「あんたって本物の馬鹿」


わざとらしくそう言うと、返事の代わりに咳が返ってきた。それを聞いてあたしはため息。
だっておかしいでしょ、ねぇ?と顔で隣の茶色い天パに訴える。そいつは聞き返すように頭を傾げた。だから、え?あたしがおかしいの?ともう一度訴えると、空音ちゃんは悪くないよと言われた。顔で。ちなみに長年一緒に居れば顔で会話も出来るって事は常識だよね?



「おいかずお。空音ちゃんがお前に言いたい事あるって」

「ん、なに空音」




「──なんで新学期始まって一週間で熱出して寝込んでんのよおお!!!」

「ちょっ、空音うるさい!俺だってまさか風邪引くなんて思わなかったよ!」




幼なじみのもじゃもじゃしてる奴が風邪を引いたようです。










リズム良く秒針の音を奏でる時計に目をやったユキト君は、少々落ち着きがなくなった。最初は足が痺れたんだろう程度にしか思っていなかったのだが、どうやら違うらしい。ごめん、と何故か謝られたので気付いた。


「なに、どうしたの?」

「俺さ、実は母ちゃんに頼まれて郵便局に行かなきゃないんだよね。だからもう帰るよ」

「あ、そうなの?分かった、じゃあまた明日。学校で」

「…空音ちゃんは?まだ帰んないの?」


ドアノブに手を掛けながら此方を振り向く茶髪に、かずおの両親が帰って来るまで居るよ、と言った。


「…そっか、分かった。んじゃ学校で。くれぐれもそのもじゃもじゃウィルスに感染されないようにね」

「なにそれ、大丈夫だよ」


歯を見せながら笑う。そしたらユキト君の表情も綻んだ。
バイバイ、と手を振り合ってから扉が閉まった。パタン。その音を合図にしたかのように静寂に包まれた。

──かずおと一緒なのに沈黙なんて珍しいな、

捲れてる自分の服の裾を直しながら思った。
いつもはかずおが一人で喋って、あたしとユキト君が突っ込んで、三人で笑って盛り上がる。だからこんな沈黙は何だか耐え難くて。


「…大丈夫?」


高熱でうなされてるから大丈夫な訳ないのに。分かっていても“大丈夫?”以外の言葉を見付けられなかった。あたしはなんて無力なんだろうと泣きたくなった。

でもその一方でまだかずおの隣に居られる安心感に浸っていた。今、この時だけは桜井杏さんの事を忘れてあたしだけを見ていて欲しい。

今、かずおの隣にいるのは空音なんだよ。

自分に言い聞かせる度に感じる愉悦。泣きたいのとは裏腹に大声で誰かに伝えなくなった。




「…そ、らね、も帰って良いよ…風邪、う、つるか、ら…」


途切れ途切れになりつつもあたしを気遣う言葉。馬鹿じゃないの、と小さく言う。今は自分の心配をしなさいよ。


「気にしなくて良いから、あんたは大人しく寝てなさい。何かして欲しい事とかあったら言ってよね」

「……ありがと。俺、本当に空音が居ないと駄目だわ」


細めた目な少々赤みを帯びていて。それは熱のせいだからって自分に言い聞かせて。胸の何処かが痛むのは気のせいだって思い込ませた。

でもやっぱさ。
好きな人に好きな人がいても、隣に居られるのって幸せなんだと思う。





例えそれが自己満足でも






2011.1117


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