企画 | ナノ

獣のシルシの残し方・前編

目の前で、小さく呼吸をする弱々しい身体を痛ましげに見つめながら、ナマエはぎゅっと手を握る。枯れ木のようになってしまった身体はそれでも懸命に命を繋いでいて、その姿には畏怖すら感じてしまう。

「・・・・こんな姿になってまで人は生きられるのね」

隣から零れた静かな呟きにナマエは僅かに視線をさげれば、其処にはこの国で最も尊い人が幼い小さな身体でしっかりと立って、寝台の様に誂えられた石の祭壇の上を見つめていた。

「醜いと思う?ナマエ・・・。こんな姿になってまで命を繋ぐ私を・・・」
「いいえ・・・、いいえ。シェヘラザード様がいらっしゃるからこそこのレームは此処までの繁栄を遂げているのです。尊敬こそすれ、そんなこと・・・」
「・・・ありがとう。少し、安心したわ」

僅かに微笑んでくれる少女がそっと横たわる老婆の髪をなでる。自分に良く似た蜂蜜だったろう髪は既に白髪になっていて寝台に散らばっている。床に垂れるまでに長くなっているそれだったが、手触りは羽の様にふわふわしていそうだった。その髪を何度か撫でつける少女の姿は、自分に瓜二つだ。おそらく、彼女が成長すれば自分の様な姿になるだろう事は簡単に想像がつく程に似通った其れは、傍からみたら姉妹か親子の様に見えるのかもしれない。けれども彼女と自分の関係はそんな単純なものではなくて、彼女の姿を見る度にナマエは自分の力の無さを嘆くことしかできなかった。
レーム最高司祭であるシェヘラザード。その血を色濃くついであるだろう容姿なのに、彼女の様な魔法使いには到底なれそうもなく、ただ安穏した日々を甘受するだけの自分。周りの者達が力ない自分を嘆いているのは知っている。けれども一番悔しいのは他でもないナマエなのだ。生まれ持った才能が違い過ぎるせいで、この哀れな女性に手を貸すことも出来ず、ただこうして見下ろすことしか出来ない歯がゆさに何度悔し涙を漏らしたかもしれない。

「シェヘラザード様・・・・私・・・」
「この身体も、もうすぐ使えなくなるわ・・・。また新しい分身体を用意しなくては・・・」

シェヘラザードの意識をもった分身体。彼女の本体の欠片から培養して作られたその身体はシェヘラザードの魔法の粋を極めて作られた仮初の身体だ。人と同じように、呼吸もするし、食事もとれる。言葉を話し、笑顔も見せる彼らだが、圧倒的に違うのはその寿命だった。彼らはシェヘラザードが魔力を与え続けた時間の10分の1しか生きられない。目の前のこの幼い身体とて、10数年近くかけて作られたものだと聞いていたが、ほんの数年でその身体は活動を止めてしまうのだ。その度に辛そうに、顔をゆがめながらも、再び新たな身体に移る様子をナマエは何度も見てきた。幼い身体が弱り、辛そうな呼吸をするのを見るのは見ている此方の胸も締め付けられた。

「あなたの意識を移すのは分身体でなくてはいけないのですか・・・?」
「え?」
「・・・分身体ではなく、私の身体は使えないのでしょうか・・・。こんなにも姿形が似ているなら、もしかしたら貴女の変わりの身体として使えるかもしれない」

先が見えている弱い分身体ではなく、一人の人間として生きている自分の身体であれば何度も身体を頻繁に入れ替える必要はない。精神を乗っ取り、その身体を使役する。そんな魔法が無いわけではないので、200年以上の魔法知識を持った彼女であればその方法を知っているかもしれないと、ナマエはその小さな身体に視線を合わせる様に膝をついて、シェヘラザードの顔を覗きこんだ。
自分とよく似た、少しぼんやりとした視線に見えるその瞳を、驚愕に見開いて少女は此方をじっと見つめている。その視線に負けぬように見つめ返してナマエは一度コクリと喉を鳴らして唾を啖呵した。

「お願いです。シェヘラザード様・・・。私、レーム為に力になりたいの」
「そんな・・・、貴女は、この国から離れたいと思っていたのではないの?私に縛られること無く、世界に出たいと・・・そう願っていたのではないの?」
「・・・・そんな願いはもう捨てました。この国の民の一人として力を尽くすことが私の生まれてきた意味だと、そう思ったんです」

この国から、彼女の幻影から抜け出たいとそう願っていたこともあった。でも、そう願うたびにムー・アレキウスが自分をこの国に縛りつけるのだ。逃がさないと何度も何度も教え込まれた身体も心も既に国を離れる事は望んでいない。それでも、この国でこのまま何もせずに終わってしまうのであれば、せめて国を支え続けた彼女の力になれればと思ったのだ。

