線を下げて重たい扉を押し開いた。
扉の奥は広めに作られた王専用の執務室だ。謁見様に作られている部屋とは別に完全に執務を行う為に作られた其処は、中央に王の大きな机が置かれていてその脇に書類を置く為の脇机が複数置かれている。机の上にも、脇机の上にもこれでもかと積まれた書類と、その間に挟まれて少し疲れた様に笑うシンドバッドの姿を見て、ナマエは仕事とはいえ更に彼が目を通すべき書類を増やしてしまった事に申し訳無くなって眉を下げた。

「シン様、追加の書類をお持ちしました・・・。ジャーファル様からの伝言で日暮れまでに目を通して頂きたいとのことでした。」
「そうか、なら直ぐに取りかかった方がいいな。貸してくれ」

すっと手を伸ばしたシンドバッドに書類を手渡す為に、ナマエも自然とその傍へと寄る。机の真正面まで足を進めると両手で書類の束を差し出した。

「お疲れの所、申し訳ありません。どうぞ、よろしくお願いします」
「あぁ、分かっている。それにしても、ナマエはどうしてそんな沈んだ顔をしているんだ?なにか悪い事でもあったのか?」

笑顔で頷いたシンドバッドが不思議そうに首を傾げるのを見て、ナマエは表情に出ていただろうかと慌てて手を頬に添える。むにむにと顔の筋肉をほぐす様に何度か頬を撫でた後、力ない笑みを浮かべて見せた。

「いえ、シン様が休みなく働いていらっしゃるのに、私は仕事を手伝うどころが届けることしかできなくて・・・、其れが申し訳なくて・・・」
「そんなことないさ!」

驚いた様に目を見開いたシンドバッドがブンブンと手を振る。にっこりと優しく微笑んだシンドバッドが、こちらの心を落ちつける様な深い響きを持った声で「ナマエには感謝している」としみじみと呟いた。

「君は俺が仕事しやすい様に、色々と工夫してくれているだろう。資料をつけてくれたり、説明を付けくわえてくれたり・・・。其れがあるから俺も書類を嫌にならずに理解できるんだ。これ以上ない程感謝しているよ」
「本当、ですか・・・?」
「あぁ、君だって本業の文官の仕事で忙しいだろうに・・・、俺の面倒まで見てくれてありがとう」

その労いに、かぁぁと身体が熱くなるほどの感動に似た悦びが湧きあがってナマエは自然と潤んだ瞳のままに何度も何度も首を振った。

「いいえ。いいえっ!シン様の為ならちっとも大変じゃありません!」

むしろ毎日が楽しくて以前よりも幸せそうだと、同僚にはからかわれたのだ。

「そうか。あぁ、そうだもしよければこれまでのお礼に今度食・・・」
「お礼だなんて!私こそ、こんな名誉な仕事を任せて頂いてジャーファル様やシン様には毎日感謝しています。これからもこのご恩に報いる為に精一杯頑張ります!」

最後に一礼して、ナマエは弾む気持ちのままシンドバッドに背を向ける。
自分の仕事がシンドバッドの役に立っていた、そして其れを認めてもらえた。それだけで天に昇るほど嬉しくてぎゅっと胸の前で両手を握りしめた。
今日も夜遅くまで頑張ろう、と何度も何度も心に決めて、ナマエはうきうきと執務室を後にした。



いつもならとっくに投げ出している仕事の数々を静かにこなしながら、シンドバッドは眉間に寄せた皺を伸ばす様に右手で目頭を押さえる。解す様に何度か揉んだ後、再び書類に目を落とせば、其処には書類に添えられた小さなメモ用紙が付けられていて、女性らしい綺麗な字で書類の要点が分かりやすく纏められていた。其れを書いた女性の事を思い出すと自然と口角が上がってしまう。
そろそろ来るか、と窓から見える太陽の位置から辺りをつけると、シンドバッドは一度大きく頬を叩いて優しい、綺麗な笑みを浮かべる練習をした。彼女、ナマエの事となると途端に余裕が無くなってしまうので、いつも情けない姿を晒しているが今日こそ王らしい、大人の対応をして、彼女の労をねぎらいそしてあわよくば、彼女と二人きりの約束を取り付けたかった。
ナマエが、こうして書類を届ける任を負っておよそ1カ月。書類を届けてくれる度に、軽い雑談は交わしているのでそろそろ次のステップに移ってもいい位の信頼関係は築けているはずだ。
頭の中で何度も流れを確認していると、控えめに扉を叩かれて入室を願う声が上がる。その澄んだ綺麗な声に心臓がドクドクと波打つのをなんとか落ちつけた後、「入ってくれ」と声をあげた。
扉の向こうから現れたナマエの姿に、やはり自然と口角が上がり頬が熱くなる様な気がする。其れを気合で押しとどめながら視線でナマエに言葉を促せば一束の書類を差し出してくる。

