「綾部くん!」

わたしは走っていた。4年間の片思いにさよならを告げるべく、だいすきなあのひとに想いを告げるべく、わたしは放課後の忍術学園の庭を走っていた。とととと、と授業でも見せたことがないんじゃないかってくらいの軽やかさで垣根やら屋根やらをひょいひょい飛び越えて、いざ彼のいる忍たま長屋へ。ざっくざっくと穴を掘る音を聞きつけてぴょんっとひとつの垣根を飛び越えると、わたしの気配に気がついたらしい綾部くんは穴を掘る手を少し休めていつもと同じ無表情のままくるんとこっちを向いた。

「綾部くん!」

彼がこっちを向いてくれたことがうれしくて、わたしはにへらと変な笑顔を浮かべて綾部くんの元へ一直線に走った。そして彼にわたしの想いを告げようとした3秒前、ずぼっというなんともお決まりな音と共に、わたしは綾部くんが掘ったであろう蛸壺に、落ちた。

「いっ、たたた」

なんてこと、こんなはずじゃなかったのに。よりにもよって今から告白をする時に蛸壺に落ちるなんて。いや、でも、他の誰のでもなく、綾部くんが直々に掘った穴に落ちたのだからもしかしてわたしはとても幸運なのかもしれないなあ。なんてばかなことを考えながら口に入った髪を取って上を見上げると、オレンジ色の光をうしろに受けた綾部くんがひょっこりと穴の中を覗き込んでいて。ああもう、どうして彼はおとこのこなのにあんなに美人なんだろう。

「ねえ、」
「えっ」
「どう、ターコちゃんは」
「ターコちゃん?」
「この蛸壺の名前」
「そうなの、うん、ぜんぜん気づかなかった」
「目印はちゃんと置いてあったよ」
「えっ、ほんとうに!?」
「うん」

「ほらね」と言って綾部くんは半分に割った短い竹をひらひらとわたしに見せた。なるほど、ほんとうに目印はちゃんとあったらしい。それにも気づかないでまんまと蛸壺にはまったわたしって、ひょっとしたらくのたま失格かもしれないなあなんて。

「ねえ、」
「うん?」
「上がってきなよ」
「うん、そうする」

そう言って顔を引っ込めた綾部くんを見て、服についた土埃を払いながら立ち上がろうとすると、ぴしりと左足首が痛んで思わず眉間にしわが寄った。なんてこと、わかりやすい蛸壺に落ちた上にさらに足まで挫くなんて。これはもう告白なんてできるコンディションではない、むしろ今日はやめておきなさいという神のお告げなのかもしれないと思って少しだけ息を吐き出すと、穴の上からまた綾部くんがひょっこり顔を覗かせた。

「足、」
「えっ」
「挫いたの」
「くっ、挫いてないよ!」
「挫いたんでしょ」
「あ、う、…はい」
「そう…手、貸して」
「えっ」
「はやく、手」

ずいっと伸ばされてきた綾部くんの手にわたしはおかしなくらい戸惑ってしまって。急にばくばくしはじめた心臓を押さえつつ綾部くんの手をじいっと見つめていると「ほら、はやく」と綾部くんの急かす声が聞こえてわたしは綾部くんの手に自分の手を重ねた。瞬間、手をぐいっと引っ張られてわたしはいとも簡単に穴の中から救出されたのだった。それにしても、綾部くんのその細すぎる身体のいったいどこにそんな力があるのだろう。やっぱりおとこのこなんだなあって再確認させられてわたしのほっぺたは急にあつくなった。

「あ、ありがとう」
「うん」
「…」
「…」
「…」
「…」
「あの、綾部くん」
「うん」
「その、手…」
「うん」

ぎゅっと握られたままの手を見てわたしのほっぺたはまたあつくなる。ああもう、なんだこの状況なんなんだ!どうしていいのかわからなくてひとりあわあわしていると、不意に綾部くんがわたしの方を向いて、今までとはぜんぜん比べ物にならないくらい近い綾部くんとの距離に、わたしの心臓は今にも壊れそうなくらい速く動いていた。

「ねえ、」
「う、うん?」
「きみは、どうして僕のところに来たの?」
「そ、れは…」
「うん」
「その…」
「うん」
「い、言わなきゃだめ?」
「だめ」
「…ぜったい?」
「ぜったい」
「…」
「…」
「……あのね、」
「うん」
「…………こ、」
「うん」
「……こ、くは、くを」
「そう」

ふわり、と風がふいてわたしと綾部くんの髪をふわふわ揺らす。もっとも、わたしは尋常じゃないはずかしさから顔を俯かせていたから綾部くんのふわふわ揺れる髪の先しか見えなかったのだけれど。ばくばく動く心臓の音が綾部くんにまで聞こえているんじゃないかと思って手を胸に当てると、やっぱりまだ繋がれたままの手を綾部くんがきゅっと握った。そして彼から発せられた次の言葉にわたしは勢いよく顔を上げた。

「言ってよ」
「えっ」
「告白」
「…えええ」
「私に告白しに来たんでしょう」
「それは、そうだけど」
「じゃあ、ちゃんと言って」
「うう、」
「ほら、はやく」

そう言ってまた綾部くんはわたしの手をきゅっと握った。意外と綾部くんは、せっかちなのかもしれない。

「あのね、」
「うん」
「わたし、わたしは」
「うん」
「わたし、綾部くんのことが…!」

「すきです」って、やっと言おうとしたのに。言えって言ったのは綾部くんなのに。ぴんっと弾かれたおでこを押さえながらうっすら涙が浮かんできた目で目の前に立つ綾部くんを見ると、綾部くんはそれはそれはとても綺麗に、少しだけ笑った。

「やっと落ちた」


グロリア



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