気後れしたらわたしのもとにおいで | ナノ


気後れしたら
わたしのもとにおいで



「こいつがおめえの子供かあ」
「何寝ぼけた事言ってんだ。んな訳ねえだろ」

 一件目の店で相当飲んだからといって、十歳ほどの少女を指差して、自分と同じく十八歳である史郎の子供と決めつけるのは、いくら何でも早とちりが過ぎるというものである。そもそも、史郎には妻も子供もいない。
 酒に強い史郎は既に素面に戻っているようで、大きくため息をついた後、九郎兵衛の頭を拳で殴った。痛い、という声はしかし棒読みで、九郎兵衛は依然目の前の少女に見入っている。穴があく程見られて少女の表情が一瞬強張ったが、店の入り口で二人と対面したままじっと動かない。
 少女は人見知りなようで、常連客の史郎としか目を合わせようとしなかった。しかし幼いながらも旅籠の女中としての仕事を果たそうと、九郎兵衛に対しても何事もなかったように挨拶をした。

「はじめまして、お雪です」

 けれども九郎兵衛が顔を近付けた為さすがに少し怖くなったようで、とうとう史郎の後ろに隠れてしまった。お知り合いですか、と史郎の着物の袖をくいっと引っ張るお雪は、まだ視線だけは九郎兵衛から逸らさないでいる。

「くろ、いい加減正気に戻れよ。お雪が怯えちまってんじゃねえか」
「お、怯えてなどいません。ただ、この旅籠に御主人のお知り合い以外の方がいらっしゃるのは珍しいので……」
「ああ、そうだな」

 むきになるお雪の頭を史郎が撫でると、彼女は恥ずかしそうに史郎から離れた。子供っぽい扱いをされたのが嫌だったのか、それとも史郎の優しい笑顔に胸を打たれたのか、九郎兵衛にはわからなかった。
 史郎は悪戯っぽく笑うと、しゃがんでお雪と目線を合わせる。わざとらしく、久しぶりだなあ元気にしてたか、と言いながらお雪を抱き寄せた。一瞬でお雪の顔が真っ赤になり、小さな身体をじたばたさせてまた史郎から離れる。すると今度は九郎兵衛の後ろに隠れてしまった。
 自分よりはるかに小さなお雪に、九郎兵衛は目を丸くして尋ねる。

「なあ、おめえ今いくつだ?」
「えっ、十一でございます」

 もしかして史郎の守備範囲は十一歳からか、と思うと九郎兵衛は一気に酔いが覚める気がした。年下が好みの九郎兵衛でも、さすがに理解に苦しむ。しかし逃げ回るお雪を見て笑っている史郎を見ると、ただからかって面白がっているだけのようにも見えた。
 それにしても十一で旅籠の女中とは立派なものだ、と九郎兵衛は感心し一人頷いている。彼は子供好きな方ではないが、器量が良く、幼いながらに仕事を果たそうとするお雪には好感が持てた。あと数年経てば女として見れるかな、などと考えるあたり、まだ酔いは完全に覚めていないらしいが。
 二人から距離を取ってしまったお雪に、九郎兵衛がへらへらと笑いかける。

「しろは女ァ落とすのが特技みてえな奴だから。色々悪かったな」
「女たらしみてえな言い方やめろ。大体お雪を一番怖がらせてんのはおめえだよ。これだから酔っ払いは」
「うるせえ。……九郎兵衛だ。よろしくな、お雪」

 お雪はぱっと笑顔になり、九郎兵衛のもとへ駆け寄ってきた。よろしくお願いします、と言いながら差し出された手を握ると、子供独特の温かさが心地よく、九郎兵衛はすっかり癒されてしまった。なるほど、このお雪は看板娘の役割も担っているようだ。

