短い夢 | ナノ

名もない花の話・後編

下がれと、そう煌王が命じた後、イオが連れてこられたのは今まで通りの部屋ではなく、もっと粗末な、それこそ座敷牢に近い小さな部屋だった。かつては貴族が罪を犯した際に入れられた牢に乱暴に押し込められて、ガチャリと重たい錠がおろされる。逃げるつもりなど毛頭ないが、それでも念には念を入れているのだろう。牢に入れらる前に、簪などはすべてとられ、着物も簡素な麻の物へと取り換えられた。

「凱の姫なんて・・・、てめえなんか犬にでも食わちまえばいいんだ・・・!」

牢の外から、そう投げつけられた言葉を黙って受け入れる。何も言わずに少し俯いて、わずかに頭を下げると唾を吐きかけられた。

「俺の母親はお前のところの兵士に殺されたんだ!お前も同じ目に合わせてやる!」

黙って頭を下げたまま、微動だにしなければやがて悪態をつきながらも煌の兵士は去っていった。人気がなくなって初めて顔をあげると髪にかかった唾を袖でふき取る。少し前の自分ならば泣いてしまったかもしれないが、今は驚くほどに心が凪いでいて、辛いとも悲しいとも思わなかった。この国の民の為に死ぬことができる。何もできなかった自分が、飢える民を救うことも、他国に嫁ぎ国の為に縁をつなぐことも出来なかった自分が初めて民の為に役に立てる。その事実だけが、心の支えになっていた。
いつ頃、処刑になるのか。煌の王は明言しなかったが、おそらくそう遠くはあるまい。
そう思っていたが、3日経っても音沙汰なく、イオはだんだんと焦ってきていた。というのも、兵士の嫌がらせなのか真面な食事が出てこないのだ。たまに差し出される粥は腐っており、口をつけることも出来ず、飲み水は泥が混じっているのはいい方で、ネズミの死骸が浮いて居たりとまともに喉を潤すことも出来ない。幸い、泥水の上澄みや時折天井からしたる雨漏りした水で何とかしのいでいたが長く持ちそうにはなかった。

「・・・・このままでは、飢えて死んでしまうかもしれないわね」

あくまで民衆の前で、処刑されることに意味があるのに、これでは煌王との約束が果たせない。もしかしたら、そのことに腹を立ててあの時の約束もなかった事にされるのではと思うと、ゾクリと背筋を冷たいものが走った。
いっそ、処刑をしてほしいと嘆願すべきがと、そう思っていたある日、いつもと同じように食べられない食事を差し入れられた後、人の気配が近づいてくるのを感じてイオは、緩慢な動作で扉へと視線をやる。
気まぐれに兵士が罵倒しに戻ってきたのかと思ったが、そこにいたのは、あの日自分の捕まえた、澄んだ声をした青年の姿だった。

「・・・少し話がある。よいだろうか?」
「も、勿論でございます・・・」

耳を通る声は変わらずに綺麗で、イオは一瞬聞きほれた後慌てて、頭を下げる。額を床に擦る様に膝をついて頭を下げれば、がちゃんと錠を解いて中に青年が入ってきた。

「・・・頭をあげてほしい。これでは話も出来ない」

その言葉にイオは、内心首を傾げた。てっきり処刑の日が決まったと、そう告げにきたのだろうと思っていたので、ただ日取りを告げられて終わりだと思ったのだが、目の前の青年は腰を落として長居をする気でいる。
おずおずと頭をあげれば、じっとこちらを見つめる群青の瞳と視線が合って、その深さに思わず息をのんだ。

「・・・痩せた様だが、食事は食べているのか?」
「は、はい。頂いて・・・」

「おります」と続けられるはずの言葉は、青年の視線が部屋の端に置かれた椀に注がれた後、不快そうに顰められるのが見えて尻すぼみになった。

「これは、どういうことだ?これが食事だと?」
「い、いえ私はこれで十分でございます。そう申し上げたのです。」

椀の中には、腐って異臭を放つ粥の中に雑草と思しき草が混ぜられたものが入っている。とても食べられるもので無いことはイオも十分わかっていたが、自分の所為であの兵士に罰が下るのかもしれないとおもったら咄嗟に庇うような言葉が飛び出していた。

「・・・すまない、ちゃんとした食事を運ばせるように兵には告げておく。許してほしい」
「そんな!殿下が謝ることではありません。それよりもどうか、兵士の方に罰等お与えにならないで下さい。」
「だが・・・」
「あの方は、母を凱の兵士に殺された、とそう仰っていました。私が憎いのは当然です。私に晴らすことで少しでも気持ちが収まるのであれば、それでよいと思うのです」

そう告げれば、何かを堪える様に眉を潜めた青年が静かに頷いたのが見えて、イオは安心して笑みを零した。

「・・・まただ」
「え?」
「なぜ貴女は笑うことが出来る?自分を犠牲にして、なぜ笑みを浮かべられるんだ?」

その言葉の返事が、咄嗟に思いつかなくて思わず言葉を呑む。
何故か、など考えたことがなかった。

「そう、ですね・・・私は・・・私は嬉しいのです。民の為に何も為せなかった私が、誰かの為になれることが。・・・ただ政略結婚の駒に過ぎず、その役目も果たせずに終わってしまうかと思いましたが、私は民の為に死ぬことができます。それが嬉しい」
「・・・・そうか」

そう告げると、すっくと立ちあがって出口へと向かう姿に、思わず気分を害したのかと思って、慌てて頭を下げた。

「殿下に過ぎたことを申しました。申し訳ありません、どうかお許しください」
「・・・白雄」
「え?」
「私は白雄という。思えば、名前も名乗っていなかった」
「は、くゆう・・・殿下」

