スタート台のグリップを握り、真琴は両足を壁につけ体を近づけた。顔を上げ、その瞬間を待つだけ。スタートまであと少し。


“――同じ景色を樹ちゃんに見せるから”


いつだったか、隣のレーンを泳ぐ樹ちゃんが空が見えると言っていた。
窓から見えるんだから当たり前だよ、と言っても「それとは違う」と彼女が笑っていた。青空の下で、泳いでいるんだと。それとは別に、いつか大海原の水平線から空を見たいとも言っていた。

「よーーーい」

出発合図員の掛け声とスタートを知らせる電子音、一斉に選手が跳ねる。体を後方へと押し出して水の中を進む。


「真琴が抜きでたっ!」
ストリームラインを維持し浮上、手の甲を外へ向け親指から抜き出していく。

「いっけー、行け行け行け行け、真琴!」

水の抵抗が少ない、手を前に戻す動作のリカバリー。一連の動作に無駄が無い。そしてダイナミックな、真琴の泳ぎ。
その泳ぎを後押しするように、笹部コーチ、天方先生、江、千種ちゃんたちは声を上げた。樹も真琴へ届くようにと声を上げる。


「おっせー、押せ押せ押せ押せ、真琴!」

「おっせー、押せ押せ押せ押せ、真琴!」


ただ真っ直ぐに、流れる水を受け入れ掻きだす。少しずつ息が上がっていく。水の中だというのに、視界が暗闇へと変わっていく。囚われてしまうような感覚に、恐怖を感じていくようだった。



“―――真琴!空だよ!”

「……え、樹ちゃん?」

“ほら、空が見えるって言ったじゃん!”

樹の声と同時に、光が差し込む。目の前が、明るくなっていく。


「これって!」


光が差し込む。真っ青な空の下、自分が水平線の大海原にいることに気が付く。凪いでいる波に怖さを感じることは無かった。この感覚に覚えがあった。輝く太陽に、真琴は目を細める。これは彼女が見たいといっていた景色。気持ちがいい。
あとは進むだけだった。強く、速く、水を押し突き進むだけ。


「……真琴、空の下は気持ちいいよね」


手摺に手を掛け、樹は真琴へと投げ掛けるように呟く。その泳ぐ姿に。
タッチまで、あと僅か。声援の声が大きくなる。

――あと少し!

壁に指先が触れれば、真琴は体を起こして跳び出したその姿に声を送る。


「渚ぁーーー!」


一点を見つめるように、スタート台を蹴り上げた渚は入水する。腕を前に伸ばし、身体を乗せ、前へと進める。前へ前へと泳ぐことに意識を向けた。


“――っ!渚!”


声が聞こえる。それは、いつも自分たちを一緒に見守ってくれてきた大切な女の子の声。

“渚、顔を下げない!前を向いて、みんながいるよ!”

「イツキちゃん!?」

前へと目を見開けば、不思議なことに視野が広がっていく。目の前をイルカ、シャチ、鮫、輝く蝶が光の差す方へ導き始めたのだ。


「待って!僕も行く!」


導かれるまま、光の差す方へと渚は進んでいく。身体が水に乗るように、加速する。樹が自分に教えてくれる。遙、真琴、凛、怜と一緒に泳いでいると。皆と泳げることが、自分の力となる。



“想いを繋いでいく”



「あいつら、強豪校を差し置いて3位って!」

大型の電光表示盤に示された、5コースを泳ぐ岩鳶の隣にあるのは3っという数字。現在の暫定順位。笹部コーチの声に、天方先生や江も目を丸くする。

「凄いわ!」
「自己新ですよ!」
「次は、怜だな」

強豪校を差し置いての順位。地方大会という大きさに飲まれていないかと、渚の次を泳ぐ怜を心配してスタート台へと笹部コーチたちは顔を向ける。だが、目を疑う光景に三人は声を上げた。


「「「えぇーーー!?」」」


スタート台でその時を待つのは、怜ではなく松岡凛だった。その光景に驚愕するのは、笹部コーチ、天方先生や江たちだけではなかった。

「松岡先輩!?」

「何やってんだあいつ!」

鮫柄高校の観客席で、予選を見ていた御子柴と似鳥は驚きで声を上げる。
凛を知る者たちは困惑を起こしてしまう。その者たちとは違って、凛の気持ちは清々しいくらいにスッキリとしていた。


“――凛も泳ぎたいなら泳がないとね”

「そうだな、樹。…だから、見とけよ」


岩鳶高校の観客席へと、視線を一度送れば樹が大きく頷いていた。凛の胸は熱くなっていく。
プール内へと顔を戻せば、渚がすぐそこだ。溢れ出てくるのは、これから泳げるという喜び。凛の口角が自然と上がっていく。ゴーグルに手を掛け、ニッと笑っていた。


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