企画 | ナノ

過去から現在(いま)へ祝福を

これは夢だと、そう確信したのは沢山の懐かしい顔を学院の風景で見かけた時だった。
母も父も、同じ組の友人たちも、みんな死んでしまった人達が、居るはずのない魔導院で仲良く幸せそうに過ごしている姿を見た瞬間に、一気に心が冷え込んでいく。すぅっと頭の中に冷たい風が差し込んで、早く夢から覚めなければと思うのに、懐かしい姿にもう少しだけこの場所に居たいと言う小さな欲求がわきあがった。
自らの記憶の中だけにあるこの場所は、誰にも知られることのない遥か遠い思い出の世界だ。自分はこの世界では無くて、シンドバッドや皆がいるあの世界に生きると決めた。その決意に後悔は微塵も無いが、この郷愁に似た寂しい気持ちは一生離れる事はないだろう。

「「ナマエ」」

もう忘れてしまったと思っていた両親の声に胸が詰まる。
そう、こんな声をしていたのだ。

「お父さん、お母さん・・・」

にこにこと笑う両親の姿に俯いて涙を堪える。
きっと彼らは今もあの繰り返しの世界の中にいて、何度も何度も生と死を繰り返しているのだろう。その輪廻から外れた自分はもう二度と戻れないし、戻りたくもない。
心残りといえば、残してきた大切な人達が戦争という苦しみを永遠とも呼べる世界でその運命を歩んでいることだ。

いつの間にか沢山の見知った人達が周りにいて、みんな笑顔で苦しむ事も無く幸せそうにしている姿に、ナマエは口元に自嘲の笑みを浮かべる。
なんて都合のいい夢だろう。自分が望んだ、皆が幸せな世界の夢を、戦争もない幸せにその人生を終わらせることのできるそんな世界の夢を見ている。
叶う事のない、ナマエの希望が詰まった夢は甘くてそして苦い思いを胸の中にもたらした。

みんなが笑顔のなか、一人だけ表情のない静かな瞳とかち合ってナマエは思わず視線を其処に縫いとめる。氷を連想させる冷たい視線と、顔の半分以上を覆ったマスクの出で立ちの男はこちらをじっと見つめたままその視線は少しも緩むことはなかった。

「クラサメ隊長・・・」

彼とは担当クラスも違った為に、接点などほとんどない。何回か話した事があるだけだ。
その彼が自分の夢の中に出てくること自体が不思議で思わず名前を呟けば、その瞳がきゅっと射竦めるように鋭くなった。

「これは、君の夢だな」
「・・・そうです。私の希望、願いそのものです。皆が幸せに暮らしていて欲しいと思って願った夢。なのにクラサメ隊長はどうして・・・」

「幸せそうではないんですか?」と問おうとした所で、彼の瞳が初めて逸らされた。どこか遠くを見るように視線を巡らせると、重い溜息を吐く。

「君の幸せは私の幸せではない。この世界は、酷く脆くて儚い物だ。君は本当にこの幸せを望んでいるのか?」
「みんなに苦しんで欲しくない、とそう思っているのは本当の気持ちです」
「・・・苦しまない事が、幸せとは限らない。少なくとも、私はこの世界は幸せではない」

クラサメの言葉にナマエはぎゅっと手を握りしめた。思わず俯くと、宥めるようにクラサメの手が肩に優しく置かれた。

「君は、自分の幸せを望むんだ。過ぎた私たちの事を案ずる必要はない」
「クラサメ・・・隊長・・・」
「さぁ、もう君の場所に戻れ。こんな意味のない夢を見ずとも、今の君は満ち足りているのだろう?」

その言葉に、ぎゅっと身体を抱きしめる見えない熱を感じてナマエは思わず振り向いた。其処には何も無いただの空間が広がっているが、確かに大切な人がいる。
身体を包む柔らかい温もりに、じわりと心も暖かくなった。

「・・・はい、ありがとうございました。クラサメ隊長」
「生徒を諭すのは教師の役目だ」

漸くクラサメの瞳が優しく緩められるのが見えて、ナマエもつられて笑みを浮かべてしまう。最後に確かにクラサメの手のひらの熱を肩に感じた後、ふっと世界が闇に転じた。





夜中にナマエがうなされるのは、とても珍しい。
確かに以前はよく魘されていたが、最近はとても穏やかに眠る事が多くなったのに、今夜は酷く夢見が悪いのか眉を顰めて、何度も口の中で何かを呟きながら時折唇を噛みしめていた。その唇を宥めるようにそっと撫でるがナマエは目を覚ます事はない。深い眠りに沈んだまま悪夢に苦しめられているようだった。

「ナマエ・・・。大丈夫だ、俺は此処にいる」
「・・・・ぅ・・ん・・」

その身体をぎゅっと抱きしめて、耳元で囁くがナマエの言葉は返ってこない。宥めるように、その背中を優しく撫でながら悪夢が過ぎ去る事を願っていた所で、ナマエの唇が今までの曖昧な言葉ではなくはっきりと名前を紡いだ。

