更衣室、ロッカーの鏡に映る自分に言い聞かせるように遙は告げていた。

「――今日で自由になれる」

スイムキャップとゴーグルを握り、扉を閉めて、召集場所へと向かった。




「樹ちゃん、どうかしたの?」


遙の背を見送ってから、樹は落ちつくことが出来なかった。そわそわとするようにプールサイドの入口へと何度も目をやっていた。


「なんか、自分のことじゃないのに緊張しちゃって」

「大丈夫だよ、ハルなら」

「あっ!次はハルちゃんと、リンちゃんの番だよ?」


他の組が泳いでいく中、渚が召集場所から一列になってスタート台へと向かう遙と凛の姿に気付く。

「松岡さんは、どっちを応援するの?」

「もちろん!どっちもっ!!」

天方先生の問いに言い切れる江が、少しだけ樹は羨ましかった。


「ハルちゃーん!ファイトー!!」


ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピー――――出発合図員の笛の音、スタート台へと立つ

「よーい」

バーを手で握り、足の指をスタート台の端に掛け、遙は左足を、凛は右足を引く。クラウチングスタートの体勢をとった。全神経を集中させる。


Pi―――電子音と同時に、一斉に飛び込み。水面に飛沫が上がる。


飛び込んだ選手を、後押しするように「せい!」の掛け声が響いた。もちろん、鮫柄水泳部からもだ。
入水後の滑りこむようなストリームライン、二人の流線は長く速い分、フォームへの展開が速い。




「速い!」

怜にとっては、遙と凛の対決となる泳ぎは初めて見る。


「リンちゃん…前より格段に速くなってる!どんどんハルちゃんを突き放して行くよ!?」

「ストロークでハルが負けてる!?」

「…凛のキャッチが大きいんだ」


キャッチ、大きく水を掴み
ストローク、水を掻く腕の動きが凛の方が大きくて速い分、勝ってしまっている。


「ターンに入ります!」

「ハルちゃんが追い上げてる!」


先をいく凛とその差を詰める遙、


――誰よりも水が好きで、誰よりも水を感じていたい。だから、ハルは誰よりも速く先を泳いでいた。


加速する鼓動に、息をするのも忘れそうに
手摺に掴み、力いっぱいに握り、体を乗り出すように声を放った。


「ハル、いけぇーーーっっ!!」


樹の声に続くように、真琴、怜も声を送る。



「ハルーーー!!」

「遙せんぱーーーいッッ!!」



横へ並び、その手が壁面へタッチした。


「………うそ」


先に着いたのは、凛だった。


「ハルが…‥負けた」

「そんなぁ……」


大型の表示盤に映るのは、順位とタイム。そして、決勝戦へと進む者の名前とタイムだった。


「しかも、予選落ちなんて………」


周りの言葉が、耳に届かない。
曇っていく表情に、私は不安を感じていた。ハルの目の前が渦を巻くように歪んでいくような。



「え、樹ちゃん!?」



――気付いたら、走り出していた。



“瞳に映るもの”



二度と泳ぐことはないと、凛に言われていたなんて思いもよらなかった。

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