まるで子どもみたいに
なんだこの状況。
目の前の景色を見ながら虚ろな瞳でチョロ松はそう考えた。



少し前、バイト探しから帰ってきたチョロ松が自宅の居間に入るとそこには自分と同じ顔の兄、おそ松。
相変わらず仕事を探さない兄に苛立ちを覚え文句を言おうと思ったが、高い声に遮られた。

「チョロ松お帰りー。今日もお疲れちゃん」

ひらひらと手を振りながら労いの言葉をかけてくれたのは幼馴染のななしだ。

「あれ、ななし来てたんだ。仕事は?」

「昨日今日と連休なんだ。明日からまた地獄」

やだわー、と首を振りながらそう言う彼女は自分達と違ってちゃんと働いている。
そんな現実を突きつけられた気がした。
すると、寝っ転がって携帯をいじっていたおそ松がいきなり起き上がり叫ぶ。

「ななし、腕相撲やろうぜ!!!」

その言葉にななしとチョロ松は思わず固まった。

「相変わらず小学生で止まってんのねあんた…」

「おそ松兄さん…なんで腕相撲なんて……」

「えー、いいじゃんやろうぜーななしー」

駄々をこね始めたおそ松に彼女は頭を押さえながら息を一つ吐く。

「わかったわよ…でもさぁ勝てる訳ないじゃん。おそ松、昔っから力強いんだから」

伊達に長年幼馴染をしている訳ではない。おそ松は昔から力が強く喧嘩も強かった。
兄弟ですら敵うか危ういのに女の自分に勝てるわけがない。メリットもない。

「じゃあハンデつけてやる」

「ハンデ?」

「始めてから1分間、俺は力を入れない」

「えっ」

「いや、それ絶対兄さん負けるでしょ」

ハンデと言うよりほぼ勝ってくださいと言ってるようなものだ。
それでもおそ松は余裕な表情をみせながら笑う。

「その代わり、俺が勝ったら一つ言う事きいてな」

「すっごく嫌な予感しかしないんだけど…」

「俺も…」

「いやいや、俺にもななしにもメリットがあるんだよ」

「そうなの?」

「おう。俺の童貞やるからお前の処女をくれ!!」

右手をぐっと握りながら瞳を輝かせるおそ松にななしのビンタとチョロ松のチョップが炸裂した。

「最低だよお前!ななしになんのメリットもねぇっ!!」

「馬鹿なの!?っていうかなんで私がし…処女って知って……っ」

怒鳴りつけるチョロ松と赤くなってしどろもどろする彼女におそ松は頬を押さえながら真顔で言い放つ。

「何で知ってるって言われても、長年一緒にいるからわかるっての。チョロ松もわかってたんだろ?」

真っ赤な顔のままななしがチョロ松の方を向けば、同じように顔を赤くした彼が顔を逸らした。
やっぱり知ってたのか。なんでそんなプライベートなことまで筒抜けなんだ。

「じ、じゃあ…私が勝ったら私の言う事一つ聞いてくれるの…?」

「物によっては却下するけどな!」

「鬼だ!!!!」

まあまあ、とおそ松に腕を引かれななし強制的にちゃぶ台の前に座らされる。
そしておそ松が彼女と向かい合うように座ると手を差し伸べ一言。

「さあ、楽しいゲームしようぜ…?」

「(カラ松じゃないんだから…)」

ななしは助けを求めるようにもう一度チョロ松に視線を送る。
すると、チョロ松が彼女に耳打ちした。

「ななし、いいか1分以内に絶対勝つんだ。俺がちゃんと審判してるから、ズルはさせない」

やはり兄には敵わないと言う事なんだろうか。助け舟のようで全然助かってない。
彼女も諦め、おそ松の手を握る。

「絶対負けない…!貞操を守ってみせる……!!」

鋭く睨むななしにおそ松は不穏な笑顔のままその手を握り返した。
チョロ松が時間を測るためにスマホを出す。
そして、二人の手の上に自分の掌を重ねた。

「よーい……始め!」



****

そして冒頭に戻る。
何故チョロ松がそんな顔をしているのかと言えば、勝負が始まった瞬間からおそ松の所謂「言葉責め」が始まったのだ。
チョロ松の手が離れた時、ななしは精一杯の力を腕に込めようとした。しかし────