「クラサメ隊長・・・」

小さな声だったが確かに紡がれたその言葉に、シンドバッドは動きを止めて腕の中のナマエを見下ろす。何度かナマエの寝言に出てきたその名前に、居一度ナマエに尋ねた事があったが彼女は他のクラスの担任だった人だ、と曖昧に笑うだけだった。あまり接点が無かったと、そう言っていたもののあまり接点のない人間が、そうも多く夢に現れるだろうか。夢は深層心理が色濃く反映される。ナマエの心の奥深くではその『クラサメ』という人物が深く根づいているのではないだろうかと考えた所で、面白くない感情が胸の中に吹き荒れた。

「・・・ナマエ」

力の入らない身体を、ぎゅっと今までよりも強く抱きしめる。過去の人間に嫉妬するなんて、なんとも子供っぽい感情だと、自分でも思うがそれでもこの思いは消せそうに無かった。

「・・・目を覚ますんだ」

早く起きてその瞳に自分を映して欲しい。そして、いつもの柔らかい幸せそうな笑みを浮かべて名前を呼んでほしい。
その想いのままに彼女の顔に幾度も唇を落としていれば、やがてナマエの眉間のしわが緩みその寝顔が穏やかな物に変わっていった。ふっと、ナマエの唇が一瞬笑みを浮かべるように動いたあと、彼女の睫毛がふるふると震える。ゆっくりと押し開かれた瞼の向こうにぼんやりとした瞳が覗いてシンドバッドは、ぐっと顔を両手で固定してその瞳を自分に向けさした。

「・・・シ、ン?」
「目が、覚めたか・・・」
「ど・・したんですか・・・?もう、朝ですか?」

眠たそうな、ゆっくりとした言葉にシンドバッドは思わず苦笑を零してしまう。ナマエの視線がやがてしっかりとした物に変わっていくのをみながら、そっと彼女の髪を優しく撫でつけた。

「いや、魘されていたから心配したんだ・・・。大丈夫か?」
「魘されて・・・・そうか、私久しぶりに前の世界の夢をみてたから・・・」

何か思い出す様に視線が彷徨ったあと、ナマエの瞳が伏せられる。少しだけ悲しそうに歪んだ目尻に優しく口づければナマエが擽ったいというようにクスクスと笑って、身を捩った。

「悪い夢か?」
「いいえ、私の希望が詰まった夢でした。みんなに戦争のない苦しみのない世界で過ごして欲しいって、そう私が願った通りの・・・。でも、本当はそんなはずがない事を知っているから・・・、だからそんな私の独り善がりの夢です」

ぎゅっとナマエの手が、シンドバッドの服を掴む。縋る様に、求めるように握られた手を優しく解いてぎゅっと握りこめば、ナマエの瞳が嬉しそうに細められた。

「・・・辛いか?」
「いいえ、夢の中で過去を案ずるな、と諭されましたから・・・」
「夢の中で?」
「はい、彼も私の夢の中の思い出の中の人だけれど・・・、でも確かにその言葉に救われたから」
「・・・クラサメ隊長、か?」

どこか核心のような物をもって尋ねれば、ナマエは驚いて目を丸くして此方を見つめてくる。

「どうして、知っているんですか?」
「寝言で呟いていたよ。・・・その人はナマエに取ってきっと大切な人なんだろうな」

子供の様に拗ねた響きの言葉が唇から洩れて、シンドバッドは、しまったと己の失策に胸中で舌打ちする。思わずナマエから視線を逸らそうと顔を背ければ、ぎゅっとナマエの腕が首に縋りついてきた。
柔らかい感触が首元に落ちる感触に、身体の奥の強張りが溶けるような気がする。ナマエが抱きついたまま静かに自分の名前を呼ぶのが聞こえて、シンドバッドも応えるように腰に手を回して引き寄せた。

「あの人は、私に言ってくれました。もう、過去の幸せを望む必要はないって、私には満ち足りた今があるからって。・・・私の幸せを望めばいいと、そう言ってくれたんです。私だけ、あの救いのない繰り返しの世界から抜け出てしまった事に少しだけ罪悪感がありました。でも自分の思い出の中の幻だったとしても、肯定してもらえた事で救われました・・・」
「ナマエ・・・」
「・・・・確かに、大切な人です。でも、それはシンへの想いとは全然違います。あの人は、信頼していた『教師(せんせい)』で、シンは私の一番大切な人・・・。私の一番愛している人です。」

首元に顔を伏せられているので、顔は見えないがその身体が微かに震えている様に感じられて、ナマエがどれだけ必死に思いを紡いでいるかを感じてシンドバッドはぎゅっと腕の力を強くした。詰まらない嫉妬をした事を耳元で謝れば、ナマエの首が横に振られるのを感じる。
少しだけ腕の力を緩めれば、シンドバッドの表情を覗きこむようにナマエの少しだけ潤んだ瞳が此方を見上げてきた。

「・・・ナマエ、さっきの言葉ももう一度言ってくれないか?」
「さっきの?」
「俺は君にとって、一番・・・」
「・・・大切な人です。誰よりも大事で、一番愛している人・・・・」

恥ずかしそうに少しだけ頬を染めながらも真っ直ぐと瞳を見つめて笑って言葉を紡ぐナマエに、シンドバッドはこみ上げる衝動のまま、その言葉ごと呑み込むように唇を重ねた。



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