髪フェチ土方さんの話 | ナノ


武州の田舎から江戸に出てきて最初に驚いたことは、降って湧いたかと思うような人の量、ではなく。その人々の持つ色の多彩さだった。黒髪以外にも金や茶色や赤、青、緑。桃色橙何でもござれ。そんな奇抜な色に髪を染める人間などほぼ居なかった田舎でぽつんと浮いてた総悟の亜麻色でさえこの町では珍しくもないらしいことに衝撃を受けたのを覚えている。

江戸の町並みから酷く浮いたターミナルや我が物顔で町を闊歩する異形の者、田舎ではほぼ見かけなかった洋装や何に使うか見当もつかない機械の類い。見たこともないもので溢れかえる街で、生まれ持ったものなのか人工色なのかすらわからない色が気になった。自分の髪がなんの面白味もない真っ黒だからか、珍しい色を見つければなんとなく目で追いかけてしまう。好きか嫌いかはともかく、物珍しさからつい見てしまうのは致し方ないことで。まぁごちゃごちゃと目につく色彩も江戸に馴染むにつれて次第に目は馴れて行ったのだけれど。

土方は自分の髪の毛に特にコンプレックスを抱いたことはない。というかそこまで気にしたこともなかった。せっかくの真っ直ぐでさらさらと指通りのいい髪も切るのも面倒だが下ろしておくのも邪魔だから、という理由で高い位置で括って放置していたくらいには自分の髪について無関心だった。

せっかく綺麗なのに勿体無いでしょうと笑うミツバにたまに櫛梳られては自分の腰くらいまでしかない総悟に女みたいだと脛を蹴られその度に近藤が豪快に笑いながら俺は総悟の綺麗な亜麻色も好きだけどなぁと髪をぐしゃぐしゃにされていた。照れたようにむくれてそっぽを向く総悟にくすくすと笑うミツバ。

ああそういえばあの結い紐は3人が誕生日だからとくれたものだったか。

今は引き出しの奥深くに仕舞い込まれた紅い紐。最後に触れたのは確か副長室として与えられた部屋で配給された隊服に袖を通す前だった。

ビニールの袋から取り出す前に、自分はふと思い立って長く結わいたその部分を無造作に掴んで手近にあった鋏で切り落とした。そして束を掴んだまま思いの外長く延びていたらしいそれをそっと撫でながら伸びるまでの時間を何気なく思い返し、ふっと苦笑してから髪束を容赦なく屑籠に落とした。何も入っていなかった屑籠の底にはらはらと積もったそれを一瞥すれば、開け放っていた障子の向こう、たまたま通りかかったらしい原田がすっとんきょうな声をあげて。どうした何かあったのかと詰め寄ってきたハゲ頭に軽く引きながらなんとなく素直に答えるのは躊躇われて幕臣共に舐められない為だ、と答えれば少しの沈黙のあと、はぁと気の抜けたような返事が返ってきて。それがどうしたと聞き返すと原田は頭を抑え呻いた後ちょっとそのまま待ってて下さいと部屋を出ていって。
どうやら無造作に鋏を入れたため切り口がバラバラで中々酷い感じになっていたらしいが副長室に鏡なんてあるはずもなく。結果原田の訳のわからん行動にぽかんと見送ったら数分も経たず原田に連れられてきた地味な男に髪を整えられた。趣味も特技も無さそうな平凡然とした男が意外と器用に鋏を繰るのに感心していたら文具の鋏と髪を切る鋏は違うのだと初対面の男に何故か説教されてしまった。男の癖に神経質な、と言えば、道具にはそれぞれ、そのものに適した使い方があるんですよ、と苦く笑われて。まぁアレです。道具もそれぞれ、適材適所って奴があるんですよ、と軽く続ける男の言葉を聞くともなしに聞き、ちらと後ろでにやつく男を見やり、それは、人を見極めて使わなきゃなんねぇ副長の俺に対する嫌みかなんかかとぼそりと言ってやれば鋏を持ったまま男はぴきっと固まって。原田さぁん!?と言う悲鳴じみた声に原田はかかと笑い、どうやらこの地味な男はあのハゲに何も知らされずただこいつの髪を整えてやって欲しいと連れてきたらしいことを理解した。

