ズキズキと口端が痛む。
畜生、この犬っころ。この俺に噛みついてくるなんて良い度胸してるな。俺を殴れるなんて滅多にねぇし。つかもう二度とねぇし。
なにが奴の癪に触れたかは知らないが、瞳孔の開いたこいつを見た。そしたら身体が動かなくなっちまって──うーん…油断してたな。
一応格闘技を習っていた俺にとって、素人のパンチをくらうのは屈辱以外の何物でもなかった。あームカつく。避けられなかった自分に腹が立った。
俺に噛みついてきたもじゃ犬は、今じゃ大人しく耳を垂らした雌犬のようになっちまっていた。


始業のチャイムが聞こえた。でも構いやしねぇ。これは授業なんかよりも大事だから。俺はそう考えていた。
ちらりと後ろを見る。奴は下を向いていて顔色が伺えなかった。まあ良いや、と再び前を向く。そして独り言のように呟いた。


「俺さ、」

恋愛とか疎いんだよね、


返事がない。まるで眠っているようだ。でもこれはあくまでも独り言なので気にせず続けた。


「でもどんなに疎い俺でも分かるぜ、今のお前らに何があったのかなんて。どーせお前ともう1人のもじゃが空音のこと取り合ってお前が負けたんだろ」

「……ちげーよ」


ここで初めて後ろから声がした。蚊の鳴くような弱々しい声だった。


「最初からかずおと勝負なんかしてねぇよ。勝負する前に負けた。ぼろ負けだよ」

「…」

「何でだか教えてやろーか、空音ちゃんがかずお一筋だからだよ」



ヤケクソになった犬はそう吠えた。


屋上に着けば、嫌になるくらいの青空が視界いっぱいに広がった。手を離し、背を向けたまま俺は言った。


「今のお前にはまじでガッカリだわ」

「…あ?」

「俺、結構お前に憧れてたのにな」

「んだよ急に…」


振り返って見るとそこにはとんだマヌケな顔。最高に笑えた。


「お前が俺を助けてくれた日、」

「…」

「あん時からお前は俺の中の英雄だったんだぜ」

「…は、なんだそれ…」





あの日、俺は中学ん時の最悪な面子に出会った。俺を虐めていた奴らだった。バレないようにしていたつもりだったのだが、何かしらの俺の癖が出ていたようで見つかった。
絡まれてる俺を助けてくれたのが茶色い天パだった。見ず知らずの奴を助けられるこいつに一瞬で憧れた。でも俺は素直になれなくて、つい強がった態度を取ってしまった。悪い印象を与えたに違いない。だけどこの人にどう思われようと、俺にとってのヒーローには違いなかった。

それなのに、今その人が──なんてザマだ。




「憧れていた奴がこんな負け犬だったなんて、自分が恥ずかしいよ」

「っ…」

「俺は虐められてる自分が嫌で変わったんだ。あくまでも外見だけだけどな。一応空手も出来るけど、中学ん時の奴らは殴れない。まだメンタル面が成長してねんだよ」

「…」

「でも俺はいつか絶対、俺を虐めていた奴らをぶん殴る。だからお前も殴って良いんだ。それが例え俺だろうが、あのもじゃもじゃだろうが、空音だろうが。間違えてる奴がいたら殴って道を正してやれよ」


なんとなく俺の口が綻んだ。

目の前の天パは何故か馬鹿みたいに涙を零していた。
驚いた俺は慌てふためいて、奴に近付く。だが、見んな、と払われた。




「──変わるのに、焦る必要なんかねーから。ゆっくりで良いから」

「…ありがと、」


鼻を啜る声に混じって聞こえたお礼の言葉。
…びっくりした。
まさか礼を言われるなんて。火照った顔を隠そうと後ろを向いた。


「こっ、これであん時助けられた借りは返したからな!」

「はいはい」

「──…俺、お前のこと嫌いだけど応援はしてるから。──ユキト、」


そう呟くと、名前知ってたのかと言われた。
ばーか。





名前くらい知ってるよ










12.0217
ユキヒカうめーですもぐもぐもぐもぐ(*´A`)

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