「なぁななし。お前って可愛いよな」

「はっ!?」

いきなりだった。普段からこの男はななしに対して「可愛い」など一度も言ったことがない。
むしろ男友達と一緒にいるんじゃないかってくらいにさっぱりした関係だ。
思わず腕の力が緩んでしまう。「…あんた何言って」

「いや?前々から思ってたんだよ」

だって…とおそ松が一旦息を吸うとそこからはまさにマシンガン。

「お前小さいし何気に華奢だよな?自分の事男っぽいとか体型とかも悩んでたけど俺からみたらただの可愛い女の子だ。
その割に出てる所はちゃんと出てる。あと柔らかいよなーほら今握ってる手とか。
あ、むしろ俺達ちゃんと手握ったの初めてじゃね?やっぱり女らしいよなーふわふわしてるし。
ほら、指も細い。っていうか手小さいな!恋人繋ぎとかしたら俺の手にすっぽり入っちゃうんじゃない?
あー、だめだななし可愛い超可愛いそのまま抱き締めたいわ」

出てくる言葉はほとんど告白に近いものだった。
ななしも普段からそんな事言われ慣れていないのと、ずっと昔から一緒にいた幼馴染の心の内がわからず混乱する。
一回引いた頬の赤みがまたよみがえる。

「ななし!45秒切った!!早く勝たないとその狼に喰われるぞ!!!」

呆然とそんな戦いを見ていたチョロ松だったがやっと意識が現実に戻ってきた。
そしてスマホを見ればタイムリミットはあと15秒。
やっとの思いで紡ぎだした彼の言葉にななしは震える手に力を込める。
ぐっ、とその手を押せば横に倒れる。おそ松の顔は見えない。いや、見れない。
そして、彼の手がちゃぶ台につきそうになった瞬間、おそ松が彼女の名前を呼んだ。
ななしは顔をあげ彼を見る。
そこにはいつものおちゃらけた彼ではなく、見たことのない男の顔をした幼馴染。

「ななし好きだ。ずっと、ずーっと好きだった」

ななしもチョロ松も時が止まったようだった。
彼女の手の力は完全に抜け、チョロ松の手からスマホが落ちる。
そして響く1分を告げるアラーム音。それを聞いた瞬間におそ松の瞳がギラつきそして────

「もらったあああああああ!!!!!!!!!」

一気に腕に力を込め彼女の手を押し返し、痛いくらいにその小さな手をちゃぶ台に叩きつけた。

「お……おそ松兄さんの、勝ち」

チョロ松の間の抜けた声だけが響いた。


****


「ひどいよおそ松!あんなの反則だ!!」

「なんでだよ。1分間は力込めなかったろ?ちゃんと守ったじゃん」

「そうじゃないよ!なんであんな、あんな心にもない事……」

そこまで言うとななしの顔がくしゃりと歪んだ。

「私だって女だから、あんな事言われたら…期待しちゃうじゃん……。なんで、そんな………」

泣きそうになってる彼女におそ松は頬を掻いた後、ななしの頭をぐしゃぐしゃと撫でまわす。

「ちょ、やめてよ!」

「あのなぁ!!」

少し焦ったようなおそ松の声に、ななしが視線を向ける。
そこには少し赤い顔の彼がいた。そして叫ぶ。

「好きじゃなかったらあんな事言わねえよ!!俺だってそこまでクズじゃねえよバーカ!!!!」

本当に小学生から何も変わってない、この男は。
器用にみえてなんて不器用なんだ。

「私だって好きだよばか」

泣きながら答える彼女もまた、不器用である。


****

チョロ松は部屋を後にした。その顔は絶望そのものだ。
何故自分は兄と幼馴染の告白現場に立ち会わなければいけなかったのだろうか。
今日は両親はいない。他の兄弟もまだ帰ってきていない。
チョロ松は真顔でスマホの画面を滑らせ、他の兄弟へとメッセージを送った。

『○時にチビ太のおでん屋に集合。おそ松兄さんとななしが恋人になった』

そして少し荒々しく引き戸を閉める。
今日の酒盛りは一層荒れる気がする。主に全員が。

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タイトルは「ひよこ屋」様より
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