いやだって、新しくできた武装警察の副長は局長に負けず劣らず腕が立って更には相当頭が切れるらしいって噂で、俺どんな恐ろしい人かって、まさかこんな若くてその辺の女の人より綺麗な人だとは…としどろもどろに言い訳する男を一瞥し、ほらなと原田に声を投げた。髪型変えたくらいでこの女みてぇなツラが一気にどうなるとも思わねぇが、多少こざっぱりしてた方がいいだろ。少なくとも今までよりかは幾分ましってもんだ。女、という言葉が地雷だったかと強張る肩。その怯えように自分がどれだけ凶悪な表情を浮かべているか知り、むしろこの悪人面の前では髪型など大した問題でなかったかもしれないな、と瞳孔開き気味の目をすっと細める。ひっと息を飲み蛇に睨まれた蛙のように硬直する男はハゲに視線で助けを求める。が、しかし。まぁ確かにそうかもですねぇとニヤニヤ笑うハゲもとい原田は自分の仕掛けた悪戯に素直に引っ掛かった地味で器用貧乏な男がオロオロする様がよほど気に入ったのか助け船を出してやる様子もなく。びっしり冷や汗をかく地味な男は今にも首を飛ばされるんじゃとないかと言わんばかりに青ざめて、ついに堪えきれず原田と同時に吹き出した。はた、と目を見開きからかわれていたのだと気付きちょっとおおお、と声をあげる男に少しからかいすぎたかと笑いながら土方だ、と告げれば男はふてくされたように少し口を尖らせたあとに、山崎です。山崎退。と名乗った。



最初のうちは首の辺りがスースーして落ち着かなかった髪型にも次第にそれも馴れ、髪が長かった頃のようについ頭を揺らしてしまうことも減って。人間の順応性について感心しながら過ごしていくうちにやたら髪にコンプレックスを抱いているらしい銀髪の胡散臭い男に出会った。

きらきらと光を反射するそれは白というよりは銀色に近く、ふわふわと奔放に跳ねる毛先はまとまることを知らず風に揺れて。コンプレックスでしかないらしいそれをがりがりと雑に掻き混ぜ更に爆発させる悪循環。その男のことが何故だか無性に気に食わなかった。なんかもう存在自体が酷くイラッとした。その癖何だかんだと行動が被ってそれにまたイラッとくる。しかし剣の腕は滅法強く、近藤とはまた別の人を惹き付ける力を持っているらしく常に人に囲まれていて。それに付随する厄介ごとにもまた囲まれている男の名は坂田銀時といった。

いつからか眩く輝く白銀が瞼の裏に焼き付いて離れなくなった。どんなカラフルな人混みの中でもその存在に気付いてしまうことに気付いてなんだか無性に苛立った。初めは坂田の周囲に集まる奴らも目立つ色をしているからまとまっていると殊更目を引くのだと思っていたが、一人でぶらついているらしい時でも普通に気が付いてしまう。どんだけ遠かろうが道が混んでいようがふと視界に入れば否が応にもその銀色に目が吸い寄せられてしまうことが酷く面白くなくて。坂田はこちらに気付いていないのだから素知らぬ顔で通り過ぎてしまえばいいとわかっているのにそれはなんか負けたような気がして出来なくて。つい突っかかってしまえば負けず嫌いな自分に負けず劣らず負けず嫌いな坂田は当然口論になって、果ては天下の往来で抜刀しかける騒ぎになって。いつの間にやら犬猿の仲と言われるようになって。

自分に若干髪フェチの気があると自覚しているので最初は眩い白だからこんなに目につくのかと思ったが、別に特に好きな色というわけでもない。松平のとっつぁんのワックスでカチカチになった白髪を見ても、団子屋の店主の年季を感じる白くなった頭を見ても別段気になるようなこともなく、むしろよく見かける天然色な分どちらかというと印象は薄くて。ならばあの跳ね回る天パがいけないのかと思ったがよく似た髪型の浮浪者は髪型よりも服装の方が気になってしまった。

