風と共に舞い上がった埃に激しく咳き込んだミツバ。膝に力が入らなくなりその場に崩れ落ちる。が、その体は地面に倒れ込む直前に力強い腕に抱き止められた。 「ミツバっ!!!!」 初めて聞くはずなのに、何故か聞き覚えのある低音。ミツバはぼんやりと視線を上げた。 「大丈夫か?オイ!」 闇夜を連想させる漆黒の髪と瞳。必死な声は、自分の膝の上で丸くなる黒猫の鳴き声の響きと似ていた。 「と、しろ…さん?」 「っ、…ああ。大丈夫、すぐに病院に連れていく。」 無茶しやがって。と吐き捨てた男。確かに色は同じだが、 「ほんと、に、?」 ミツバの問いに、男はまっすぐ答えた。 「土方十四郎、お前らのいうところの、天人だ。」 いいからもう喋るな、頼むからと押さえた声で言った男は、とりあえずミツバを手近のベンチに仰向けに寝させ、ボロボロの着流しを羽織った。と、そこで気づく。 「あー、まずった。」 人間の姿で全裸はマズイと思って咄嗟に着たのだが、帯的なものがないためどっちにしろ色々マズイ。こんな格好のままでは変質者として捕まりかねない。 「っと、しろさっ、」 コンコンと先程より幾分落ち着いた咳にほっとしながら一刻も早く病院に行くべきだということを思い出した男…土方は崩れた塀に絡めてあった黄色と黒のロープを剥がし腰で結ぶと。ミツバに歩みよりそっと足の下と背中の辺りに腕を差し入れた。 「わりぃ待たせた。その、総悟と近藤さんとこに行くぞ病院にいんだろ。」 「えぇ、勝手に…抜け出したからっ…きっと怒られちゃうわ、ね。」 ぐったりとしたミツバはやはりキツそうで、土方は勢いよく抱き上げるとそのまま暗闇に向けて走り出した。 ******************** 「近藤さんっ!!姉上が、姉上がいないんでぃ!病院から、今電話が来たんでさぁ!」 夜中、近藤は電話越しの総悟の悲痛な声で飛び起きた。昼過ぎに総悟が連れ帰ったミツバは、体調を崩して熱まで出た。出歩ける状態ではないはずなのに何故、と思いながら今にも泣き出しそうな総悟に出来るだけ力強い声をかける。 「大丈夫だ。総悟、きっとすぐにみつかる。」 とりあえずすぐに病院に行こう。と言って電話を切り、近藤は刀だけ持って家を飛び出した。 「総悟!ミツバ殿は、」 「いやせん、姉上っ!!あんな体でどこに、」 「とりあえず近くを探そう」 必死で泣くのを堪え頷く総悟。早く見つけ出さなければ、と思い必死に駆けるが時間が焦燥とともに過ぎるだけでミツバは見つからない。 「姉上っ、どこに…」 「どこが他に、ミツバ殿が行きそうなところは。」 2人の脳裏に黒い獣が横切り、まさかと顔を見合わせた。ありえない、でも、他にもう心当たりがない。 ミツバを探すとき、頭に思い浮かびさえしなかった。むしろ真っ先に外したあの小さな公園。だってあの公園は、大人の足で30分以上かかるのだ。高熱を出した少女が、歩いて行くわけがない。そう思っていた。 「ありえやせん、」 「でも、他に行きそうなところはない。」 その時だった。大きなバタバタという足音が聞こえ、同時に静まり帰った夜の空気を、知らない、でもどこが聞き覚えのある男の声が切り裂いたのだった。 「近藤さん!総悟!ミツバがっ!」 ******************** 素足で道を蹴った。ミツバは朧気な視線で俺を見ていた。時々咳き込む度に「へ…き、よ」と掠れた声で呟くのが痛々しい。息が切れるが構わずに「大丈夫、もうすぐだ」とか「いいから喋るな、頑張れ」とか言い続けたから肺と喉がヒリヒリした。視線が高くなり、慣れない2本足に縺れる足を叱咤しながら闇夜を駆ける。早く速く、急がなければ。 必死に近藤さんや総悟のニオイを辿った。段々近づいてきたニオイの根源。俺は、堪らず大声で名前を読んだ。 「近藤さん!総悟!ミツバがっ、」 大変なんだ、早く来てくれ。足を止めずに何回も叫んだ。 「ミツバ殿!?」「姉上っ!!!!」 やっと見つけた2人はまず腕の中のミツバを見て、訝しげな視線を俺に送った。 「お前誰で「俺のことはどうでもいい!早くミツバをっ。病院、病院はどこにある!」 「話は後だな。こっちだ。」 案の定突っかかってきた総悟を大声で黙らせると、こちらをじっと見ていた近藤さんが声をかけてきた。あとはまた、ひたすら走った。 「ミツバ殿を助けてくれたんだな。礼をいう。」 「よかった、大丈夫なんだな。」 初めて入った建物「病院」の中。ミツバの命に別状がなかったことを知らされた俺は、思わず、廊下に座り込んだ。 「で、一体アンタは誰なんだ?