「・・・意識を完全に同調させるというのは、簡単な事ではないわ。一つの身体には一つの心をもつ事が、正しい摂理なの。貴女の身体には既に貴女の心がいる。もし私がその身体を奪ったら、貴方の心はどこにいけばいいの?」
「・・・・私の心なんて・・・」
「ナマエ、貴女もまた私の愛しいレームの民なの・・・。私に似た容姿を持った貴女が、辛い想いをしてきたのも知っているわ。でも貴女がすくすくと成長するのをみるのが私はとても楽しかった。まるで、昔の私を見ているようで・・・。」

懐かしそうに目を細めて笑う姿は、子供のそれではない。母や、もっと大きな存在のようなシェヘラザードにナマエは「でも・・・!」といい募った。

「ナマエ・・・、貴女は私じゃない。貴女の身体をもらっても、それはほんの一時しのぎにしかならないわ・・・。ほんの一時的な事の為に、命を投げ出すなんて馬鹿げているわ。それよりもナマエは幸せになりなさい。幸せになって、沢山の笑顔を私に見せて」
「シェヘラザード様・・・」
「・・・・少し疲れたわ。もう、休むわね。・・・ムー、いるのでしょう?ナマエを送って行ってくれるかしら」

弱々しく微笑んだあと、シェヘラザードが自分の背後にある扉に向けて放った言葉にナマエは背筋を冷たくさせた。まさかとの想いに、身体を強張らせれば背後から聞きなれた声が響いてきて身体の底から震えが走りそうになった。

「かしこまりました。・・・ですが、シェヘラザード様を先にお部屋に・・・」
「私は大丈夫。ここから、すぐですもの。それよりも、遅くなってしまったからナマエの方が心配だわ・・・。ナマエ、ごめんなさいね。遅くまで話し込んでしまって」
「そんな・・・私に気を使って頂かなくても大丈夫です。一人で・・・」

「帰れます」と続けようと思った言葉はがしっと肩を掴んだムーの腕によって阻まれた。僅かに力強いそれはナマエの恐怖心をあおるだけの力を持っていて、思わず舌が固まって言葉が続かなくなってしまう。

「ナマエ様は私が責任を持って送り届けます。ご安心を」
「そう、宜しくね。ムー。  ナマエ、ではまたね。」
「は、はい。これで失礼いたしますシェヘラザード様・・・」

固まりそうな舌を叱咤して動かせば、シェヘラザードがにこりと微笑んで、くるりと踵を返した。そのまま、静かにゆっくりと去って行く彼女の姿を見送っていれば、完全に姿が見えなくなった所で、ぐいっと身体を強く引き寄せられた。

「参りましょうか、ナマエ様。あまり長居をしてはシェヘラザード様本体に障るかもしれませんから」
「は、はい。」

返事と同時に、大股で歩き出したムーに引きずられるようにして、ナマエは部屋を小走りで後にする。完全に、神殿から抜け出た所でがしっと腰を掴まれてナマエは息を呑んだ。

「っきゃあ!」
「静かに、口を空けていると舌を噛みますよ」

僅かに苛立ちを含んだ声にナマエは慌てて口を噤んだ。奇妙な浮遊感に歯を食いしばって耐えていた所で、すとんと地面に降ろされる。そのまま、床にへたりこもうとした身体を腕を取られて無理やり立たされると、ムーは再び無言で歩き出した。辺りを見渡せば、其処は見慣れた景色が広がっていて思わず目を見張る。

「アレキウス邸・・・」

しかもムーの自室に繋がるテラスに降ろされた事に気が付いて、ゾクリと身体に寒気が走った。部屋へと続く出窓には鍵が掛かっていたのか、ムーがガチャンと硝子を割ってそのまま乱暴に部屋へと入る。レームの貴公子として紳士の振る舞いが身についた彼からしてみれば、意外な程の荒々しい行いに思わず身体を引けば、それ以上の力で腕を引かれた。その勢いのまま以前に幾日か過ごした大きな寝台に身体を投げられて、柔らかい其処に身体を沈ませる。これから起こることに身を竦ませて息をのめば、険呑とした目のムーに覆いかぶさられた。

「何故、あんなことを言ったんです?シェヘラザード様に身体を渡したいなんて・・・」
「え・・・?」
「あの方にその気が無かったから良かったものの・・・。もし、本当に身体を差し出せと言われたらどうするつもりなんですか?上の者達が、貴女にその役目を影で期待しているのはご存知でしょう?」