だったら髪は特に関係なくあの男の底知れぬ強さと何を考えているかわからない死んだ魚のような瞳に無意識に警戒しているのかとも思ったが、花見の席で自販機の上で酔い潰れていた自分に対して何も危害を加えることもなく、むしろ連れ帰り介抱までするお人好し加減にとりあえず自分や真選組に危害を加えるつもりはないのだろう結論付けていたはずだ。

ならば、何故。どうしてこんなにも目について、気になって仕方がないのか。こんなに気になるのはやっぱり髪のせいなか。ふわっふわ揺れるあの白髪パーマが自分の視線まで絡め取っているのではないか。

「てなわけで、てめぇのその白髪頭、ちょっといっぺんもふらせろ」
「どういうわけで!?」

呂律の回らない口調で告げれば坂田は食い気味に叫んで、アルコールで鈍った頭でもうるさいものはうるさくて顔をしかめた土方に坂田は尚も何やらぎゃあぎゃあ喚いている。

「んだよけちくせぇ。いいだろ減るもんじゃなしに」
「いやまぁそうだけど。下手に掻き回せばむしろ爆発して増えっけど!てかお前いきなり話飛びすぎだろ。何がどうしてそうなったわけ?たしか昔長かった髪文房具の鋏で豪快に切り落としてジミーに怒られた話してたよね?!」

どうやら思考回路が似ているらしい坂田と呑み屋で鉢合わせることは意外と多く、席を立つのも店をかえるのもなんだか負けたような気がして飲み比べで張り合いヒートアップしすぎて店主に追い出されること数十回。いつしか男の隣で他愛もない話を肴に酒を酌み交わせるようになっていて。
そうだ、確かどんな流れか武州時代の話になって、そういや昔は髪が長かったなんてことをつげればなんで切ったのかと聞かれたのでそんな話をしていた。

確か、赤ら顔でストレートの髪を切るなんて勿体無い、なんて口を尖らせたから、俺が髪を切ったところでてめーの髪がまっすぐ伸びる訳じゃねえぞとからかったのだ。そしたら案の定天パに対して並々ならぬコンプレックスを抱いているらしい坂田はぎゃんぎゃん吠えはじめて。

「それはそれで腹立つけど!それよりなんで切ったんだよ。あれ、皆お前の髪大好きじゃん」

皆?だいすき?何をだとぱちくりと瞬けば心底呆れたような顔をされてため息までつかれてしまう。

「この鈍感。」
「あ?」
「で?なんで切ったの、髪」

思うところがあったんだろ、と自分を射抜く瞳にどきりとする。なんで、この男は。酔っぱらいのくせにそんな、全てを見透かしたような言葉を吐くのか。

「副長として人の前に立つんだ。だから、けじめとして、」
「未練と思い出絶ち切ってってか?」
「っせぇな。俺が切り落としたのは人の情と甘さだよ」

建前を振りかざしたところで隠したかった所を先回りでつっつかれて。自棄になって酒をあおりカウンターに叩きつけ言い放った。

そう。隊服を前に暫し考えた。組織を纏めるために自分が果たすべき役割と、それに必要なものを。
おおらかな近藤の人柄はそこにいるだけで人の心を掴む。ならば自分は組の統率をとるために出来るだけ冷徹であるべきだ。あえて憎まれる程に厳しく、近藤が惜しみ無く飴を与えるから自分がすべきは鞭を振ること。疎まれようと恐れられようと心を鬼にして。冷徹な鬼となるために人の甘さは必要ないのだから。そうして自分は、まず彼女が優しく触れた、その手の温度が残る部分を手近にあった小さな刃物でなんの躊躇いもなく切り落とした。すーすーして少し落ち着かない首筋を硬いシャツの襟で覆い、スカーフで押さえつけて。いきなり体の一部が欠けたような喪失感を感じる資格もないのだと。冷たく硬い隊服で違和感など感じないくらい、ギリギリと首もとを締め付けた。

