月に咆える | ナノ



「にゃー」

「ふふ、こんにちは。十四朗さん。」

夏も過ぎ、秋も終わろうかという頃。そろそろ冬がやってくる時期なのに、公園にミツバ1人でやってくることが多くなった。


「にゃァ?」

「そうちゃん達は道場で稽古中なのよ。一人は退屈。だからきちゃった。」


総悟の背がどんどん伸びて、近藤が筋肉で一回りでかく硬くなったのに反比例するように、ミツバの腕は細くなって、最近は顔色もよくない。病気がよくなっていないのに一人で出歩くのはよくないと、何度も近藤にさんに注意されているのを見ていたし、俺もそう思っていた。でも人の声を持たない俺にはミツバを諫めることはできなかった。


「随分と寒くなってきたわね。木も葉っぱが全部落ちちゃった。」

「にゃう」


ミツバの白い手がゆっくりと背中を撫でる。俺がわざわざベンチに座るミツバ膝の上に乗っているのは、ミツバが寒いからだ。時々コンコンと咳き込むのは、やはり心配だ。
「十四朗さんは温かいのね」と笑う彼女に、俺は少しだけ目を細めながら顔を背けた。


「あら、もうこんな時間。帰らなきゃそうちゃんと勲さんに怒こられちゃう。」

日が暮れようという頃そう言って立ち上がったミツバに、俺は一声鳴くと背を向けた。また来るわねと言う声に、あまり無茶すんなよと尻尾を揺らすとクスリという笑い声が聞こえた。


最近近藤と総悟はここにあまり顔を出さない。修行を頑張っているらしい。ミツバが毎日のように話をしにくるから寂しくはないし、むしろ彼らが自分の決めた道を進むのは嬉しかった。でも同時に、技をみがき強くなれる彼らが羨ましいと思った。
思ったところで刀を持つための手も何かを守るための腕も、自分の道を歩くための足も、彼らと語らうための声すら、俺にはないのだけれど。



別れは唐突に、俺から暖かいすべてを奪い取っていった。



本格的に寒くなると、ミツバの顔色はますます悪くなった。
ある日、とうとう総悟が迎えにやってきた。

「あらそうちゃん。稽古は終わったの?」

「姉上っ!外出歩いちゃ駄目だって言ったじゃないですか!」

「ちょっとそうちゃん!」

「駄目です。お体に障りやす!さ、行きやしょう。」

「っ十四朗さん、ごめんなさいね。」


総悟はミツバの手を引いて帰っていった。近藤さんが公園にやってきたのはその日の夕方だった。


「トシ、ミツバ殿が倒れた。」

「!?」


近藤さんによると、寒いのに長時間外にいたために症状が悪化したらしい。そういや今日は、いつもより激しく咳き込んでた、な。ドクドクと心臓が嫌な音を立てた。


「俺らは、もうここには来られない。」


症状が落ち着き次第、病院を移るらしい。南の街の病院を紹介されたのだという。総悟も、付いていくと言ってきかないらしい。
俺も、じいさんが倒れちまったんだ。ぽつりと呟きに顔をあげると、見たこともない近藤さんの苦しげな顔。

「にゃ…」

「もう長くないから、早く帰ってこいって連絡があったんだ。」


しょうがないんだよ、トシ。悔しそうにそう言った近藤さんは、大きな手でぐりぐりと俺の頭を撫で回してから立ち上がり、無理矢理笑顔をつくって言った。


「じゃあな、トシ。元気でやれよ!」

「にゃぅ」近藤さん…


そうして、近藤さんは公園を後にした。

いきなり告げられた3人との、別れ。


ガンガンと胸を打つこの気持ちはなんだろう。わからなかったけれど、何故だか無性に、泣きたくなった。



********************


昼間は太陽によってある程度暖かくても、夜は冷え込むこの季節。寝床となっている低木の下には、この前近藤さんがくれた濃紺の着流しが丸まっていた。

「どうせあとは捨てるだけのボロだし、そろそろ夜は冷えるだろう?」と押し付けられたものだ。ちゃんと洗濯したらしくニオイはないし、朝夕冷えるのも事実だからありがたく使わせてもらっている。そこに丸まればいつもは直ぐに眠りにつけるのに、今日は妙に目が冴えていた。
空には月が浮かんでいたが薄く雲が掛かっているためにその輪郭はぼやけていた。


