「泣かないでおくれ」

彼は言いました。
ぼんやりと隈の浮かぶ目を細めて、ほとんど骨と皮だけのようになった細い手を伸ばして、彼はもう一度言いました。泣かないでおくれ、と。
彼の最期の細やかな願いさえ聞くことが出来ずに、私は溢れ流れる涙を何度も何度も拭いながら思ったのです。貴方の方こそ泣かないでおくれ、と。















「雷蔵」

長期休暇も終わりに近い頃、一足早く学園に向かう為に歩いていた道から聞こえた声に、ついつい口角を上げながらくるんと後ろを振り返ると、そこに居たのはやっぱり彼。相変わらずの色素の薄い長い髪をさらさらと風に揺らしてふわりと微笑む依織は、とてとてと小走りになって僕の隣に並んだ。久しく見ていなかった菫色の瞳が柔らかく細められたのを見て、僕もつられてへにゃりと笑った。

「久しぶりだね、雷蔵」
「久しぶり、休暇は楽しかったかい?」
「楽しかったよ、雷蔵は?」
「僕も、楽しかったよ」

村の子供達と遊んだのだとか子馬が産まれたのだとか、そんな他愛もない話をしながら学園に向かって歩く。くすくすと綺麗に笑う依織を見て、どうやら体調は良いらしいとほっと胸を撫で下ろした。ふと、僕と依織が歩いてきた道の逆方向から小さく鼻唄が聴こえてきて、依織と揃って振り向いて見ると、こちらも相変わらずの眩しい笑顔で片手を挙げる八左エ門が居た。ああ、横を歩く包帯の巻かれた狐は学園に連れていくつもりなのかい?彼は一体、学園にどれだけの動物を住み着かせたら気が済むのだろう。まあ、動物に好かれる所も、動物を見捨てられない所も、彼のいい所なのだけれどね。かりかりとしゃがんで狐の顎の下を撫でながらくすくす笑っている依織も、きっと僕と同じことを考えているに違いない。八左エ門がにかっと笑う。

「よう、依織、雷蔵」
「八左、久しぶり」
「相変わらず元気そうだね」
「お前らもな、学園まで一緒に行こう」
「うん、行こう」
「狐もね、八左」

依織のその言葉に八左エ門がぽかんと間抜けな顔をするものだから、僕と依織は思わず小さく吹き出してしまった。それから三人と一匹で学園に向かっていると可笑しなことに、三郎、勘右衛門、兵助と次々に合流していって、いつの間にか僕達は六人全員揃って学園に向かって歩いていた。

「依織依織、狐ばかりでなく私にも構っておくれよ」
「そうだよ依織、久しく会っていなかったというのに」
「三郎も兵助もそんなに引っ付かないでおくれ、足が縺れて転んでしまうよ」
「依織と一緒ならそれでも構わないさ」
「依織、豆腐食うか?」
「ああ勘ちゃん、助けてはくれないかい?」
「放っておいたらいいんじゃない?」
「ええー、もう」

残念そうに、面倒くさそうに小さくため息をついた依織を見て、頭の後ろで手を組んでいる勘右衛門が可笑しそうに笑った。相変わらず三郎と兵助は依織にくっついて離れようとしない、八左は狐に夢中だ。戻ってきたこんな馬鹿みたいな日常が愛しくて、同時に少しだけ恐ろしくなった。いずれは忍として生きていく僕達はこのままずっと一緒になんて居られない。そんなこと皆ちゃんと知っているはずなのに、近づき過ぎるのはお互いにとって良くないと理解しているはずなのに、何時もと何ら変わらない彼らの様子を見ると、何時までもこうして六人で並んで笑い合っていられたらいいのにと願ってしまう。

「雷蔵?」
「…来年も、」

この道を六人で。そう続けた僕の言葉はいきなりの突風に掻き消されて、三郎と兵助に解放されたらしい依織があわあわと乱れた髪を直すのを見て、僕は小さく笑った。先のことなんて今はまだぼんやりとしているから、何時何処で何が起こるのかなんて誰にも分からない。もしかしたら明日にでもこの日常が崩れ去ってしまうかもしれない。だからこそ余計に僕は願ってしまうのかもしれない、何時終わるかも分からない明日を、大好きな仲間と共に生きられるようにと。
畦道の向こう側に学園の門が見えて、事務の小松田さんがこちらに向かって大きく手を振っている。今日から忍術学園での五年目が始まる、僕達はまた一歩忍に近づく。久しぶりに帰ってきた学園の門は相も変わらずどっしりと僕達を迎えてくれていて、誰からという訳でもなく僕達は目が合うなり学園に向かって全員で走り出した。
ただいま、僕達を当たり前の様に共に居させてくれる場所。


101020


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