「特に未練もない。邪魔になると判断したから切り捨てただけだ」

ただ、それだけだ。

「なるほどねぇ。神から与えられし直毛を粗末に扱ったからバチが当たって味覚がおかしくなっちまったわけだ。」
「人の話一切聞いてねぇなてめぇ。」
「聞いてる聞いてる。マヨネーズの小人に呪いをかけられてマヨネーズで頭セットするようになったんでしょ?」
「1ミリたりとも合ってねぇしマヨリーンは小人じゃなくて妖精だ。そんでもってマヨネーズは食い物であって髪にかける分があんならご飯にかけるわ。」
「あーはいはい。これだからマヨネーズバカは。」
「んっだとコラ」

いちいち腹の立つ酔っ払いだとぐらつく頭で思いながらグラスを煽る。そうだ。そしてふと目線を上げたとき、あっちこっちふわふわする意識を目の前の天パに引き戻されて、じいと見つめていたら居心地悪そうな顔でなんだよ、と促されたので最近ずっと考えていた言葉を吐き出したのだった。

「触ってみりゃあ、なんかわかるかと思ったんだよ。」
「うん?」
「俺が江戸に出てきてまず最初に一番驚いたのは頭の色だった。田舎じゃわざわざ染めるって奴のが稀だったしな」
「あー、まぁそうだな。」
「個性だかなんだか知らないがやたらカラフルな頭した連中がわんさかいやがる。キョロキョロしすぎて近藤さんに笑われたこともある。今でも珍しい色だとたまに目に引っ掛かる」
「へぇ」
「なのになんでだ。」
「うん?」
「てめぇの頭は白いだろ。白髪なんざ、年取れば出てくるもんだしそう珍しくもねぇ。」
「まぁ確かにな。いや銀さんはまだぴっちぴちだけどね?」
「ぐっちゃぐちゃの天パもその辺の浮浪者に似たようなのがいたし、それこそおしゃれパーマだかなんだか知らねぇがわざわざ金出して頭爆発させたネジ足りてなさそうななよっちいチャラ男もそこら中にいんだろ。」
「お前さっきから銀さんに喧嘩売ってんの?人のコンプレックスこねくり回して楽しい?自分がサラサラストレートだからっ」
「なのになんでだ。」
「無視ですかこのヤロー。」
「なんで、てめぇのそのくるくる頭は視界に入ると目が離せなくなる。なんで、目で追ってしまう。その天パはなんでも絡めとるのか。くるくるのもじゃもじゃだからか。でもこんなのてめぇだけだ。気付いたのに無視するのは負けたような気がするし、話しかけたら喧嘩売っちまうし、お前引かねぇから引っ込みつかねぇし、なんか喧嘩売り付けて騒いでそのまま喧嘩別れすんのが普通になってきてっし。あれだ、てめぇも嫌だろそんなん。喧嘩って意外と体力使うんだぞ。いくらてめぇがプーで食う割りに省エネで肥えてきてるからって、」
「誰がメタボニートだコラ」
「だって、俺は結構楽しんでるからてめぇとの喧嘩は嫌いじゃねぇけど。お前はいきなり絡まれて迷惑すんだろ。俺がてめぇに気付かなければいい話なのに、絶対見つけっちまうから。なんでてめぇの頭だけなんでこんな目につくかわかんねんだよ。だったら、触ってみればなんかわかるんじゃねぇかって、」
「……………。」
「おい、人がせっかく真面目に話てんのに黙ってんじゃねぇ」
「ふ、ふぅん。じゃ、じゃあ、触ってみる?」
「お、おう?」

自分でも何を言ってるかよくわからないが思ったことをそのまま吐き出せば坂田はしばらく固まったあと、読めない表情でほれと頭を突き出してきて。恐る恐る触れてみれば、やたら俺の視線を絡めとる天パは柔らかいのに滑らかな髪が指を通ってふわふわもしゃもしゃと思いの外気持ちがいいものだった。

