企画 | ナノ

獣のシルシの残し方・後編

※暴力表現が多数あります。不快に感じる方はすぐに戻ってください。


限界を超えても逃げ続けようと足を動かし続けたが、日ごろから激しい運動など皆無の生活を送っている身体では幾ばくも経たない内に足がもつれるようになってしまった。燃えるように熱く感じる身体が、口を開いても上手く呼吸が取りこめない様になって初めてナマエは足を動かすのを止めた。ずるずると壁に沿う様に座りこめば、襲い来る疲労から動けなくなる。息を吸う度に胸を指す様に痛みが走るのを感じて、ぎゅっと胸を抑えながらなんとか息が整うのを待っていた時に、ふと視界が暗くなるのを感じた。太陽が陰ったのかと、視線をあげた時に見えたのは、逆光ながら下卑た笑みを浮かべた男の姿で、ぬっと此方に手を伸ばしてくるのが見えた。

「・・・・っ」

悲鳴を上げたくても、まだ息が整わない身体は満足に反応することもできずに、その手がぐっと自分の腕を掴んだのを見つめることしかできない。垢に汚れた顔に隠しきれない愉悦を浮かべながら、ぐっと丸めた布を此方の顔に寄せてきた。汚れたその布に、嫌悪から顔を背けようとするが大した抵抗にもならずに、鼻と口を覆われる。脳に突き刺すような刺激臭がしたかと思うと急激に辺りの景色がぐにゃりと歪んで目の前が霞んできた。何が起こったのか分からないまま頭に布袋を被せられると、荷物の様に抱えられる。ゆらゆらと揺れる感覚を最後にナマエの意識はぷつりと切り取られた。

酷くお酒を飲んだ時の様な頭の奥の痛さを感じて目を開いた時には、馬車に乗せられていた。ゴトゴトと整備されていない道を走る度に何度も頭を打ち付けた後、ようやく止まった場所からまたもや荷物の様に運び出せれて布袋を取り払われる。突然明るくなった視界に数度瞬きをした後、目に入ってきたのは薄汚い石壁に包まれた大きな倉庫の様な場所だった。幾つかの松明があるだけの其処には無数の檻が用意されていて、幾つかの其れには人間が入れられている。誰もが絶望に俯いて、黒いルフを纏った姿にナマエは胃がひっくり返るほどの気持ち悪さを感じて思わず男の手を振り払う様にして逃げ出そうとした。

「ちっ!手間掛けさせんじゃねぇよっ!」
「いやっ・・・いっ・・・」

ぐっと長い髪を乱暴に掴まれて、引っ張られるとまるで動物を扱うかのように檻に放り込まれる。身体を強かに打ち付けて床に転がった後、反抗した事を責めるように男が腕を振りあげて殴ろうとしてくるのが見えて、ナマエは咄嗟にお腹をかばって身体を丸めた。
がつんと肩の辺りを殴られて鋭い痛みが走る。少しの加減もないその仕打ちに食いしばった歯の間から、うめき声が漏れてしまった。

「はっ・・・、いいな逃げようとしたらどうなるか・・・こんなもんじゃ済まさねえぞっ」

最後にガツンと頭を蹴られて、滲む視界の中で重たい錠が落とされる音が聞こえた。

「おい、顔は狙うんじゃねえよ。高く売れねえだろうが・・・」
「構うもんか、どうせ娼館に売り飛ばすんだろうが。身体さえ五体満足なら問題ねぇだろ」
「いや・・あの身形・・・結構な身分の女だろ・・・。レームの貴族の娘なら他国の奴らの愛玩用に高値がつく」
「へっ、ほんとかよ・・・」

檻の外でかわされる会話に、ナマエは床に倒れたまま視線だけそちらに向ける。顔は見えなかったが複数の男達がにやにやと笑いながら、自分を何処の奴隷市場に売るかを話していて、その内容にぎゅっと唇を噛みしめた。
いつも自分が過ごしていたレームの貴族たちが住む場所では無く、剣奴や他国から流れてきた浮浪者達が多い地区で足を止めてしまった為に、奴隷商人に捕まってしまったらしい。もはやこの男達にとって自分は一人の人間ではなく、ただの商品に過ぎないのだ。奴隷として売られてしまうと言う事がどれだけ悲惨な事なのか、全く分からなかったがこの部屋に充満する黒いルフを感じる限り、どれだけ悲惨な運命が待っているのかは想像に容易い。
こんな事になるなんて、とナマエは後悔に歯を食いしばった。



「ほら、餌だ」

この部屋に連れてこられてどのくらい経ったのか。おそらくはまだ、数日も経っていないと思うがその間に出された何回目かの食事をちらりと見やってナマエは拒絶するように身体を固める。汚れて、所々掛けた木の器に盛られた粥のような雑穀を煮込んだものが乱暴に檻の中に放りこまれるが、ナマエは一度も口を付けなかった。

「おい、こいつ全然食わねえぞ。・・・ちっ、てめえの競りは明後日なんだ、それまでに死なれちゃ困るんだよっ。おらっ、食えっ!」

ガンっと檻を強く蹴飛ばされて、反射的に身体が恐怖で跳ねてしまう。其れを押しとどめるように身体を掻き抱いて、ナマエは檻の奥の方で身体を固めた。既に空腹は限界を超えていて、胃のあたりがしくしくと痛む様な気持ち悪さがまとまりついている。水も満足に与えられていないので、渇ききった喉も熱くなるような痛みがあった。

「おい、どうすんだよこいつ!ちっとも言う事聞きやしねえ・・・」
「口に無理やり突っ込んで流しこめ。こいつは次の競売での目玉商品なんだ。それまでに病気にでもなられたら売値が半額になっちまう」
「めんどくせぇな・・・。お貴族のご令嬢様はこんな飯は食いたくねえってか・・・」