「おめえ可愛いなあ、もういっそ娘にしてえよ」
「えっ、ちょっとやめてくださいっ」

 寝ぼけたような事を言いながらお雪の頬をつつく九郎兵衛を見て、史郎までもが反対の頬をつつき始めた。お雪は最初は嫌がっていたものの、だんだん面白くなってきたのか、くすくすと笑いながら二人の手を軽く叩いている。
 すると突然、和やかな雰囲気に反して忙しい足音が聞こえてきた。どどどど、と荒波が押し寄せるかの如く階段を駆け下りて、三人がいる入り口に真っ直ぐ向かって来た。
 お雪の名前を叫びながら入り口に姿を現したのは、これ以上ない程眉間に皺を寄せ、垂れ目にも関わらず眼光が鋭い、恰幅の良い男だった。貫禄十分なその男が、物凄い形相で史郎と九郎兵衛に言い放つ。

「てめえらうちのお雪に気安く触れてんじゃねえぞ殺されてえのか? ああ?!」
「御主人誤解です、常連の史郎さまとそのご友人の九郎兵衛さまです!」

 男の怒声に驚いた二人はさっとお雪から手を引いた。十分すぎる程の威圧感を持った主人を目にし、九郎兵衛は暫く固まった。常連である史郎でさえ、驚いて声も出ないらしい。
 直後、史郎に気付いて穏やかな顔つきになった主人は申し訳なさそうに頭を下げたが、二人はそれに頭を下げ返す他なかった。





「先程はとんだ失礼を致しました」
「いや、気にしねえでくれ」

 深々と頭を下げる主人に九郎兵衛が手をあげて応える。まだ顔は赤いが、先程の怒声ですっかり酔いが覚めたらしい。
 机に置かれた茶を啜りながら、九郎兵衛はつい主人の顔や身なりをじろじろと観察してしまった。先程の怒声といい妙な威圧感といい、どうにもただの旅籠の主人とは思えなかったのだ。その疑いの視線に史郎が気付いたらしく、苦笑いしながら言う。

「ここの主人はおっかねえぜ。なんせあの江戸の大盗賊、仁三郎についてた奴なんだからな」
「えっ」

 驚く九郎兵衛に指をさされて、今度は主人が苦笑いする。いかにも人の良さそうな垂れ目のこの男がまさかあの仁三郎一味の者だったとは、初対面では誰だって気付かないだろう。
 何せ仁三郎一味は、一味とは言えど属する人数が極端に少なく、いわゆる三下というものが存在しない。大盗賊と呼ばれる頭の仁三郎以外の者は皆、昔存在していた様々な一味の頭だった。だから少なくともこの主人も、そこそこ名の知れた一味の頭だった筈なのだ。それ程の人物が、仁三郎一味から足を洗い今は堅気になっている。

「よく足洗えたな……」
「やだなあ、昔の話ですよ。まあ、足洗う時に死にかけたから、こんな山奥で旅籠やらせて貰ってる訳ですけどね」

 さらりと過去の事として話せるところが凄い、と九郎兵衛は素直に感心した。大盗賊の一味であったにも関わらず、こうしてすっかり堅気になって立派に生計を立てているところや、娘ではないお雪をあれ程大事にしているところにも。そして史郎がこの旅籠を気に入っている理由も、なんとなくわかった気がした。
 主人は一度茶を啜ると、場の空気を変えるように二人に話を振った。

「で、お二人はどういう関係なんでしょう。同じ一味のお仲間ですか?」
「いや、違う。おれとくろの一味は、頭同士の仲がすこぶる悪い。それに影響を受けた三下共も、多分、おれ達二人以外は」
「おいしろ、お喋りが過ぎるぞ」
「いいんだ」

 史郎が話し始めた瞬間から主人の顔が曇り始めている事に、九郎兵衛は気付いていた。慌てて口を挟んだが史郎はそれを聞かず、主人から目を逸らす事もなかった。余程この主人を信頼しているように見える。しかし話を進める史郎の横顔は、まるで父親に目標や決意を打ち明ける子供のように見えたが、その表情には僅かな迷いも見られなかった。
 一瞬の間の後、史郎が続ける。