どうしてミツバ殿を、」 聞かれると分かっていた質問。口の中がカラカラになったような気がして、唾を飲み込んでからそっと口を開いた。 「…俺の、名前は土方十四郎。あの公園に住んでいた天人、だ。ミツバが来て、倒れかけて、助けねえとって、で気がついたら、人に…。ニオイを辿って、ここまで来た。」 近藤さんは、目を見張って一言ポツリと呟いた。 「ト、シ…?」 ああ、やはり天人はよく思われないのだろうか。彼らにも、拒絶されてしまうのだろう、か。やはり俺なんか、ぎゅっと目を瞑って身構えた俺が感じたのは、肩に乗った、暖かい大きな体温だった。 「こんど、さん?」 「トシ、トシ、ありがとう。ありがとうな。」 ミツバ殿、もう少し遅かったら危なかったんだそうだ。本当に、ありがとう。 ぐっと力を込められて、その言葉の意味を理解した俺は、心から安堵し、同時にぞっとした。もし、あのまま何も起こらなかったら、ミツバは。 「よかった、本当に。」 気を抜いた俺は、その場で意識を飛ばした。なんだか、ひどく疲れた気がする。ちょっとだけ、休ませて欲しかった。 「トシが、天人だったなんてな。」 な、総悟。と話しかけられドアの影から出てきた総悟は、近藤の腕の中で気を失った黒い猫を見て気に入らねー、とだけ呟いた。 「そんなこと言うな。トシはミツバ殿を助けてくれたんだぞ?」 「そりゃそうですが…でも姉上が公園に行ったのだって、コイツのせいでぃ。」 「総悟。」 「…一応、姉上を運んでくれたことには感謝しまさぁ。」 「総悟…。」 憎まれ口を叩く総悟の目は真っ赤で、近藤は敢えて触れることなくそばに着いててやれ、と肩を叩いたのだった。 「ありがとうね。十四郎さん。」 ミツバに礼を言われたのはその2日後。電車に乗って次の街に行くという2人を見送るために、近藤さんと駅に来た時だった。 「次の街では脱走すんじゃねーぞ。」 「そうね。気を付けるわ。」 ふふふと笑う彼女は幾分顔色がよくなって。ふっと笑うと隣に立っていた総悟がむっとした顔で口を開いた。 「姉上はちゃんと俺が面倒見やす。つーか見下ろしてんじゃねーよ土方コノヤロー。」 「んだと総悟コラ。」 「コラコラ止めないか。別れの時に。もー。」 「何お母さんぶってんだよ、近藤さん。」 アンタはそんなキャラじゃねーだろ。と思ったことを口にすると、近藤さんは何故だかしくしくとかなんとか言いながら顔を覆ってしまった。首を傾げたら、ミツバにクスクス笑われた。 3人は、俺のことを知っても態度に変わりはなく、むしろ喜んでくれているらしい。猫の時でも人の時でも全く変わらない3人と一緒にいるのは、酷く心地よかった。 まぁ、その時間もすぐに終わりを迎えてしまったのだけれど。 「あ、そうだ。」 もうすぐ電車に乗らなければいけないというときになって、ミツバがおもむろに口を開いた。 「いつか、また4人でお花見しましょう。」 ね。いいでしょう? と右手を差し出した。首を傾げる俺に、右手の小指。と言うが早いか白く細い指を絡めた。 「ほら、勲さんもそうちゃんも。早く早く!」 急かされて更に太い近藤さんの指と総悟の細長い指が絡まった。 「ゆーびきーりげーんまん 指きった!と言って指を放したミツバは、約束よ?と笑って、総悟とともに電車に乗り込んだ。 電車が見えなくなるまで見送ってから、俺は思わず口を開いた。 「アレって、病気治して戻って来るってことだよな。」 「たぶんなー。ミツバ殿は強いな。あ、俺も時間だ。」 「そう、か。」 「せっかくトシと話せるようになったのに、勿体ないな。」 「…言ってる場合か。爺さん大変なんだろ?」 「だな。じゃあ、達者でな。」 「あぁ。近藤さんも」 それじゃ、と手をあげて近藤さんも逆方向へ向かう電車に乗り込んだ。 そして俺はまた一人になった。 暖かい思い出と約束を得た俺は、ことあるごとに思い返しては冷たい孤独を耐えてきた。約束を信じるから、少しだけ公園から離れ難く思うようになったのだけど。 桜を見上げると、そろそろ蕾がつこうとしている。あれから幾度目かの春。3人からの音沙汰はない。まぁ、連絡手段もないのだけど。 毎回密かに落胆していた春。今年は既に先約が入っている。 「でっけー桜だな。あ、咲いたら花見しようぜ。団子くらいなら持ってきてやらぁ」 「…にゃう」 やっぱり人を信用するのは怖いし不安になることもある。今んとこアイツら以外に人の姿を見せたりするつもりもない。 でも、薄桃色と銀色が青空に映える様は、ほんの少しだけ楽しみだったりするんだ。 |