かたん。
小さく聞こえた音に閉じていた瞼をぱちりと持ち上げる。ぐぐっと窮屈だった背中を上に伸ばすといろんな部位の骨が小気味のいい音をたてて鳴った。ひらりと、昼寝の場所として拝借していた、満開の桜の木から飛び降りてすぐ目の前にある作法室に向かう。兵太夫が仕掛けた絡繰りを避けてすっと襖を開けると、中にいた予想通りの人物に少しだけ口角が上がった。

「こんにちは、長谷川先輩」
「こんにちは、藤内」

色素の薄い長い髪をさらりと揺らして天井から片足だけ吊られてぶら下がっている長谷川先輩は、俺の登場にさして驚いた素振りも見せずににこりと笑った。いつもはその身長差から見上げることしかできないその笑顔を、この瞬間だけは逆さまだけれど見下ろすことができる。たったそれだけのことがとてもうれしくて、俺は滅多に人には見せない大好きな絡繰りを彼に仕掛けるのだ。

「相変わらずすばらしい絡繰りだねえ」
「そう思うならもう少しくらい掛かってくれていてもいいんじゃないですか?」
「そうはいかないなあ」
「何故です?」
「このままでは格好悪いだろう?」

そう言って先輩は軽い動作で身体を2つに折り曲げて、懐から取り出した苦無で片足にくくられた縄をぶちぶちと切る。ほんとうに、もう少しだけ掛かったままでいてくれてもいいのになあ。ていうか、まだ解放してあげませんけどね。すとんと綺麗に着地した先輩を見て、俺の口角はまたにやりと上がった。

「わっ、」
「…」
「…」
「…」
「…………藤内」
「だーいせいこーう」

先輩は見事に俺の二重トラップに引っ掛かってさっきまでと同じように、今度は逆の足で天井からぶら下がった。そんな彼を見て、俺は込み上げてくる笑いを堪えることができずに、つい綾部先輩の口癖が突いて出た口許を手で隠しながらくつくつと笑ってしまった。ああ、この感じ、すごくゾクゾクするなあ。なんて考えている俺は、実はもうすっかり作法委員会の空気に染まっているのだろう。そんな俺を見た先輩は、抵抗することすらせずに両腕を床に向けてゆらゆらさせながら溜め息をひとつついた。その顔にいつも通りの柔らかい笑顔を浮かべて。

「意地が悪いね、藤内」
「俺も作法委員ですから」
「ああ、そうだったねえ」
「先輩だってそうじゃないですか」
「残念ながら藤内、私はそんなに意地が悪くない、よ」

言いながら、先輩は俺に向かって苦無を1本投げ付けた。いきなりの事に驚きつつもそれを避けようと一歩左に足を出すと、あ、という間抜けな声をひとつ残して俺の視界に映る景色は反転する。……やられた。

「形勢逆転、だね」

まだまだ私を嵌めるには及ばないねえ、藤内。そう一言言って俺の視界に逆さまに映る先輩は何時の間にやら俺の絡繰りから抜け出していて、まんまとカウンターをくらってさっきまでの先輩と同じように天井から片足を吊られた俺がキッと睨んで見ても、先輩はやっぱりふわりと笑った。ああもう、意地が悪くないだなんて、よく言うよね、先輩の方が俺よりも十二分意地が悪いくせして。内心そう悪態を突きながらも、楽しそうにくすくす笑う先輩につられて一緒に声を漏らして笑ってしまう俺は、やっぱり長谷川先輩のことが好きなのだ。

「先輩」
「うん?」
「次こそは、泣かせてやりますよ」

もう何回目になるのか分からない宣戦布告をすると、先輩は一瞬きょとんとしたあとに、また俺の好きな綺麗な顔でふわりと笑った。

「それはそれは、楽しみにしているよ、藤内」


101020


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