「――けど、今更、もう遅ぇよ。…俺は樹に、告げたことを守れねぇ。泳ぐって言ったのに…」


ポツリポツリと凛は告げる。自分の心の内にあったものに向き合っても、もう遅い。そして自分がリレーを泳がないこと、水泳をやめると告げた場所に、樹がいたのを覚えていた。泳げなくて苦しい思いをしている樹が、どう思ったのかと頭に過る。
凛の言葉を聞いて、遙は肘を着き体の上半身を起こせば目線を合わせた。


「いや、遅くなんかない。樹の目の前で、泳げばいい」

「?、どういう意味だ……」

「行こう、凛」


遙の告げたことが、分からない凛は戸惑ってしまう。樹は、もう凛は大丈夫だっと止めていた足を進めようとすれば、真琴に腕を引っ張られてしまう。振り返れば、真琴は顔を俯かせている。


「……樹ちゃん、」

「真琴、どうしたの?」

「俺の泳ぎを通して見てよ。俺、絶対に見せるから“空”を。同じ景色を樹ちゃんに見せるから」

「っ!」


その声、顔は真剣だった。真琴の瞳に吸い込まれるような感覚に、足が、体が固まってしまう。本当に嬉しくなる。きっと自分が同じように、変わらずに、遙や真琴たちと泳いでいたら生まれなかった感情だろう。


「あー、マコちゃん!イツキちゃん!リンちゃんは?」

「!、渚、怜くん」

樹と真琴に、手を掲げて渚と怜が駆け寄ってくる姿に、樹は「あそこだよ」と告げる。その声に遙と凛は顔を向ける。

「リンちゃん!!」
「お前ら……」


凛は近くに樹や真琴、渚、怜がいることに驚きながらも体を起こし、四人のいる方へと向き直る。四人とも笑みを浮かべている。だが、怜は肩を上げて「まったく」と口にした。


「あなたを見てると、イライラするんですよ。泳ぎたいなら泳げばいい!」

「…凛、昨日言ったよね。私は泳ぎたいから、泳いで見せるって。だから、凛も泳ぎたいなら泳がないとね!」


二人の言葉を聞いて、遙は凛の名を呼ぶ。託された思いを引き継ぐように。


「凛、来い!」


遙へと振り返ようとすれば、舞い散る桜の花びらが視界に入る。起こり得ないことだが、凛の目には遙と一緒に桜の花びらが映っている。


「――今度は俺が見せてやる。見たこともない景色を!」


その言葉は、自分が遙、真琴、樹に初めて葉も花もない桜の木の下で宣言した言葉だった。それを表すかのように、満開の桜が咲き誇っている。二人を包んでいた。


「……あの時と同じだね」

「そうだね。今度はハルが見せてくれるよ」

「真琴、私の場合はみんなだよ。見たこともない景色を、みんなが見せてくれるんだよ」


樹は遙と凛の背にある木を眺めながら、空へと仰ぐように顔を向けた。


“あのときを再び”



「――ダメです、樹先輩に連絡しても出ません!」

「くっそー、あいつらどこに!」

地方大会のプログラムがメドレーリレーへと移っていた。会場アナウンスが予選1組目になることを知らせる。遙たちの試合は予選2組。観客席から飛び出したまま、戻ってこないことに笹部コーチや千種、江たちは焦っていた。

「やべぇよ、もう始まっちまう!」
「ここまで来て棄権なんて、」
「…あっ!来ました、遙先輩たち!!」

召集後、選手たちがプールサイドへと移動をしている。このままでは、試合が間に合わない。不安が心を過れば、他校チームの選手たちの列へと駆け寄る遙と真琴がいることに江が気付く。
係員へ話している真琴と遙の側に、渚も一緒にいる。そのまま列へと入っていくの見て何とかなったんだと天方先生と江、笹部コーチは安心する。

「どうやら間に合ったみたいね!」

「よかった〜!」

「いやぁ〜」


肩の荷が下りて、安堵のため息がもれる。


「……本当に、冷や汗ものだったね」

「あぁ、本当に…って、おい!樹?!」

「朝日奈さん!」

「樹先輩、今までどこに!」


柵の前に立ち、そのときを待とうとする笹部コーチたちの隣に突如現れた樹へと揃って顔を向ける。樹は苦笑い浮かべて「すいません」と告げれば、プール内へと顔を向ける。「そろそろ、始まりますから」と。


“――先輩の応援が、皆の力になるんです!”


それは今さっき、怜から言われた言葉だった。
試合が始まれば何があろうと、止めることは出来ない。きっと彼も始まる瞬間の、この場所に立ちたいだろうに。それはまだ出来ない。まだ知られてはいけないのだから。樹は、柵の手摺に手を掛けて力を込めた。



「――男子メドレーリレー、予選2組」

会場アナウンス後、出発合図員が笛を鳴らす。ついにその時がやって来たのだ。樹は、大きく息を吸った。


「真琴ぉおーーー!!」


その声が会場内に響く。樹が見ていてくれることに、真琴は自分の胸に握りこぶしをおいた。

「真琴ぉ!」

「真琴せんぱーーい!」

樹に続くように、笹部コーチと江も声を振り絞る。緊張を拭うかのように、自分の頬を叩き真琴は水の中へと入水するのだった。


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