精一杯ぱっつちっぽいもの | ナノ


ふう、と吐き出した紫煙はすっかり涼しくなった風に流され憎たらしいほど青い空に溶けていった。ニコチンが頭に染み渡る感覚。とっくに慣れてしまったそれに唇の端が微かに歪む。生憎、規則を従順に守る程生真面目な性格ではない。別に悪ぶって吸っているわけではないのだ。ただ、本当になんとなく手をだしてしまっただけで、そのままなんとなく続けてるうちに最近ではしばらく味わわないと落ち着かなくなるほどで。なるほど、これが授業で言ってた。その中毒性に一人でひそかに納得しなから、すっ、と視線を下げる。

土方十四郎は近頃、厄介な禁断症状に悩んでいる。

屋上で煙草をふかすその一時がないと地味にイライラするのだ。そしてそれは時間が経っても収まらないどころか増長するばかりで。気がつけばついつい時間を見つけてはひっそりと、そして足繁く屋上へ訪れるようになっていた。そして、青い空と風に流れる雲が広がる上空には見向きもせずに見つめるのは向かいの校舎の斜め下。向かって端から3番目の窓の奥に揺れる白いもじゃもじゃ。シャーペンの柄で頭を書きつつなにやら分厚い本を捲る男。なにやら紙にメモを取りながら作業を進めるのは担任である坂田銀八だった。

いつも教壇で眺め放題の筈なのに、何故かここで見つめると気が休まるというか、心が凪ぐというかむしろ落ち着かなくなるというか。複雑な心境を抱えつつなんとなく見つめてしまう。しかしいくら教室で見つめたところで苛立ちが収まったことはない。

(素っぽいつーか、一応仕事してるんだな…)

最初のうちはそんなものだった。上がってもいない日もあった。でもそのうち授業のない時間帯もなんとなく把握出来るようになって。
いつも教室でのやる気無さげな態度とは裏腹に、意外と真面目に仕事をしてることに気付き興味がわいて、観察してる間にうっかり恋に落ちてしまっていた。

キシキシと椅子を揺らしながらぐいと背を伸ばして欠伸する男を見つめながらふぅと煙を吐き出し、苦笑した。

まるでストーカーだ。

しかも猿飛や近藤さんのようにアタックしながら付きまとうのではなく、こそこそと、距離や角度的に相手からは見えないだろう位置から相手を伺い、思いを募らせるなんてなんとも女々しい。しかしどうこうなりたい訳でもないのだから必要以上に近付くこともない。気付かれないなら遠くから眺める分には問題ないだろう。

と、

「よぉ、まぁたサボりか。似非優等生。」

そう、思っていたのに。

煙を風に溶かすように、平穏に黙殺しようとしていた感情を。まさか本人に気付かれてるなんて思ってもみなかった。

「っ、んで、」
「いやぁ、準備室の窓際の机な。実は、あそこ座ると屋上結構丸見えだから。角度的に」
「」
「で、なんでわざわざ待ち伏せたかってーと、煙草」
「ッ、」
「じゃねぇ方な。そんな熱心に見つめられるとな、先生火ィついて焼け焦げて穴空いちまうんだけど。」
「べ、つに。アンタが働いてるのが物珍しかっただけで、」
「何ヵ月も熱視線浴び続けてたから先生熱中症みてーに頭くーらくらすんだけど」
「気のせいじゃないですか。自意識過剰ですよ。」
「…あのよぉ。あんま煽られると、ちょっと年甲斐もなく燃えちまうんだけど。」
「は?ちょっと意味が、ッ!?」
「とりあえず、いくら時期過ぎたとはいえ熱中症とか、寧ろ今からの時期風邪の方が心配だから、煙草吸いたいなら準備室に来くれば。」
「い、ま」
「ん?何、怖い?別にいきなり取って食いはしねぇけど」「や、今、き、きす」
「んー?ほっぺた程度でガタガタ言うなや。ちょっと無自覚だったみてぇだから、お仕置きだろ」
「いや、意味わかんねぇんすけど」
「うっかり山火事起こした本人が煙草のポイ捨て認めなかったら腹立つだろ?そんなんだよ。」

土方の手から吸いかけの煙草をするりと抜き取り、す、と吸い込んてああ、なんだ結構軽いの吸ってんのな、なんて存外男くさい顔で笑われてぞくりと背中が粟立った。

「で?どうする?ここよかリスクは少ねぇと思うけど。」
「注意どころか喫煙勧めんですか。ダメ教師。」
「黙らっしゃいこの似非優等生。手の届かないとこからじりじりじりじり長期戦仕掛けてきやがって」
こっちはそのちっちゃい火種に炙られ続けたおかげでうっかり全身火だるまなんだ。お前にだって、せいぜい派手に燃えてもらわないと、なぁ?

つう、と手首をなぞった指先に土方はびくりと身をすくめた。熱い、まるで火傷をしたようなチリッとした痛みが触れた部分から広がる。遠くから見てるままでは知るはずもなかった体温。手は伸ばす勇気はなかったけれど、目を逸らすこともできなかった熱源。

「どうする?」
「…まぁ。なけりゃイラつくくらいにはハマってるんで、のってやってもいいですけど。」
「そりゃあ不健康なこって。」
「…煙草、じゃない方のことですけど。」
「へっ?」

女々しい自分にうんざりしていた所に転がり込んだ好機。仕掛けるならやっぱ正々堂々真剣勝負だろと笑って見せれば驚いたように目を見張られる。

「つーか、人のせいにしてんなよ。ヘタレ教師。」

初めてこの男を認識した瞬間、網膜に焼き付いて離れないような光でこちらを射抜き、土方の目を奪ったのは銀八だ。こちらは哀れにも目を焼かれて、それが身を焼き尽くす炎だと知りながらも引き寄せられてしまっている哀れな虫であるというのに。

「言っとくけど、アンタが先に仕掛けたんだからな。」

ぐい、と目の前の襟首を掴み引き寄せる。

ずっと知りたかった唇の温度は酷く熱く、自分の煙草ともっと重い苦味とコーヒーの香りがした。