もう少しだけこの町に用事があると言うアルヴィンのため、宿を取ることになったのは夕刻を回った頃だった。
夜までまだ時間はあるからと、宿のロビーにあるソファーで本を広げる。先日ル・ロンドの家に帰った際に持って来た、下肢の病に関する医学書だ。さすがにというべきか医療ジンテクスについては載っていないけれど、目について思わず持って来てしまって、読まないのも勿体ない。
厚みのあるそれを膝に乗せて、ページをめくる。するとふいに、淡いクリーム色の紙に薄く影がかかった。

「ジュード」

芯を持った真っ直ぐな声に名前を呼ばれて、読みかけの本を開いたまま顔を上げる。輝く金の髪はゆらりと揺れて、ワインレッドの瞳が僕の顔を覗いた。

「隣に座ってもいいだろうか」
「え……う、うん」

凛々しく整ったミラの頬が、僅かに緩む。弧を描いた唇につい目が向いてしまい、どきりと鼓動が音を立てた。
ミラはゆっくりと僕の隣へ腰を下ろし、僕が手にしたままの本を覗き込む。ふむ、と小さく言って頷くと、チャームポイントらしい淡い風色の混じった長い髪が揺れた。

「医学書か?」
「うん」
「勉強熱心だな」

感心だ、と頷いてミラは本から目を離す。そうして明かりの方へと視線を向けて、どこか遠くを見つめる。それはこの旅の先なのか、ミラのなすべきことなのか、はたまた僕の想像を超えたものなのか、僕には到底分からなかった。
ただ分かるのは、ミラが少しだけ、疲れているということだけ。
ミラはそのまま遠くを見つめ、口を閉ざす。ぴたりとくっついた剥き出しの肩が、精霊の主であることなんて忘れさせてしまうほど、人肌のあたたかさを伝えてくる。
また少しだけ、鼓動が速度を上げる。気付かないふりをして、誤魔化すように本へ目を向けて、並んだ文字を必死に頭へ入れていく。最初こそ気になって仕方なかったものの、数分もすれば触れた体温は溶けあって、やがて僕は本の中へと落ちて行った。


どれくらいの時間が経ったのか、ようやく半ばほどまで読み進めたというところで、すうすうと規則正しい呼吸が耳に入る。そうしてふと隣を見れば、ミラは僕に持たれかかるようにして、すっかり眠ってしまっていた。

「……やっぱり、疲れてたんだね」

眠かったなら、部屋に戻っていても良かったのに。そう思いながら、起こさないよう気を付けて、そうっと流れる金の髪を撫でる。少しばかり波打つ長くやわらかな髪は、指先を通り抜けてきらきらと輝いていた。
ミラが疲れているであろうことは分かっていたのに指摘出来なかったのは、きっと僕がずるいせいだ。もう少しこの体温を傍に置きたいと、欲張ったから。そんな自分に呆れて溜息を零すと、ミラの瞼が僅かに震える。けれど起きることはなく、すうすうと小さく寝息を立てていた。
肩や首元、それから腹部。剥き出しになった肌に目を向けて、じわりと頬が熱を持つ。宿の温度設定に間違いはないようだけれど、眠ってしまうと体温は下がるし、一度は風邪を引いている身なのだから、また身体を冷やせば病気になってしまうかもしれない。宿の人に言って、毛布を借りよう。

「ん……うん……」

そう思って少しだけ身体を離せば、ミラは寝苦しそうな声を上げる。そうして長い睫毛を震わせながら、ゆっくりと瞳は開かれて、ぼんやりと僕を見上げた。
赤い瞳は濡れて、薄く開いた唇が形を変える。ぱちり、ぱちりと瞬きをする音さえ、耳に響いた。

「……ジュード」
「ミラ、眠いなら部屋に…」

行ったらどう、という提案は、言いきるより先に飲み込まれ、ミラはソファーへと転がってしまう。僕の服を、しっかりと掴んで。

「ミラ、」
「もう少し……」

このままで、と半ば寝言のように言って、ミラの瞳は再び瞼の裏へと隠れてしまう。それでも服を掴んだ指先が離れることはなく、少しだけ呆れて、その手に自分の手を重ねる。

「しょうがないなあ」

少しだけだよ。もう少しだけ、ミラが起きるまでは、この体温は僕のものに。



>>2013/01/23
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