やるときはやりますよ

カチカチと鳴る目覚まし時計の音がやけに大きく聞こえる。
一定のリズムを奏でるそれを聞きながらななしはスマホの画面を指で滑らせ顔を顰めた。

「…一松が来ない」

不服気にベッドを背もたれ代わりによっかかると大きくため息がこぼれる。

「あいつが気まぐれなのはいつもだけどさあ…」

それにしては遅すぎないか。
ななしがもう一度スマホの画面へ視線を戻せば短い文。


『今からそっち行く』


その文の横に表示される時刻は約2時間前。
今から、とは。松野家からここまで30分もかからないはずなのに。

「多分またにゃんこと戯れているのかなー」

前にも何回かこういう事はあったのだ。一松が猫と遊んでいて待ち合わせ時間に来ない事が。
決して少ない数ではない。彼女よりにゃんこを取るのかあの男は…!

でも流石に遅すぎる。電話してみようか。
そんな事を云々考えていれば不意に耳に入るチャイムの音。
ななしはパタパタと玄関へ速足で駆け寄り、扉を開ければそこにはいつもの紫の服を着て猫背な彼が。
遅くなったことに一つ文句を言ってやろうと口を開いたが言葉は出てこなかった。

「…何」

いつも通りの気怠げで光の少ない瞳、ぼさぼさの頭。けれどよく見れば全身泥だらけではないか。

「…えっ、ちょ、大丈夫一松!?喧嘩?喧嘩したの?!なんでこんな泥だらけ…け、怪我は」

「ちょっと声のボリューム下げなよ。近所迷惑」

指で耳をふさぐ仕草をした後、彼は低い声で言う。
そうだ、ここは私の部屋の玄関。アパートなので周りに迷惑がかかってしまう。

「と、とりあえず中入って!」

彼の腕を引っ張り込めば扉は少し錆びた音を立てて閉まった。



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「で、なんでこんなに汚れてるの…?」

先程彼の顔やら腕やらを見たが目立った傷はなかった。しかし明らかに泥や埃がついている。

「あー…なんていうか、」

「?」

「少し高めの猫缶買えたからいつもの奴に食わせようと思った」

「ふむ」

「そして缶開けたら……大量の猫に飛び掛かられて転んだだけ」

複雑な顔をしながらも猫を沢山もふもふ出来たことは嬉しいようだ。
ななしは一瞬ぽかん、とした顔をした後にぷふっと笑い出す。

「なんだ結構まぬけなりゆ、いひゃい!ほっへはひっひゃははいへ!!!」

笑われたのが癪に障ったのか一松はななしの頬を両手で包むとそのままむにーっと横に引っ張る。
ギブギブ!と彼の胸を軽く叩けばあっさり彼の拘束は解けた。

「痛かった…。まあ怪我無くてよかったよ。でも汚れがひどいからお風呂入る?」

この言葉に一松は一瞬驚いた顔を見せたがすぐにいつもの無気力へ戻る。
しかし、口元は緩くニヤついていた。

「なに、洗ってくれんの?」

そう言って彼女の腕を引っ張り自分へとより近づけさせる。
ななしは真っ赤になり顔を横に振った。

「な、な…!お風呂くらい自分で入れるでしょ!!」

「じゃあ入らない」

「はぁ!?」

「一緒に入るなら入ってもいい」

なんだこの駄々っ子…!とななしはくらりとした眩暈をおぼえた。
こうなった一松は絶対引き下がらないのを知っている。
彼女は大きく息を吐き出すと観念したように彼の瞳を見つめた。「あーもう、わかりました!洗います!!」

すると、待ってましたとばかりに一松はななしの腕を掴んだまま風呂場へと直行する。

「ちょ、私濡れてもいい格好するから離して!」

「は?何言ってんの、いらないでしょそんなの」

「洗うだけだよね!?」

「…風呂は服を脱いで入るって習いませんでしたあ?」

間延びしたような完全に馬鹿にしている口調に逃げ場が無くなってしまった。
頼むから何も起きませんように、そう願う事しか彼女にはできない。
ななしの腕を掴む一松の手は、いつもより体温が高い気が、した。



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タイトルは「ひよこ屋」様より
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