「いい天気だなあ」

ぽかぽかとした暖かい春の終わりの日の午後、授業の終わりを告げる鐘が鳴るのと同時に教室から出て蛸壺を掘る為に校庭へと向かう。後ろの方から滝が何かを叫んでいたような気もするけど、気がしただけで実際はそんなこと無いのだろうから気にしない。ざくざくと愛用の鋤で土を掘り返していくと、穴の周りにはどんどん土が盛られていって、逆に私はどんどん地中深くに潜っていく。ざくざくざく。土は毎日同じ音しか立てないけれど、私はどうもこの音が好きらしい。何というか、うん、落ち着くんだと思う。何でだかはわからないけれど。

「綾部せんぱーい」

ふと、遠くの方で私の名前を呼ぶ声が聞こえて、蛸壺を掘る手を一旦止めて少し耳をすましてみる。また聞こえてきた声は恐らく兵太夫と伝七のもので、そういえば今日は委員会があるからとお昼に立花先輩から言われていたのを思い出した。何でも町に降りて残り少なくなった白粉やら紅やらを買いに行くんだとか、勿論、女装をして。余りにも面倒な内容の委員会に、このままさぼってしまおうかとも考えたけど、いよいよ弱々しくなってきた後輩二人の声に、私は重い腰を上げて蛸壺から出ようとした。が、そういえば外に出るためのものを何一つ所持していないことに気づいて、思ったよりも深く掘ってしまった蛸壺の中から小さく切り取られた空を見上げた。

「綾部せんぱーい…」

そうしている間にも私を呼ぶ声はどんどん遠くなり、こりゃあまた立花先輩にこっぴどく叱られるのだろうなあと思ってぼんやりと空を見つめていた。ふわふわと流れていく白い雲、遂に聞こえなくなった二人の声、ゆっくりと近づいてくる微かな気配。折角掘った蛸壺をほいほいと用具委員会に埋められてしまってはつまらないから、簡単には見つからないようにとわざわざ滅多に人が通らないような倉庫の陰に蛸壺を掘ったというのに、依織先輩はまるでそれが当たり前とでもいうようにまあるく切り取られた空を背景にふわりと笑った。

「喜八郎見っけ」
「おやまあ、依織先輩」
「兵太夫と伝七が半泣きでお前を探しているよ」
「そうみたいですね」
「早く出てきておやり」
「そうしたいのは山々なんですけれど、どうやら私は此処から出られない様です」
「まったく、ほら、私の手に掴まっておいで」

そう言って穴の外から私に差し出された先輩の腕は驚くほどに細くて、私なんかを引き上げようものなら簡単に折れて仕舞うのでは無いのだろうかと掴むのを少し躊躇った。この手を掴んで良いものか否か。まるで悩み癖のある一級上の先輩みたいに悩み始めた私を見て、依織先輩はまた、くすりと笑うのだった。










「さて、これで全部揃ったしお団子でも食べてから帰ろうか」
「ほんとうですか!」
「うん、立花先輩には内緒だよ」

くすり、毎度の如く美しく女装した依織先輩は細長い人差し指を唇にあてて悪戯っぽく笑った。その素敵な提案に兵太夫と伝七は嬉しそうに笑って、奢りだという依織先輩に遠慮していた藤内も最終的には先輩の押しに負けて照れた様に笑った。女装して町に行こうと言い出した立花先輩は、用事が出来ただとか言って結局今日の委員会には不参加で、こうして二番目に年上である依織先輩が委員長代理を務めているという訳である。やいやいと口論をし始めた兵太夫と伝七を先頭に、それを見て苦笑している藤内と微笑ましそうに笑っている依織先輩が後に続く。学園を出てからもう随分時間が過ぎているだろうに、夏が近づいて来たからか辺りはまだまだ明るい。ゆらゆらと雲が流れていく空をぼうっと見上げながらのろのろ歩いているといつの間にか団子屋に着いていたらしく、早くと急かす様に私の袖を引っ張る兵太夫の隣に腰を掛けた。兵太夫と伝七の口論はまだ続いていたらしく、二人は依織先輩を間に挟んで座って互いに睨み合っている。伝七の隣に座る藤内がいい加減にしなさいと注意すると二人はしぶしぶといった具合に口をつぐんだ。二人してお互いには見えないところで依織先輩の服の袖を掴んで居るのは黙っておこうか、言うとまたこの二人は口論を始めるのだろうから。ほんとうに、似た者同士なんだから。

「はいよ、団子お待ちどうさま」
「ありがとうございます…あれ、お団子多い」
「お前さんたちがあんまり可愛いもんだからねえ、サービスだよ」
「いいんですか?」
「もちろんさ」
「ありがとうございます」

団子屋の粋なおばさんはそう言ってにっこりと笑うと店の中に戻って行き、それに頭を下げた依織先輩は得しちゃったねと言ってふわりと笑った。五本と注文した団子が十本になった、それだけでたまには女装して町に来るのも悪くないかななんて考える私は本当に単純な頭をしているらしい。たっぷりと蜜のかかった見るからに美味しそうな団子を口にしようかとした時に、けほけほと小さく聞こえてきた咳に視線を横にずらす。口元を手で覆って咳をする依織先輩は、咳が落ち着いてくると心配そうに自分を見つめていた後輩たちに大丈夫だと微笑んでいたけれど、正直私の心の臓はばくばくと煩く脈打っていた。低学年の頃から、身体の弱い依織先輩が医務室に入れられて出して貰えないのをよく見ていたから。先輩の体調が少しでも悪くなるとまた医務室に連れて行かれるんじゃないかと不安になる。そんな私の内情を知ってか知らずか、目が合った依織先輩は心配するなとでも言うかの様に優しく笑った。

「さて、もうそろそろ帰ろうか」
「そうですね…あれ?」
「何だお前たち、まだ町に居たのか」
「あ、立花先輩だ!」
「立花先輩はどうして町に居るんですか?」
「なに、ちょっとした用事でな、これから帰るところか?」
「はい、先輩は?」
「私も丁度帰るところだ」

じゃあ一緒に帰れますね!と言って笑う兵太夫と伝七はいつの間に仲直りしたのか、立花先輩の手を引いてきゃきゃと学園に向かって走り出した。それを慌てて追い掛けて行く藤内は随分疲れた様子だけどどこか楽しそうで、団子の勘定を済ませてちゃっかり土産の団子まで貰ったらしい依織先輩もその様子を楽しそうに見つめていた。夕日に照らされた横顔ははっとする程に綺麗で、同時に今すぐにでも先輩が消えて仕舞いそうなくらい儚く見えて私は思わず依織先輩の袖を掴んだ。きょとんとした顔の先輩をしばらく見つめたままでいると、先輩は少し考えた素振りをした後に何時もの様にふわりと笑って見せた。

「帰ろう、喜八郎」

ねえ先輩、私どんな場所に蛸壺を掘ったって必ず先輩が見つけてくれるってこと知ってるんです。土の音が何となく落ち着くのも、蛸壺を掘れば探しに来てくれる先輩に会えるって思ってるから。女装して得をする事が出来るのは、先輩にお化粧や作法を教えてもらったからで。ねえ先輩、私貴方が居ないと駄目なんです。それはきっと私だけじゃなくて、兵太夫も伝七も藤内も立花先輩もたぶん学園の人全部がそう。先輩が居なくなったら全部が駄目になる気がするんです。だから先輩、ひとつだけ約束、その全てを慈しむ様な笑顔をずっとしていてください。先輩先輩、どうか何処にも消えないでください。


101230


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