真剣な、縋るような瞳のムーを思わず見つめ返せば、彼が歯を食いしばって何を耐えるような苦痛の表情を浮かべていてナマエは何も言う事が出来なかった。

「どうして貴女はそうなんだっ。どうして自分の価値を信じない・・・?どうしてっ!」
「私は、シェヘラザード様じゃない・・・。あの方にはなれなかった。ならせめて、せめてこの国の役に立ちたいの・・・。もう、この国から逃げようなんて思わないわ、でもこのまま何もしないで此処にいるのは嫌。だから、この身体が役に立ててればいいかと・・・」

言葉が詰まったのは、身を凍らせる程の殺気を感じたからだ。
本能が告げる圧倒的な恐怖。気を失ってしまいそうな程のそれは、身体を固めて呼吸すらも危うくなる。喉が引きつる様な音を立てて息を漏らす。全ての呼吸を吐き切った所でムーがゆっくりとその唇で此方の其れを塞いできて、ナマエはぎゅっと目を閉じた。
全てを呑みこむ様な深い口づけに、快楽と息苦しさが入り混じる。翻弄されるままに咥内を暴かれて、死にそうな程の苦しさと、恍惚とするような快楽が思考を真っ二つに切り裂いた。

「何も、分かっていなかったんだ・・・貴女の事を・・・。この国にいれば、手に届く範囲であれば問題ないかと思っていたのに・・・」
「・・・う・・・はぁ、は・・っ・・・」

漸く放された唇から勢いよく流れこんできた空気が胸を焼く。朦朧とする意識では、ムーの言葉が上手く聞こえなかった。

「やっぱり、もっとしっかりと貴女の事を繋がないと・・・、もっと痛みよりも強い戒めで・・・」

聞いた事のない程の暗い声は鼓膜に優しく響く。言葉の意味は恐ろしく物騒なものなのに、身体をなぞる手つきは泣きたくなるほど優しい物で。壊れない様に優しく扱うムーにナマエは消えそうになる意識を必死に繋ぎとめて、最後にぎゅっとムーの赤い髪を掴んだ。



あの日から、ムーはとても優しくなった。
態度は依然と変わらないが、彼から与えられる物は苦痛から圧倒的な快楽と優しさにとって変わっていて、その変化にナマエは戸惑うばかりだ。

「ただいま帰りました。ナマエ様」

仕事を終えるとムーはいつも真っ先にナマエの元へと来てくれる。アレキウス邸に用意されたナマエの部屋。ナマエの実家をどう説得したのかは分からないが、ナマエの生活はすべてアレキウス邸で行えるようにいつの間にかすべての手配が完了していた。お気に入りの服も、手鏡も、クッションもすべて運び込まれたこの部屋でムーに優しく愛される日常。彼が何をしたいのか、全く意図が読めずにいたが、それでも大人しく彼の意思に従っていたのはこの薄氷の上に成り立っている安穏とした日常を終わらせたくなかったからだ。身体の傷は大分善くなった。唇に吸いつかれたか鬱血痕は体中にあったが、痣や傷は此処暫く一度も付けられていない。痛みを感じない生活は久しぶりで、その安穏とした日々にナマエの気持ちも段々とこの現状を維持していきたいというものに変わっていった。

その日々が打ち砕かれたのは、ナマエがアレキウス邸に住む様になってから三カ月程経った時だった。
自分の身体に起こった体調の変化に気が付いて、表情が無くなるほどの驚愕が身体を覆い尽くす。

月のものが来ていない。

いつからだろうか、まったく気付いていなかったが今まで来ていたそれが全く無くなった事が意味することにナマエは震える程の悪寒が身体を襲うのを感じていた。

「か、環境が・・・変わったせい、よね・・・」

震える身体を抱きしめて、自分を落ち着けるように呟いた言葉に『是』と応えてくれるものは一人もいない。落ち着こうと思えば思うほどに、焦り出す気持ちにナマエは居ても経ってもいられずに部屋を飛び出した。

部屋の扉は何時だって開いているし、この屋敷から出ることだって自由に出来た。其れをしなかったのはムーの機嫌を損ねる事をナマエが望まなかったからだ。彼の傍にいれば、逃げようとしなければムーは優しくしてくれる。その泡沫の優しさに縋ったのだ。
でも、そんな優しさすらも今は恐ろしくて、とにかく全てから逃げ出したくて仕方なかった。
人の目を盗んで、そっと屋敷の外に抜けだすと、目的も無く走り出す。
ただ襲い来る恐怖から、必死で逃げることしか考えられなかった。



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