「……どうよ。なんかわかった?」
「わっかんねぇ…」

わしゃわしゃとかき回してみたり、絡まりあった部分を指ですいてみたり丸い毛先を指先に巻き付けてみたりぽんぽんと弾力を確かめるように軽く叩いてみたりしたが特になんの変てつもないただの髪の毛で。気が付けば抱え込むようにして夢中で弄り倒していた為に至近距離にいた男からアルコールと微かに甘いにおいがして。そんで着流し越しに感じた密着した体の温度に、何故かものすごくびっくりした。

「なに?どったの?」

バッと、自分に体ごと預けていたらしい男を勢いよく押し退けるように解放すれば、びっくりしすぎてドッドッと痛いくらいに脈打つ心臓が勢いよく頭に血を送りだして。そんで一気に回ったアルコールのせいで顔が火がついたみたいに熱くなった。

「なんでも、ねぇッ。…しっかしなんでだ?なんでてめぇだけ…」

誤魔化すみたいに顔を扇げば何かを噛み潰したみたいなものすごく微妙な顔をした坂田が頬を掻いて。

「…もしかして、なんだけど。俺、分かっちゃったかも、」

ちょっと視線をそらしながら、気まずそうにそう言った。

「マジでか。え、なんで本人より早く気付いてんだてめぇ」

本人が触って確かめてもわからなかったというのに。今のどこに吸引力の変わらないただひとつの天パの原因解明に至る糸口があったのかわからなくて思わず胸ぐらを掴めば

「いやでもこれ今の流れでいうとほぼ間違いないと思うんだけど…でもまさか」

なんか知らんが物凄く歯切れ悪く口ごもられて。

「んだよとっとと吐け」
「いや、うーん…これ間違ってたら相当俺ヤバイ奴なんだけどな…」
「いいから。てめーも見かけられる度に喧嘩吹っ掛けられるとかいい加減迷惑だろ!?」
「いや、うん。まずそっから違うんだけどね?」
「あ?」
「あー…、いやなんでもねぇわ。とりあえずなんで俺のことが気になるか、だろ?」
「てめぇが、じゃねぇてめぇの頭が、だ。」
「だから、そこが違うんじゃねぇの?」
「ん?」
「だから」

お前が気になってんのって、俺の頭じゃなくて俺自身じゃねぇの?



……
………。

「はぁ?」
「いやまぁね、そういう反応が来るのはうすうすわかってたけどね?そんな真顔で言われても傷つくっていうかね?」

ぽりぽりと頬を掻く坂田をまじまじと見つめる。どうやらからかうでもなく本気で言っているらしいと理解して何を馬鹿なことを、と口にしようとして、ふと口を閉じた。

「………」
「おい?」

まさか、

「…………」
「おーい?土方くん?」

うそだろ、オイ

「………………」
「てめっ、オイオイ土方くーんシカトはねぇんじゃねぇの?」

そんな、まさか

「〜〜ーっ、」

さっきの比じゃなく体中が燃えるみたいに熱くなって、お猪口を握り潰した瞬間、間違いなく顔から火が吹いた。気がした。




「オイオイ土方くんなにしてんのさ。手ぇ切ってない?あ、悪いね大将。ちゃんとコイツが弁償するから。」

バキィッだかグシャァッだか派手な音をたてて親指と人差し指だけでお猪口を粉砕したにも関わらず、坂田は眉を軽く上げただけで何事も無かったかのようにいつもの死んだ目で店の親爺に詫びを入れてくれた。

「いいっていいって。何があったか知らんけどどうせ銀さんがからかい過ぎたんだろ。ほら土方さんおしぼりね。」

他の客の相手をしていたらしい親爺もからからと笑いながらおしぼりを差し出してくれた。

「さんきゅー。ほら土方、」

ここはなにも無かったみたいな顔でおしぼりを受け取る流れなんだろうけど伸ばした指先が微かに震えてしまって。動揺を知られたくなくてぎゅ、と握り混めば親爺からするりとおしぼりを受け取った坂田がごく自然に手首を掴んできて。