ザリッ、


小さな足音はやけに響いて耳を刺激した。こんな夜中にこんな場所に来るなんて、酔っ払いだろうか。いや、それにしては様子が変だ。寝床に丸まっていた俺は、コンコンいう音に、ずっと聞きたくないと思っていてでも聞きなれてしまった音に飛び起き、急いで草むらから転がり出た。
ドクドクと嫌な音で心臓が鳴るのを感じながら、勘違いであってくれと願いながら辺りを見回した。そして目に入ってきた見慣れた栗色の髪に、寝ぼけた俺が見ている幻想であればいいと思った。


「と、しろーさっケホッ」


冷たい夜風は容赦なく雲を流していて、ドクドクとすごい勢で動く心臓は、痛いくらいで。夢であってほしいと思った俺に、現実を突きつけた。

そこには、ミツバが立っていた。


「に、にゃう」なんで、お前がここにいるんだ。

「しんぱい、してるかなって、おもっ」


ごほごほと酷く咳き込みだしたミツバに思わず駆け寄った。

なんで俺には人の腕がないんだ。背中を刷ってやれればきっと少しは楽になるのに。なんで俺には人の腕が、足がないんだ。それさえあれば、直ぐにこの小さな体を病院まで運んでいってやれるのに。なんで俺には人の声がないんだ。早く、早く助けを呼ばないと、ミツバが。


「にゃ、にゃああ!」

「だい、じょーぶ、だから、泣かない、で…?」


大丈夫なわけがない。だって俺の頭を撫でる手は、こんなにも熱くて、小さく震えている。いつも儚げな笑顔を浮かべていた顔がそんな苦しそうな表情に歪んでいるのに、うっすら涙が浮かぶ瞳は痛ましく歪んでいるくせに、無理して大丈夫なんて言うな。

ドクドクと鳴り響く心臓、見上げたミツバの顔越しに見える流れの早い雲に、焦りのみがただただ募る。


「きょ、は、ごめっ…私は、大、丈夫っだから、」


苦しそうに息継ぎしながら、ミツバは言葉を続ける。それは、紛れもなく俺の不安をなくそうとするもので。その事に気づいて、愕然とした。

俺は、こんな状態の女に、心配されるような生き物なのか。友だと思っていた大切な女が、こんなに苦しそうなのに、何もできずに、ただ庇護されれるだけの生物なのか。
それでは本当に、ただの愛玩動物ではないか。





嫌だ。


心配されるだけなんて嫌だ。守られるだけなんて嫌だ。苦しませるだけなんて嫌だ。何もできないなんて嫌だ。助けられないなんて、嫌なんだ。



「ぇ、と…しろさっ…?」


草むらに駆け込み、この小さい体で動かすには重たい着流しをくわえ込み、引っ張りだす。寒いのか震え続ける真っ白な手を、これ以上見ていられない。


「にゃあああ」


なんで俺はこんな体なんだ。こんな薄っぺらい着流し1枚すら、すんなりと運んでやれないんだ。自分の無力さが嫌になる。それと同時に、欲した。


背中をさすってやれる手が、この細い小さな体を支えてやれる腕が、走っていける足が、助けを呼べる、励ましてやれる声が、欲しい。守ってやれるだけの力が、欲しいんだ。


「それ、私に…?」

「にゃう!」


そんな掠れた声で、ありがとうだなんて言わなくていい、つらいのに無理して笑顔なんてつくらないでいいから。頼むから、こんな無茶しないでくれ。



呆れるくらいバカな女だ。
「また来る」と言えなかったから、あんな帰り方だったから、俺が心配してるんじゃないかって思ったんだろう?寂れた公園で寒さの中、小動物が1匹、自分のことを考えて。不安になっているんじゃないかって考えて。考えたらいてもたってもいられなくなって、フラフラなのにこんなとこまで来てしまったんだろう?ホントにバカだ。バカなくらい、優しい女だ。



「こほっごほごほっ!」

「みゃおぅ!」


なぁ、頼むから。

神様仏様外国の神様だろうが天人の神様だろうがなんでもいい。いっそ悪魔だって構わない。どうか俺に、コイツを助けてやれるだけの、力を。


ドクン、


冷たい風が雲を流す。その切れ間から黄色い大きな月が覗いた。そうか今日は、満月だ。


「ごほっ!はぁっは、」

「にゃ、」



ドクン


大丈夫、もともと夜目は利くんだ。これだけ明るければ、直ぐに病院まで運んでやれる。


「にゃぅう」

「と、しろ…さ?」


ドクン


大丈夫、俺は鼻も利くんだ。近藤さんや総悟を見つければいい。そしたら、きっとミツバを助けられる。


「にゃあああああああ!!!」
「ひゃっ!?」


力一杯咆哮をあげると同時に、冷たい、強い、強い、風が吹いた。