「気が合う友人として、一味に隠れてたまに酒を飲んでる。何度か、二人だけで盗みもやった」
「そこまで話して、私に望むことは何ですか」
「おれ達が隠れて泊まる場所として、これからもここを使わせて欲しい」

 そこまで言い切った時、主人がまた茶を啜った。目を閉じ、しかし史郎の頼みについて考えているようには見えない。きっと史郎が初めてここを訪れた時から、答えは決まっていたのだ。史郎もそれが分かっているのだろう。それでもあえて真正面から頼み込むのには、もっと別の目的があるように、九郎兵衛には思えた。
 主人は目を開けて、手に持った湯飲みに視線を落とす。

「……この世の中は実に良く出来ている。杯を交わしてしまえば、思い通りにいかない事ばかりです」

 仁三郎一味に属していた過去、旅籠稼業で見てきた様々なもの、それらを持ち合わせている主人の言葉だからこそ、内に含まれる意味はとても重い。分かっていたつもりの事が、誰かに言葉にされる事によって二人に重くのしかかる。
 叱られているのではない。諭されているのではない。ただ、二人にとっての事実を淡々と言葉にしていく。それだけの事が、今はとても恐ろしい事のように思えた。

「他の一味の者と手を組む……ましてそれが犬猿の仲である一味と分かればどうなりましょう。確実に指一本では済みますまい」

 二人は主人の言葉を肝に銘ずるように、その話を聞いていた。だが史郎は、何か別の言葉を待っているようで、数度相槌を打っては主人を急かした。主人は、その事に気付きながらもわざとゆっくりと話を進めた。

「ここに想定外の危険をもたらさない範囲で、あなた方が一味に隠れてここに泊まる事は構わない。しかし史郎さんにも九郎兵衛さんにも、大きな後悔をして欲しくはない」

 言葉を少しぼかしたのは、主人なりの優しさだろう。史郎は真っ直ぐ主人を見つめたまま、ありがとう、と言った。その姿を見た九郎兵衛は、やっと史郎の真意に気がついた。それは、二人以外の誰かに言ってもらわなければ意味を成さない事だ。

「今の出会いに命をかけるほどの価値があるか、今一度よくお考えになることですね」

 間違いない。史郎は、自分の逃げ道を無くそうとしている。





 身体から湯気が立ち上っている。目に見えずとも十分温まった事は確かだが、こうして蒸気に包まれているように感じると、より一層温まった気がするものである。
 風呂から出た九郎兵衛は主人に借りた着流しの袖に腕を通しながら、昼間史郎と主人が話していた内容を思い出す。自分は確かにあの場にいたが、どうにも取り残されているような気がしてならなかった。それは、自分よりはるかに重い覚悟を持った史郎が隣にいたからだろう。

(簡単に命を張れるような事なんて、ほんとはあっちゃならねえ筈なんじゃねえのか)

 盗賊が何を、と言われるかも知れないが少なくとも九郎兵衛は、今の生き方を失う事も、何かに命をかけて死ぬ事も、恐ろしかった。そして、史郎がそれらを見据え、たった今日逃げ道をなくしてしまった事も、九郎兵衛に重くのしかかってきた。

(逃げる事の方が得意に決まってんだ、おれ達は盗賊なんだから)

 悔しそうに唇を噛み締めたところで、九郎兵衛は考える事をやめた。夜は卑屈になってしまっていけない。
 気持ちを切り替えるように角帯を締めて、気分良くもないのにわざとらしく口笛を吹きながら縁側に出た。すると、まるで九郎兵衛が風呂から出てくるのを待っていたように、お雪が縁側に座っていた。

「何してんだお前、そんな所にいたら冷えるだろ」
「平気です。それより九郎兵衛さま、もっとしっかり拭かないと。風邪をひいてしまいますよ」
「じゃあお雪が拭いてくれよ」