「ったく仕方ねぇなー」
「っ、」

直に触れ合った体温に頭が真っ白になって、反射的にバシッと、坂田の手を払いのけてしまった。

「ぁ、」
「ってて、オイオイ土方くーん。おめぇ今そっちの手ぇ酒でびしょびしょなんだから振り回すなって。飛び散るでしょうが。」

ため息をついた坂田はだだっ子に言い聞かせるみたいに今度はしっかりと左手で土方の右手首を捕らえて、震える指先から、肘まで垂れた酒を温かいおしぼりでしっかりと拭われる。

「ん。指は切れてねぇな。」

確認するように近付いた坂田の吐息が腕に触れた瞬間、ぞわぞわとした何かが腕から全身に拡がって。

「ったく、お前さん命がけで刀握ってるんだから手に怪我するようなことしてんじゃねぇよ。」

掴まれた手首が酷く熱くて、心臓が爆発するんじゃないかってくらい音を立てていることがバレるんじゃないか気が気じゃなくて。見られたくなくて伏せた顔はただでさえこれ以上ない程に赤くなっているだろうに更にじりじりと熱が集まりだして。

「ほんと、副長さんは危なっかしいなぁオイ」

仕方ないなぁとでもいうよな、思いの外やわらかい声につられてつい顔を上げると、思ったよりも近い位置にあったゆるりと弛められた瞳に目を奪われて。それに気をとられる同時、右手首を握っていた坂田の人差し指が、するりと手の甲を撫でて。

「ヒ、んっ」

びくんッ、と体が跳ねた。微かな仕草。触れたのは一瞬のはずなのに、その感覚は全身を支配して。ぞくぞく、ぞわぞわと体の芯に残る余韻。ぴくぴくと無意識に跳ねる肩。何かを堪える様にぎゅう丸まった爪先からも何がどうしたかというのは明白で 。

「………………へ?」
「ぁ、や、ちが」

軽く見開かれた瞳には情けない顔をした自分が映って。今のは違う、何かの間違いだとゆるゆる首を振るもじわじわと何が起きたか理解したらしい坂田の目がキョトンと丸まって。思わずいたたまれなくて顔をそらす。うそだろ、何だ今の。てか駄目だ。この雰囲気は駄目だ。なんかもの凄く身に覚えがあるもの。これは間違いなくいたぶる獲物を見つけたドSの纏う空気だもの。もうなりふりかまっていられない。一秒でも早くこの場を逃れたくてなんとか逃れようともがくも拘束された手首はぴくりともしない。むしろふーん?と楽しげな声が落とされてしまいせめて顔を見せるまいと思いきり下を向けば周囲に気遣ってかないしょ話をするかのように耳に直接声を注ぎ込まれて。

「なぁに、感じちゃった?」

そう言ってにたりと笑ったらしい男の吐息がむき出しのうなじに掛かった瞬間、首の辺りの産毛が逆立った。カッとなって顔をそらしてたことも忘れ、反射的に睨み付けると、物凄く至近距離で男臭い獰猛な瞳に捕まってしまい、ぞくり、と全身の肌が粟立つ。

「っ帰る!!」

がたりと乱暴に立ち上がり大声で宣言すれば周囲の客の目をひいてしまい、それでも意識がそれたの隙をついて腕をなんとか振り払い、気を抜けば崩れ落ちそうな膝を叱咤して立ち上がる。カウンターに万札を叩きつけ釣りはいらないと叫び呼び止める坂田の声を後ろに店の引き戸を乱暴に閉めた。