「シン様、追加の書類をお持ちしました・・・。ジャーファル様からの伝言で日暮れまでに目を通して頂きたいとのことでした。」
「そうか、なら直ぐに取りかかった方がいいな。貸してくれ」

これがジャーファルだったら、なんとかして逃げ出そうとする程の分厚い書類だったがナマエが手渡してくれるのであれば直ぐにでも目を通したくなるから不思議だ。そして何より、ナマエの口から放たれた『シン様』という呼び名に口元が緩んでしまってしょうがなかった。始めこそ、シンドバッド王と呼び掛けられていたが、あまりその呼ばれ方は好きではない、シン、と呼んで欲しいと頼めば、ナマエは暫く困ったように悩んだ後、「では、シン様とお呼びしても良いでしょうか?」と少しだけ恥ずかしそうに笑ってくれた。初めのうちは恥ずかしそうに、頬を染めて名前を呼ぶ様子に何度抱きしめてしまいたいと思ったかしれない。最近は慣れてきたのは、普通に名前を呼んでくれるものの、それもまた彼女の中で、自分と言う存在が当然の様になっている様な気がして胸が暖かくなった。

書類を受け取って、ナマエに微笑みかけるが彼女の表情はどこか浮かなくて、どこか沈んでいるように見える。どうしたのかと尋ねれば、彼女は慌てて頬に手を添えると恥ずかしそうに笑みを浮かべて眉を下げた。

「いえ、シン様が休みなく働いていらっしゃるのに、私は仕事を手伝うどころが届けることしかできなくて・・・、其れが申し訳なくて・・・」

ナマエの言葉に、シンドバッドは心底驚いて、思わず素のままに否定の声をあげてしまう。吃驚した様なナマエに、慌てて練習した優しい笑みを必死で浮かべるとゆっくりと語りかける様に言葉を紡いだ。


「ナマエには感謝している。・・・君は俺が仕事しやすい様に、色々と工夫してくれているだろう。資料をつけてくれたり、説明を付けくわえてくれたり・・・。其れがあるから俺も書類を嫌にならずに理解できるんだ。これ以上ない程感謝しているよ」
「本当、ですか・・・?」
「あぁ、君だって本業の文官の仕事で忙しいだろうに・・・、俺の面倒まで見てくれてありがとう」

資料に付けくわえられた彼女の文字が、気持ちが、自分のやる気を導いてくれる。最近の自分の仕事ぶりはジャーファルも驚いている様で、一度ドラコーンに大真面目な顔で「頭を打ったのか?」と心配された程だ。
だが、この頑張りも全てはナマエのおかげだ。彼女が毎日書類を届けてくれるから、この机に座って待っていようという気持ちになるし、仕上がった書類を渡した時の安心した様な笑顔の為に、なるべく早く仕事を終えたいと頑張れるのだ。

本心からの言葉を告げれば、ナマエは花が咲く様にその顔を笑みの形に彩ると、興奮した様子でふるふると首を振った。

「いいえ。いいえっ!シン様の為ならちっとも大変じゃありません!」

全身から悦びを溢れさすナマエはまるで小動物の様に可愛らしくて、ぎゅっと胸が締め付けられるように愛しさが湧きあがる。このまま机を飛び越えて彼女の身体を抱きしめて、思いを告げる事が出来ればどれだけいいかと考えた所で、シンドバッドは、慌てるな、と己を諫めた。
思いを告げるときは今ではない。其れは二人きりで食事にでも行ってもっと雰囲気を盛り上げてからだ。

「そうか。あぁ、そうだもしよければこれまでのお礼に今度食・・・」

「食事でも行かないか」と続けられるはずの声はナマエの興奮した声にさえぎられる。

「お礼だなんて!私こそ、こんな名誉な仕事を任せて頂いてジャーファル様やシン様には毎日感謝しています。これからもこのご恩に報いる為に精一杯頑張ります!」

一息で言い切ると、頭を勢いよく下げて、まるで踊る様な軽やかさで部屋を後にした。止める間もなくあっという間に去っていた姿に引き留めようと、持ち上げた腕がむなしく空を切る。バタンと、再び一人部屋の中に取り残された後、シンドバッドは重たい、大きなため息を吐いた。

「また、失敗か・・・」

重たく感じる疲労感に、項垂れてしまうが最後に見たナマエの幸せそうな、喜びに充ち溢れた顔がじわりと心を熱くする。あの顔を見る為に、あと一頑張りするかと一度背筋を大きく伸ばした後、シンドバッドは手に残る書類の、一番上に添えられたナマエ手書きのメモを一度愛おしそうに撫でた。



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