凛はメンバーから外されてしまったこと、遙たちと泳げないことに、苛立ちと遣る瀬無い感情でいっぱいになっていた。どうしようもない気持ちがいっぱいに溢れてくる。

「松岡先輩…、あのっ、元気出してください」

凛を慕う似鳥は励まそうと声を掛けていた。鮫柄高校なら全国大会へ進められる。だからこそフリー100に集中し、リレーのことは忘れてくださいと。その思いとは裏腹に、凛は感情をぶつけてしまっていた。




「今日の日に向けて、皆厳しい練習を積んできたかと思います――」


始まった開会式、一同に選手が会している。その様子を二階から眺めていた千種ちゃんが江に、江の兄の凛はどこにいるかと尋ねていた。

「ねぇねぇ、江のお兄ちゃんってどれ?」
「えっと、ね、鮫柄の……‥?」

その声が聞こえた樹も、江と一緒に凛の姿を目で捜していた。鮫柄高校の中に並んでいる凛を。
赤髪、黒いジャージ、その姿はすぐに分かったが江も樹も、凛に違和感を感じてしまう。暗く、浮かない表情をしていたのだ。

「……凛?」
――昨日もどこか寂そうな顔だったけど、凛は最高の泳ぎを見せてくれるって。

だが、明らかに様子がおかしい凛に、樹は心配してしまう。それは、列に並んでいた遙も感じ取っていた。




「――男子自由形100M、予選3組」


会場アナウンスが、プール内で行なわれるプログラムを知らせる。
それと同時に出発合図員の笛の音が、会場全体に響き渡っていた。開会式を終えた遙たちが観客席に座り、その瞬間を待ち兼ねていた。

「次、リンちゃんだよ」
「あぁ」

自由形100M予選3組第4コース。選手たちが一斉にスタート台に立ち、スタートの態勢を取った。

「お兄ちゃーーん!ガンバレーー!!」

静まろうとする会場に江の声援が響き、鼓動を跳ね上がらせた。
樹は拭い切れない不安を払おうと首を振って、手摺を握る手に力を入れた。始まろうとする、その瞬間に全神経を集中させる。

「よーい」

Pi―――電子音と同時に一斉に飛び込び、会場には「せーい」の声が響き渡った。

「!?、凛っ!」

一斉の入水だと思ったが、それが違ったのだ。

「スタート、出遅れた!?」
「凛ならターンで取り戻せる」

スタートの出遅れ、それは凛らしくないことだ。信じられないというような声色で、真琴が口にするが、遙が大丈夫だと告げる。だが現実は、違うものだった。

「凛…」

キャッチも、ストロークも弱い。腕が伸びきれていない。だからか、スピードも上がらない。
聞こえてくるのは、鮫柄水泳部の声援。会場を包んでいく。凛を後押しするように。


「おぉー、せい!せい!せい!せい!」


タッチターンに入るが、ターンの伸びが甘い。


「凛、どうして…っ、」


凛の泳ぎは、もがいているようで苦しかった。胸を締め付けられるような傷みを樹は感じていた。
目に飛び込んできたものは、嘘だと言いたくなるような結果。最下位だった。その現状に笹部コーチは顔を歪ませる。


「どうしたんだ、凛のやつ」

「お兄ちゃんっ、」


キャップとゴーグルを取った凛は、肩で大きく呼吸を繰り返す。何度も、何回も。プールサイドへと上がるもの苦しそうで、身体は水の中へと沈んでしまう。
手摺から手を放し、席へと振り返れば遙が立ち上がり階段を駆け上がっていた。その後を追うように、樹も自然と足が動いていた。向かう先は凛の元だ。

「ハルっ!樹ちゃんっ!」
「僕も行く!」
「僕も!」

走り出した遙と樹を追うように、真琴も同じように飛び出した。それに続くように渚、怜も階段を駆け上がっていた。


“駆け巡る感情”


「――先輩、松岡先輩!」


試合後の凛は、似鳥に声を掛けられるが控室を出てから通路をただ歩いていた。似鳥の声も聞かず、ただ足を進めるだけだった。

「待ってください、大丈夫です!今日はたまたま調子が悪かっただけですよ。先輩の実力は本物です、コンデションさえ整っていれば今日だって――」
「うっせぇ!!!!」

似鳥の言葉を振り払うように、凛は言うと同時に側にある窓ガラスをバンッと叩く。その鈍い音と、凛の叫び声は遙や樹たちのもとにも届くほどのものだ。


「今のって」
「凛の…、だけど」

一緒に聞こえてきた音に、真琴も樹も動揺してしまう。怜は「こっちです」と、その声と音がした方へと体を反転させ、遙たちは足を急がせた。


「先輩、落ち着いてください。そんなことしたら次からもう試合に出られ――」
「関係ねぇ!!」

掴まれた腕を振り払うように、凛は声を荒げてしまう。一歩、引いた似鳥に噛み付くかのように凛は声を上げる。


「もうどうなったって構わねぇ!所詮、俺はこの程度なんだよ!だからリレーも外された!!」


その声に近付けば、凛が似鳥と一緒にいることが分かる。そして二人の話している内容も耳に届いていた。
だからこそ、聞こえてきた声に、遙や樹、真琴、渚、怜は自分たちの足を止めてしまう。


「もういい、やめだ!水泳なんてやめてやるよ!」


その感情は、自動販売機の近くにあったゴミ箱へと飛んでいた。凛が蹴り飛ばしたごみ箱が、音を立てて散らばっていく。中から飛び出した空き缶がカランコロンと響いていた。
散らばったゴミの横を、凛は通り過ぎていってしまう。


「松岡先輩っ!」


その背中を止めるために、似鳥は声を上げるが凛の耳には届くことはなかった。一度、似鳥は遙たちの方向へと顔を向けるが、凛の後を追うように走り出してしまう。
遙や樹たちは、凛の行動にただ呆然と見ているしかできなかったのだ。瞳を揺らがせて。


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