「ちょっと銀さん、副長さん行っちゃったけど?」
「あー…ちょっとまって」
「あ?どうしたんだよ突っ伏して。」
「カウンターって冷たくて気持ちいよな…」
「あ?銀さんそんな飲んでたっけ?うわ、顔真っ赤じゃねぇか…ほら水。てか副長さん本当にどうしちゃったんだよ。」
「んあ?あー…ちーっとばっかしからかいすぎちまったみてーだわ。」
「つか釣りはいらねぇって二人分足しても半分以上余るんだけど。」
「ああ、いいって。本人がああ言ったんたからもらっとけもらっとけ。お猪口代だって。」
「そうか?てか副長さん真っ赤じゃなかった?銀さん?ちょっと聞いてる?さっきより赤くない?なんだよ揃いも揃って…っかしいな、出してた酒そんな度数高くない筈なんだけど」
「…空きっ腹に酒入れるからだよあのバカ。今度なんかガッツリ食わしてやってくれや。マヨネーズてんこもりでな」
「はは、おうよ。まかしときな。ん?銀さんももう行くのかぃ?」
「おー。どっかの酔っぱらいが道端で倒れてたら大変だしな。」
「ははは、副長さんになんかあったら、銀さん飲み代集る相手いなくなっちまうしなぁ」
「いやいや、依頼料の取り立てだからねコレ。ちびちび分割払いなだけだから?そんな人聞きの悪いこと言わないでくれる?」
「おーおー副長さんも大変だわ。こんなタチの悪いのに引っ掛かっちゃって。」
「っせーな。俺がこれしきでたたなくなるかっての。言っとくけどすごいから。ギンギンだからね?コレ。アイツも満更でもないんだから。むしろ涎垂らして喜んじゃうから。」
「はいはい。誰も銀さんの起ち具合とか聞いてねぇから。でもまぁ最近すっかり仲良しだよなぁ。」
「だろ?アイツ外にツレ少ないうえにツンデレ拗らしてるからね。仕事の愚痴こぼせる奴もいねぇから息抜きには調度いいんだよ」
「持ちつ持たれつってやつだねぇ。」
「まぁな。じゃ、いい加減行くわ」
「おう。副長さんふらっふらだったからな。ちゃんと拾って帰れよ。」
「有名人はその辺で酔い潰れてると面倒だからな。手の掛かるツレを持つと大変だわ。じゃあな」
「おー。副長さんによろしくなー。マヨネーズ料理期待しといてくれって伝えてくれや。」
ガラガラ、音をたてて閉まる扉を見やりため息をつく。
「ったく、世話の焼ける人たちだよ本当に」
「大将、なんか言ったかい?」
「なんでもねぇよ。はいよっビールおかわりね!」
「おぉーっ」





「ん?」
空いた席を片付けると、銀さんの方の徳利は殆ど減ってなかった。あれ?確か今日は最初にビール出してからすぐに熱燗に移行したはずではなかったか。隣を見れば空の徳利がゴロゴロ転がっている。あの二人はいつも最初は申し訳程度に酒を酌み交わすけれど途中からは競うようにそれぞれハイペースで酒を煽り出すから相手に酒を注ぐなんてこと滅多にしない筈だ。

はて。つまり、相手に飲ませるだけ飲ませ、ほぼ素面で、じゃれつく相手に大人しく頭を撫でられてたあの天パ野郎が真っ赤になって突っ伏してた訳、とは。

「………ギンギンのまま追いかけたわけじゃねぇだろうなあの野郎」
思い至ったまさかの答えに痛む頭を押さえながら思わず低い声が漏れた。が、幸いどいつもこいつもへべれけに出来上がってる酔客どもの耳には引っ掛からなかったらしく。どしたの大将ー?と間延びした声になんでもねぇよと殆ど手付かずだったらしい徳利を煽った。

(好きな子いじめ過ぎて逃げられちゃうとか、小学生か)

ほんと、たちの悪いのに引っ掛かっちゃったもんだよ副長さんも。としか言いようがない。とりあえず次からあんま店ではいちゃつかせないように注意しとこうと頭の片隅にメモりながら、危なっかしい足取りで出ていった副長さんの元へ駆けて行った天パ野郎を思い返し、ついでにそういや銀さん今日は副長さんが来るまで預かってるらしい大層元気なチャイナ娘がどこかのお嬢様の家にお泊まりに行くんだとかご馳走なんだろうなーとかぼやいていたことまでまとめて思い出してしまって。

「………」

もう何も考えるまいと首を振って、たいしょーえだまめついかーと飛んできた声にあいよ!っと威勢良く返すのであった。