 お雪は何も言わずに立ち上がると、自分が今まで座っていた所に九郎兵衛を座らせた。そして彼の肩にかかっていた手ぬぐいを頭に被せてがしがしと少し乱暴に拭いていく。ある程度拭けたら、今度は手櫛で髪を整えてくれた。半分冗談で言ったにも関わらず、一生懸命拭いてくれるお雪の優しさが九郎兵衛の身に沁みるようだった。
 終わりましたよ、と言うとお雪は九郎兵衛の隣に腰を下ろした。するとじっと彼の顔を見て、遠慮なしに言う。

「男なら死に場所を決めておけって、御主人が言ってました」
「はあ?」
「私にはよくわからないけど、何かあったら話相手になりますよ」

 大船に乗ったつもりで、と言わんばかりに自信に満ちた目をしているお雪を見て、しばらく九郎兵衛は主人の言葉の意味を考えた。おそらく短時間で九郎兵衛の迷いを見抜いたのだろうが、まだ十一歳の少女に「死に場所」なんて言葉を教えたのかと思うと少し恐ろしく思えた。このままお雪が真っ直ぐ成長するか不安になってくる。
 ならこの際だから少し頼らせてもらうか、とお雪に笑いかけて九郎兵衛は腕を組んだ。

「例えば、お雪がおれに会いに来たいと思ったとする。けど、会いに来たらどんな危険があるかわからねえ。お前ならどうする?」
「会いに行きません」
「即答か……」

 九郎兵衛は苦笑いして肩を落とした。女と言ってもまだ子供で、やはり遠慮がない。この歳で色気づいた返事をされても、それはそれで困るが。
 一方お雪は九郎兵衛の真似をするように腕組みをして、一人で唸っている。そして少し考えた後、うんうんと頷いてきっぱり言う。

「待っててくれる九郎兵衛さまは大事だけど、私は自分も大事です」
「そりゃそうだ」
「みんなそうだと思います」
「ん?」

 史郎さまも。
 そう聞こえたような気がしたが、どうやら九郎兵衛の気のせいらしい。真っ直ぐなお雪の言葉の裏には何も隠されていないのだろうけれど、それを疑ってしまうくらい、意味深な言葉に思えた。お雪に気を遣わせているとしたら申し訳ないが、自分の考えを正直に口に出してくれるあたり、この少女は間違いなく主人の性格と似通ったところがあると感じた。
 あれこれ考えていた九郎兵衛にお雪がにこりと笑う。

「でも、九郎兵衛さまは私に会いに来ても危険はないんでしょう? だったら、またきっと会いに来てくださいね」
「お雪は何と言うか、頼もしいな」
「御主人の傍で働いてるんだから当たり前です」
「まあ、もう少し女らしくなれば言うことねえかな」

 九郎兵衛のからかうような口調にお雪はむっとしたようで、頬を膨らませながら立ち上がってさっさとその場を離れてゆく。小さな背中が遠ざかるのを見て、今度は背中流してくれよな、と九郎兵衛はまた冗談半分で言ってみた。
 お雪はくるりと振り向き、内緒話をするように唇に人差し指を当てて、静かに笑った。

「私がもっと九郎兵衛さまの事を好きになって、妻になりたいと思えるようになったら、その時に」

 そう言うとお雪はすぐに奥の部屋に入ってしまい、姿は見えなくなった。
 一人縁側に残された九郎兵衛は、あまりにも無垢なお雪の笑顔に、ほんの一瞬鼓動が早くなった気がして、呆然としている。先程まで感じていた重苦しさも、今ではすっかり軽くなっていた。
 頼もしく、器量良しのこの少女が、次に会う時はどのように成長しているのか。

「……十一歳でも女は女って事か」

 ため息混じりにそう呟いて、九郎兵衛はお雪に拭いてもらった髪をかき乱した。





13.01.08

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