合宿を終えて、怪我なく帰ってきた。
日は過ぎて、気付けばプールサイドの柵に掲げられていた日数が“県大会まであと五日!!”となっている。江が書いた習字の文字が、県大会までもう少しであることを教えてくれていた。


「樹ちゃん、今日も特訓やるんでしょ。俺、付き合うよ」


ストップウォッチの計測して出た数字を、手にしているクリップボードの用紙へと書き込んでいれば、ひと泳ぎ終えた真琴が声を掛けてくる。


「真琴…それなんだけど、もう県大会が間近なんだから、今は自分たちのことを優先させて」

「…でも」

「いいの、いいの。大会が終わったらまた付き合ってもらうから」


特訓というのは、樹の泳ぐ特訓だ。合宿後、帰ってからプールで挑戦をしてみたがそう上手くはいかないもので、やはり足がすくんでしまったのだ。
それから、部活終わりに真琴や遙が樹がプールの水へと入れるように付き合ってくれていたが、まだプールの水へと手で触ることも足を入れることも出来ていなかった。
それでも特訓のおかげで、プールサイドの端の江が立つ位置まで行くことが出来るようにはなった。

「ほら、そろそろハルと渚が終わるよ」

1コースで泳いでいた遙とその隣で泳いでいた渚が、壁へとタッチすれば江がストップウォッチを二回切った。

「遙先輩、凄い!!また、自己新記録です。地獄の合宿の成果ですね」

区切り浮きを潜って、2コースにいた渚が1コースへと顔を出す。


「僕は!僕は!」

「う〜ん…、渚くんはもう少し頑張りましょうって感じ」

「だけど、みんな短期間でよくここまでこられたって思うよ。怜のバッタもタイム上がってきてるし」


真琴が、6コースで黙々とバッタで泳ぐ怜へと目をやったように、樹も目線をやった。


「そうだね、怜くんは脚力が陸上部で出来あがっていたから素質もあったんだろうね」

「はい!樹先輩の言う通りです。怜くんは、各種筋肉が出来あがってましたね!」


筋肉の話題になった瞬間、江は目を輝かせるが「でも」と告げて人差し指を立てて空を指した。


「この程度で満足しててはダメです。みんな、もっと上を目指しましょう。ちゃんとしたコーチをつけて」

「えーーー!!今からーーー!?」

「何かを始めるのに遅すぎることはありません。最後の調整だけでも見てもらえれば、より完璧のコンディションで大会に臨めます」

「江、そのコーチがいないんだよ」

「そうだよ、やってくれる人が―――」


確かにいた方がいいが、笹部コーチにも断られていると思い返し樹と真琴は江へと告げれば、だから真剣に探すんですよと言い返されてしまう。
江の勢いに落ちついてというように樹と真琴が両手を広げていれば、プールサイドへ上がった遙から告げられる。


「必要ない」
「ま、確かにハルには必要ないかっ」
「ハルには、そうだね」


遙は1コースのスタート台へと立ち、片足を引き、再び水面へと曲線を描くように飛び込んだ。

「もう、真琴先輩も樹先輩も甘やかすから」

「甘やかすから、なぁーに?」

江は樹の顔を見て、そのあとの言葉を飲み込んだ。本当は遙先輩が…と言いたかったが、プールサイドには江のなんでもないですという言葉が響いていた。

「別に怒っていった訳じゃないのに」
「まぁまぁ、落ちついて樹ちゃん」



合宿から帰ってからは部活三昧。自分が泳いでいる訳でもないのにひどく疲れを感じた樹は、遙の家に泊まった。
遙の家で使っている枕に頭を乗せ、見慣れている天井を見つつ目を閉じた。


「――…‥樹、樹?」

体を揺さぶられ、瞼をゆっくり開けばぼやけた視界に思案顔の遙が映る。視線をずらせば、遙がしゃがみ込んでこちらを窺っていることに気付く。

「……ハル、どうして?」
「朝。樹が起きる時間なのに起きてこないから」

その言葉に上体を起こせば、涙が頬を伝う。遙は樹の涙にハッとして親指の平で掬った。

「怖い夢でも見たのか?」
「………怖い夢じゃないよ」

怖い夢ではないが、言い表すのが難しかった。つらい記憶の一部。
否定だけを告げて顔を左右へと振れば、頭にふわっと遙の手を下りてくる。ポンっと優しく撫でられた。

「分かった。早く着替えて下りて来い」
「うん、ありがと」



“怖いよりもつらい”



幼いときに見た光景。別れを惜しむ白い着物を着た人たちの最後尾に、赤い髪の男の子が女の子の手を引いていたのを。
それを夢で見た。私も、ハルも真琴も凛に会ってあの二人が凛と江であったことを知った。記憶の一部を夢で見たのは、合宿時に凛と会ったからなんだろうかと頭に過っていた。

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