思わずそう口にすれば、立ったままの青年は少しだけ振り返って微かに笑みを零した。「また、来る」とそう言葉を残して、牢の向こうへと消えていった姿に、イオは暫く唖然としたまま見送っていた。



「約束通り、また来た。入ってもよいか?」
「白雄、殿下・・・」

そういって、少し笑みを浮かべた白雄がやってきたのは次の日の事だった。もう来るまいと思っていた姿に、一瞬呆けて見つめていれば、返事を聞かずに白雄が牢の錠を開けて入ってくる。昨日と同じ、粗末な床の板に腰を下ろすと、いまだに驚きから動けずにいるイオの手の上に何かを放ってきた。

「これを食べろ」
「え・・・、で、でも」
「いいから。開けてみろ」

温もりを伝える包みをおずおずと開けば、そこにはふかした芋が包まれていてイオは思わず目を瞬いた。

「これは・・・、甘藷・・・」
「城の裏手にある小さな畑に植わっていたらしい。掘り起こした兵士が、食べていたのを一つ分けてもらったのだ。珍しい芋らしいが・・・」
「・・・・この芋は枯れた大地でもよく育つのです。寒さに弱いのが難点だったのですが・・・、そうですかちゃんと実をつけたのですね」

久しぶりに湧き上がる、熱い感情にイオは思わず視界が潤むのを感じた。

「知っているのか?」
「・・・私が植えました。城の植木番に頼んで、小さな畑を作ってもらって・・・。ずっと何度も育てたけれど、この土地の気候ではうまく育たなかった・・・、色々な芋と掛け合わせて、何度も枯れさせてしまったけれど・・・。ちゃんと実がなったのですね・・・」

まだ季節は春になったばかりの寒いころだ。それでもちゃんと実が育つのであれば、一年中実をつけられるという事。そうなれば、飢えに喘ぐ民を少しでも救うことが出来る。

「貴女が・・・」
「よかった。これは芋の茎さえあれば、いくらでも増やすことができます。これが広まれば飢えに苦しむ人が減らせます」

戦が始まって、手入れも出来ていなかったから枯れてしまったと思っていたが、想像以上にこの植物は強かったらしい。嬉しい誤算に、イオは嬉しさに息を吐いた。

「・・・さぁ、温かいうちに食べろ。貴女が作ったんだ、ちゃんと食べて味を確かめるべきだ」

その言葉に、小さく頷くと芋を半分に割って小さくした欠片を口に運ぶ。少し黄色がかった芋が口の中で甘さと共に崩れるのを感じて、思わず顔を綻ばした。

「おいしい」

そう笑えば、白雄の顔も嬉しそうに綻んだ。

「そうか、なら早速、芋の畑を作るように指示をだそう。育て方は・・・」
「育て方は、城の植木番のおじいさんがよく知っています。一緒に育てていましたから。彼に聞けば、なんでも答えてくれるはずです」
「・・・わかった」

頷いた白雄に、もう一度笑みを向けたあと、イオはじっと手の中の甘藷を見つめる。お腹は空いていたが、胸がいっぱいで、とても食べられそうになかった。

「・・・なんで、王女の貴女が芋を育てていたんだ?」
「小さいころから、飢えがなくなれば戦がなくなると思っていました。みんながお腹いっぱい食べられれば、戦は起こらないのでは、と」

子供が考えた甘い夢だったが、それでも捨てきれなくて小さな畑を作って試行錯誤を繰り返していたのだ。

「結局、夢のままで終わるかと思っていたけれど・・・。こうして形になることが出来て本当によかった」
「・・・本当に、これでいいのか?」

低い声に、視線をあげれば、白雄の顔は今まで見たどんな表情よりも辛そうに歪んでいて、イオは思わず首を傾げた。

「この先を、平和な時代を生きたいと思わないのか?食料問題は、煌の国もある、この植物の栽培方法を取引に使えば命は助かるかもしれない。そうすれば・・・」

その言葉に、黙って首を振る。
眉を顰めた白雄をじっと見つめて、ふと口元に笑みを浮かべた。

「私の夢なんです。たった一つ、私の綺麗な夢だった・・・・。だから、これを駆け引きに使うつもりはありません。それに、私がこれ広めたとしても、この国に向けられる恨みが消える訳ではありません。だから、私はこの道を止めるつもりはありません」
「・・・間違っている。貴女一人が罪を背負うなんて・・・、そもそも戦に善悪なんてものは無い。それなのに・・・」
「・・・・白雄殿下、本当にありがとうございます。私などに、ご厚情を下さって・・・、本当に、ありがとうございます」
「何かを奪う事しかできない私より、何かを生み出した貴女の方がよほど世界の為になった・・・なのにその結末が、こんな物だなんて・・・」

白雄の手が此方に伸ばされようとして途中で止まる。触れらない、というようにぎゅっと手を握りしめた後、苛立ちを堪える様に床にたたきつけらた。

「・・・私は、白雄殿下が思うほど悲嘆には暮れていません。私が遺したものが、この土地に根付いていく。それを知ることが出来ました。もし、ここに白雄殿下がいらしていなければ、・・・もしかしたら全て無かったことになってしまっていたかもしれない。でも殿下が見つけてくださった。そして、きっとこの国に、大地に根付いてくれる。私が生きた証はずっと残る」
「・・・・イオ姫」

初めて呼ばれた名前はするりと耳に流れて、その甘さに少しだけむず痒くなった。
こんな時に、初めて知った淡い気持ちは身体に少しだけ熱を灯して、じわりと再び涙の膜が張るのを感じた。

「ありがとう、ございます。白雄殿下にお会いできたことが、私の生涯の喜びです」

その言葉に、一瞬驚いたように目を見張った白雄が悔しそうに俯くのを見て、イオはもう何も話すことはないと言う様に深々と頭を下げた。



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