悪態をつきながら、男が懐から錠を出して檻の鍵をあけて入ってくる。苛立ちからか、瞳に剣呑とした色を乗せて、舌打ちを打ちながら手を伸ばしてくるのが見えて咄嗟にボルグで身体の回りを包み込んだ。

「っ!こいつ、魔導士か!」

顔に緊張を走らせた男の言葉に、檻の外にいた男達もざわりと騒がしくなる。このまま、魔法をつかって逃げられれば一番良いのだろうが、杖も無いこの状態では魔法が上手く発動出来ない上に、体調の変化に魔力の質が変わっているのかいつもよりもずっと魔法が扱い辛くなっていて。ほんの少し気を緩めた瞬間に、ボルグが薄くなって硝子が擦れる様な甲高い音を残して割れてしまう。

「へっ、三流の魔導士かよ。なら敵じゃねえな!」
「っあぅ・・・」

ガツンと顔を殴られて、うめき声が漏れる。頭が揺れる様な痛みに床に倒れ込めば、ずるずると腕を取られて檻の外へと引きずりだれて、髪を掴まれて顔を無理やりあげさせられた。

「ほら、口を開けっ」

その言葉に、ぎゅっと唇を噛みしめる。こんな奴らの言う通りに何て絶対になりたくないというように目に力を入れて睨みつければ、男達の顔が醜悪に歪んだ。

「っ生意気なんだよ!てめぇはもう貴族様じゃねぇんだよ!俺達に売られる奴隷なんだ、奴隷としての作法ってやつを叩きこんでやろうか?!ああっ?!」
「・・・っ・・ぅ」

ぱんっと顔を張られた後、倒れ込んだ身体に幾つもの蹴りが浴びせられる。全ての暴力から守る様にお腹を抱え込んで身を丸めれば背中や足に容赦なく痛みが降ってきた。
痛い、痛い、ムーに与えられた痛みとは比べ物にならない容赦ない暴力に、ナマエは涙に視界が歪むのがわかる。屈辱と後悔と、色々な感情が漏れ出して、頬を伝って行った。

何時だって自分は逃げ出してきた。
シェヘラザードと比べられる事から逃げ出そうとして、ムーに捕まえられて、今度はムーから与えられる痛みが怖くて大人しく言う事を聞いてきた。そして今だって、自分が進む運命が恐ろしくて逃げ出してしまった結果が、この結末なのだとすれば全ては自分の所為なのだと思えた。
もし、逃げずに自分の運命を受け入れていれば。ムーとのことだって、成り行きに任せているだけでは無くもっと話していれば、彼が何を考えてどう思っているかをもっとちゃんと受け止めていれば、もっと違う形になれていたのかもしれない。

「こいつ・・・さっきから腹をかばってやがるぜ・・・。まさか、ガキがいるんじゃ・・・」
「そりゃまずいな・・・。愛玩用(ペット)として売りだすのに孕んでるんじゃ価値がなくなっちまう。おい、腹を殴って流しちまえよ」
「ほんっと、めんどくせえ女だな・・・、くそっ、おら、庇ってんじゃねーよ!」
「いや・・・っ」

このままではお腹にいるかもしれない子供も消えてしまう。諦めて、何もしなければ何もこの手に残らないのだ。

「ぜったい・・・いやっ」

過去は変えられない。どんなに嘆いても後悔しても、過ぎた事は元には戻らない。
でも、この先は変えられるのだ。
後悔をしない生き方を、運命を嘆くだけじゃなくて受け入れて自分で道を選ぶ事が出来る。

「・・・ムー様っ」

伝えたい事がある。
ずっと逃げ続けた自分の言葉を一番に聞いて欲しい人の名前を、唇に乗せた瞬間に身体を襲っていた痛みが突然と消えた。

「呼びましたか?ナマエ様」
「ひぎゃあっ、な、何だお前っ・・・!」

蛙が潰れた様な悲鳴と共に、聞きなれた優しい声が聞こえてナマエは丸めていた身体をゆっくりと緩めて顔をあげた。其処には赤い長い髪を鬣のようになびかせて、悠然と笑うムーの姿があって、思わずに安堵からボロボロと涙が流れてしまう。

「・・・ム・・・っさ、ま」
「少しだけ、地に伏せていて下さい。目も耳をきつく塞いで・・・。ゴミを片付けますから」

何かを堪えるかのような、壮絶な雰囲気にナマエは黙って言われた通りに地面に顔を伏せて両手で耳を強く塞ぐ。
その後は本当に一瞬だった。一瞬何か強い風が辺りを奔ったかと思うと、塞いだ耳にも届く様な酷い悲鳴が鼓膜を揺らす。その数秒後には肩を軽く叩かれて「終わりましたよ」と柔らかい声で囁かれてナマエはゆっくりと身体を起こした。

「ムー・・様」
「大丈夫ですか?直ぐに帰りましょう、怪我を医師に見せなくては・・・」

ムーの顔は幾つかの返り血を浴びていて、赤い髪がもっと濃い色になっていた。その顔は、辺りの凄惨な様子と違って優しく笑っていて、前であれば恐ろしく感じていただろうが、今はもっと落ち着いた気持ちで彼の顔を見つめる事が出来た。

「はい、その後に話を聞いて欲しい事があるんです。色々と・・・」

真っ直ぐと逸らすこと無く瞳を見つめて、ムーに話しかければ彼の瞳が落ち着かずに揺れる。その様子は、どこか怒られる前の子供に似ていて思わずナマエは目を細めて微笑んだ後、ぎゅっとその首に腕を回して抱きついた。



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -