真実猫視点 | ナノ



店に足を踏み入れた瞬間感じた嫌な予感。視線をあげると台を拭いていたらしい女が振り返った。



どくり、



(まさか、そんな)


着物の色も特徴的な顔も目に入らなかった。視線の先は、黒い三角の獣耳。


「…エ。コイツ」


女は俺を見た瞬間驚愕からか顔を歪めた。あまりの迫力に内心後ずさりそうになりながら、俺は早鐘のような鼓動に急かされながらここからいかに逃げ出すかを考え始めた。敵前逃亡なんて情けないと思いつつも一刻も早くこの空間から逃げ出す方法を考える。
今入ってきた扉は――駄目だ銀時が閉めてしまった。
ならどこか、出口になりそうな所…高い位置にある窓からの脱出は、如何に己の体が俊敏な猫のソレであっても些か無理がある。カウンターの裏か店の奥か――


「おや銀時。ちゃんと働いてきたんだろうね。…連れかい」


視線を巡らせたその時、店の奥から煙草を燻らせながらもう一人ばあさんが現れた。


「何言ってんだよババア。銀さんもう――」


何やらベラベラと話始めた銀時。このばあさんはどうやら銀時が気を許している人間のようだ。つまり、たぶん信用のおける人物なのだろう。

何やら話している銀時の影から、どうやら同族らしい女をそっと見上げる

「っ、」


瞬きもせずに注がれる視線。アイツ、めっちゃこっち見てるものっそい見てる…!無意識に体が、ビクリと震えた。

怖い。

その視線に昔感じた強い憎悪は込められていないと、わかっているのに、手足が小さく震えるのを止められない。


「――じゃあゆっくりしておいきよ。」

「!?」


震えを抑えることに精一杯だった俺は、いきなりかけられた暖かい色を含んだ言葉に反応すらできない。


「今日はババアの奢りか。じゃあさっそく。」

「だーれがお前にまで奢るっつったかこの天然パーマネントぉおおお!!」

「ふべらっ!」

「に、にゃあ…?」


いきなり吹っ飛んだ銀時を見て、はっと我に帰る。

なんで、こんな。みっともなく震えてるんだ。俺は。


「ててて、あ?大丈夫大丈夫。いつものことだから。つーかどうした?お前顔色悪くね?」


ん?と覗き込まれ一瞬固まった俺は慌てて首を振る。


「にゃー、(フルフル)」


どうやってここを出ようかと悩んでいたら床に下ろされた。反射的に見上げると、男は笑いながらシシャモやら刺身やら酒のつまみを小皿に分けて床に置いてくれた。食べろということだろうか。


「ほら、遠慮すんなって。」

「に゛ゃ、にゃあ!」


いや、悪いが俺は早くここを出たいんだって!離せコルァ!

確かに皿の上の食べ物はうまそうだし食べたくないわけがない。でも俺はここに長居することはできないんだ。ボロを出す前に、猫耳女の前から消えたいんだ。
だがそんなことをどれだけ言っても通じるはずもなく。抵抗虚しくグリグリと頭をなで回された。


「ソイツ、公園ニイタンデスカ?」

「あ?まぁな。何、知ってんの?」


適当に運ばれてきた食事に箸をつけながらおざなりに答える銀時。
絡んでくる猫耳女に向ける訝しげな表情から、普段からこんな風に女が絡んでくる訳ではないということを悟る。と同時久しぶりにゆっくり飲みたい、とぼやいてた男に対して少しの罪悪感が沸いた。


「そういや、名前なんてんだい。」

「にゃ、っ」


当たり前のようにばあさんから投げかけられた問い。どう答えるか戸惑っていると男がかわりにため息をと共に呟いた。


「俺も知らねーんだよ」


少し残念そうな声の響きにずくりと心臓が痛む。でも、俺は伝える声を持たないし…


「土方十四郎。」


ビクリ、体が跳ねた。ぶわぁと全身の毛が逆立った。なんで、なんでソレを、


「ヤッパリ、オ前土方ノ倅カ」


確信に満ちた声。否定したいのに、何故か酷く強ばった喉からは掠れて声も出なかった。


「…、何。マジで知り合い?つか土方?」


何も言い返さなかったからか、男の興味が俺に向くのがわかった。
胸中に広がるのは、確かな絶望の色。


「とーしろーって言うの?」


そっとこちらに伸ばされる男の手。いつもそっと撫でてくれる甘い匂いのする優しいソレ。何だかんだ抵抗しつつも体に触れることを許すくらいには気に入っているんだ。

でも、

伸ばされた手が、記憶の隅に引っかかった何かと、被った。



―――「ソイツを、はやく此方に「お待ちください、コレは私たち家族の問題で「ソイツは、この星に災いを呼ぶ「野放しには出来ない「殺してしまえ「なんてことを「汚らわしい子早く手放してしまいなさい「そんな、お義母様、「ソレを、此方に「早く「待って「寄越せ「捨てろ「追い出せ「駄目です「捨てて「殺せ「殺せ「追い出せば「殺せ「やめて「殺「殺「殺「待っ「早く殺せ―――
暗い憎悪の声が、呪詛のような言葉が、伸ばされた手が、恐ろしい黒い影が、目の前にまで迫っ――


バシッ!!


(―――あ、)

音と衝撃に我にかえる。

(―――今のは、)


「ってー、図星かコノヤロー。てかお前いい加減手加減してくれよ。」


呆れたように息を吐き、それでも叩かれた手を更に伸ばし男の体温が体に触れた。


「ニャー、」


フラッシュバックした、恐ろしい記憶。強がりで、触んな、と言ったつもりだった。でも実際に出てきたのは、いつもより随分弱々しい鳴き声。


「どうした?」


男独特の甘い香に、触れたところから広がる暖かい体温に、抜け出したいのに全く力の入らない体に、男に撫でられて力の入れ方がわからなくなるほど安心してしまっている自分に、泣きたくなった。


ああ、情けない。俺は今、この男を頼り安心しきっている。
男にはわからないだろうが、確かに今俺はこの男に守られている。
正体が知れたらこんなに触れられることもなくなるかもしれない。それはどこか心の隅に引っ掛かっていた不安であり確信。
ふっと息を吐き出すと共に口の端が微妙に上がった。
浮かぶのは嘲笑。俺は、どうやらこの温もりを手放すのが惜しくなってしまったらしい。

だから、


「ソイツハ猫ジャナイデスヨ。坂田サン。」


この女には口を開いて欲しくなかったのに。


「あ?」

「ウチノ星ノ語リ草。追放サレタ十四郎。」

「にゃあっ」


やめろ、黙れ、色々な意味を込めた叫びは、


「人型デハナク猫ノ姿デ生マレタ厄神ノ子。私達ト同ジ天人デス。」


同族の証である獣耳を持つ女の言葉を掻き消すことはできなかった。

(ああ、もう嫌だ。)

俺はそっと目を閉じた。

男がどんな反応を示すか。考えることすら嫌になった。現実逃避ともいえる行為。頭ではわかっていたけど腕1本すら動かす気になれなくて。

もうすぐ失ってしまうかもしれない温もりを、少しでも多く感じておきたい、なんて懲りずに浅ましいことを考えながら、突き刺さる視線から逃れるように体を丸めた。




********************




「なんだい。お前の仲間なのかい?」

「え、つまりお前、天人…?」

お登勢の発言で、銀時はようやくキャサリンの言葉が示すことに気付いたらしい。
3人から注がれる視線に猫は怯え、びくりと震える。全身で全てを強く拒絶する痛々しい姿に、銀時はそっと目を伏せた。


「つまり、コイツもキャサリンみたいになるのかい?」

「知リマセン。」

「なんだいそりゃあ。」

「生レタトキニハ猫型デシタガソレカラハ誰モ知リマセン。」

「…そうかぃ。」


キャサリンの話を聞き、複雑な顔をしたお登勢。微妙な空気が流れた店内。

沈黙を破ったのは、


「つーか、そんなこともういいから黙って酒出せやババア。」


再び気だるげな瞳を黒猫に向けた銀髪の男だった。


「っ、なぅ?」

「そんなことって、アンタ…気にならないのかい?」


困惑を隠しきれない猫の声を聞き流した銀時は、お登勢の言葉に気にならねぇわけがねぇだろうと吐き捨てた。


「でも、こいつが猫の姿(この格好)なのは変わんねーだろーが。」


それに、そっと艶やかな漆黒の毛を撫でる。不思議そうにこちらを見上げる琥珀のような瞳にそっと笑みを向ける。


「なんかコイツも知られたくないみたいだし。名前がわかっただけいいんじゃね?」


な?と笑う銀時。ぱちくりと瞬く黒猫の瞳は徐々に驚愕と少しの喜びの色が広がった。

それに、男はニヤリと口許を歪め言葉を放った。


「勝手に過去の詮索するってのァ野暮ってもんじゃねーの?」

「…アンタがそれでいいってんならアタシは口出ししないよ。」


お登勢は呆れたように煙草の煙を吐き出しそういうことだから、余計なこと言うんじゃないよ。とキャサリンに釘を指した。

(…なんつーか、流石は銀時が信頼してるだけのことはある、な。)

あっさり引くだけでなく、俺に向き直りゆっくりしていきなと体を一撫でしてからカウンターの中に消えた女主人。土方はその広い懐に、素直に感動した。


「ソレデイイト言ウナライイデスケドネ。アホノ坂田サン。モウ知リタクナッテモ教エテヤラネーカラナ。」


ケッと面白くなさそうに吐き捨てた女も奥に消え、店はまた静寂に満たされた。

だが、今度のソレは嫌なものではなく、男が持つ空気と店の雰囲気が相まってできた、ひどく居心地の良いもので。


「さぁて、邪魔が入って悪かったな。気を取り直して飲もうや。あ、お前にゃ無理か。まぁ食え。」


男があまりにあっさりと話を変えるものだから、つい尋ねるような声がもれてしまった。


「にゃぁ…?」

「あん?…気にしてねぇよ。お前がなんだろうとお前はお前だろ。」

(いい、のか?)


じわりじわりと喜びの色が広がっていく。昔も、こんなことがあった。でも、アイツらでもこんな風に正面きって俺を受け入れるとは口にしなかったのに。

(どうして、お前は)


こんなにも容易く、俺がずっと欲していた言葉を、
目の奥が熱い。でも、こちらに暖かい視線を送りながらゆっくりと酒を煽る男に、込み上げるものを見せたくなくて。

俺は誤魔化すようにずっと小皿の上で放置されていたシシャモにかじりついた。


「にゃおぅ…にゃ、(フンフン、ハグッ)」

「くくっ、うまいだろ?」

「にゃ!ふ、むがっ…あむ、」

久しぶりに食べた温かい食事は、少しだけ塩辛くそれでも今まで食べた物の中で一番美味かった。





▼おまけ



「お前の公園の掃除ももうちょいで終わるから、今度は花見、だな。」

「…にゃう?」どうした?


しばらく食事に集中し、幾分落ち着いた頃。銀時が、言いにくそうに話を切り出した。不思議に思って女主人に出された牛乳の入った皿から顔をあげると困ったような表情を浮かべていた。


「あー、その、アレだ。あの桜結構立派だし、みんなで花見してぇと思うんだが、どうだ?」


ガリガリと頭の後ろを掻きながら言う銀時に、ふっと密かに詰めていた息を吐いた。やっぱり花見やめないか。なんて言われたら、とか考えて。その想像にショックを受けた自分に呆れながら、伺うような視線を向けてくる男に答えた。


「なぅん」別に、構わねえよ。

「そうか?」


途端にぱっと明るくなった表情に、この男がどれだけ喜んだかがわかってしまってなんだか複雑な気持ちになった。

(やっぱり、言葉も通じない猫モドキな天人より、話によく出る「よろずや」の子ども達と楽しみたい、よな。)

余り欲張るのはよくない、とわかっているのに。止める間もなく溢れ出たソレは、紛れもなく独占欲からくる嫉妬だった。

でもそんな暗い感情は、嬉しそうに口を開いた銀時の言葉に吹き飛ばされてしまった。


「よかったよかった。いやぁ、アイツらにお前のこと話したら会わせろってうるさくてよぉ。」


うるさくなるけど、まぁ仲良くしてやってくれや。するりと頭を撫でてから杯を傾ける銀時。

一緒にいても、いいのか。

あの桜を、この男の側で見上げることを許された俺は、また少し膨らんだ花見への期待にゴロゴロと喉を鳴らし、再び目の前の甘くて白い液体に口を付けたのだった。