まるで銃弾の降りしきる戦場のような音だ、と静雄は湿気にやられた煙草を握りつぶしながら空を見上げる。立ち込める曇天は日が沈んだことにより夜空と同化し、底の見えない海中を覗き込んでいるかのように真っ黒だ。
朝から降り続く豪雨といっても過言ではなかったそれは夕方になるにつれ雨量を増し、首都東京の交通機関を一気に麻痺させる原因となった。

「うわー……すんげえな、こりゃ」
「そうっすね」
「電車は止まるわ駅はそこかしこ冠水するわ……ついてねえなあ、こんな日に夜番なんて」

静雄の隣で肩を落とすトムも、この雨の酷さにはほとほと参っているようである。それはおそらく、電車が止まった為に足止めを食らった人も、雨のおかげで渋滞に巻き込まれた人も、雨風の強さで体を濡らしながら歩く道行く人も、皆同じ心境であろう。

静雄とトムは駅の構内から、かれこれ数十分は外の様子を眺めて立ち尽くしていた。雨が弱まるのを待っているのだが生憎とそんな気配はなく、ほとんどの電車も雨で停止しために駅構内には人が溢れかえってくる始末だ。雨の中、ようやく最後の取立て先を回り終えたというのに、これでは帰るに帰れない。

「しゃあないな、いつまでもここにはいらんないし。家帰るよか事務所のほうが近いから、一旦戻るべ」
「はい」

トムの言葉頷き、傘を広げて駅から出た。途端傘の布地を叩くのは先程も思ったが銃弾のような勢いで降り注ぐ雨粒。傘が破れるのではないかという心配を真面目にしながら、二人は口数少なく、道を歩く。
この雨の中を仕事のため歩いていたので、靴や足元は既にびちゃびちゃと濡れていた。傘だけでは到底しのぎきれない雨が体をも濡らすが、気にかけている暇はない。とりあえず今は、雨風しのげる事務所に向かうのが先決だ。

「っと、三好か?」

黙々と然程ここから離れていない事務所へ歩みを進めていた静雄だったが、視界の端に移りこんだ白に無意識にそちらを向く。トムも気づいたのか、二人揃って近くの店の軒先に非難していた白いパーカーに視線をやった。
パーカーを目深に被っていたその人は静雄の声が聞こえたのか、フードをはらりと落とす。中から現れたのはやはり静雄の思い描いたとおりの子供で、奇遇だな、とか何してんだ、とか問うよりも先に、その子供の姿に目を見張った。

「お前、ずぶ濡れにもほどがあるだろ……」

海にでも落ちたのか、そう尋ねたくなる程全身を余すことなく濡らしている三好は、纏っている白いパーカーさえもが水分で灰色に変色していた。ぴょこぴょこと跳ねている彼の赤毛も今はぺたりと三好の頭で大人しくなり、毛先からぽたぽたと雫が滴っているほどだ。

「これまた随分派手に濡らしたな、三好君」
「静雄さんにトムさん、こんばんは」
「いや、こんばんはじゃなくて。お前傘はどうした」

今日の天気は全国的に大雨の予報だ、まさか傘を持たずに外出する馬鹿はいまい。問えば「壊れました」と簡潔な返事が述べられる。

「学校から差してたんですけど、突風が吹いた時に壊れてしまって……仕方なく走って駅まで行ったんですけど今度は電車が動いてないって言われて」

だから仕方なくここで雨をしのぎつつ雨脚が弱まるのを待っていたらしい。

「君んとこは休校になんなかったんだな」
「その代わり午前授業でした」
「は?お前、今何時だと思ってんだよ。いつからここいんだ」

静雄は慌てて時計を覗く。時刻はもう夜といっても差し支えない頃だ。午前に授業が終わってそれからずっとここに立っていたというのだろうか、この子供は。

「……トムさん」
「わかってるよ。三好君、俺らこれから事務所戻るんだけど、一緒に来ないか?ここよりは屋根も壁もあるから快適だとは思うよ」

トムの言葉に、三好はきょとんと目を丸くする。けれどすぐに意味を理解したのか、慌てたように首を横に振った。

「い、いえ、そんなご迷惑になるようなこと、」

わたわたとする三好に、静雄はおもむろに手を伸ばす。ひたりとその頬に掌を添えて、ぞっとした。体温が、微塵も感じられない。
本当に、何時間突っ立っていたんだ、この馬鹿は。

「いいから、来い三好」
「でも、」
「ま、高校生お招きできるような事務所でもねえけど、静雄の可愛い後輩に風邪は引かせらんないからな」

急ぐぞ、そう言って歩き始めたトムに続き、静雄も歩みを再開させる。三好の細っこい手首を掴んで、強引に引き摺りながら。




「コーヒーしかないんだ、悪いな」
「いえ……ありがとうございます」

事務所内は空調が入っているため温かかったが、静雄とトム以上にずぶ濡れだった三好にはまだまだ寒いくらいのようだ。とりあえず濡れたままの服は着せてはおけないからと、静雄が事務所に替えとして置いていたシャツとバーテン服のズボンを貸し与えた。サイズは全く合わないだろが、冷たい服よりはマシだ。

着替えた三好はやはり裾や袖を盛大に余していて、だがしかしなんだかそんな姿が新鮮だった。

「静雄さん、服、ありがとうございます」
「いいよ、気にすんな」
「気にしますよ……それに、毛布まで。なんだか大げさです」

仮眠室にあった誰のものかは忘れた私物を使えと持ってきてくれたのは、今はこにはいないトムだ。三好にひとしきり世話を焼いた後、連日の仕事とこの雨による疲れだろう、さっさと着替えを済まして仮眠室に引っ込んでしまったのだ。

トムがいなければ、事務所の休憩室には静雄と三好以外の人間はいない。この雨だ、皆もう家に帰ったか、それともどこかで足止めを食らっているかのどちらかなのだろう。今はかえって、それが好都合だ。

ソファの上、静雄の隣に座る三好は、毛布に包まりながらコーヒーの入った紙コップに口をつけている。その唇は紫色で、細い肩も小刻みに揺れていた。かなり長い時間雨に打たれていたであろうことが容易に窺える。

「寒いか」
「あ、いえ……あったかいですよ」

コーヒーも美味しいです。笑顔を見せる三好に、嘘付け、とは言えなかった。
もう少し先輩を頼ってくれもいいのに、と静雄は思う。自分のことよりも人のことを気にかけるのは、三好の性格といってもいい。心配をかけまいとしているのか、それとも自分に無関心なのか。それは分からない。
けれどそんな、肩を震わせるくらいに辛いのなら、それを素直に口に出してくれてもいいのにと思う。いや、口に、して欲しい。
けれどそう言ったところで三好はそうはしないのだろう。何故ならそれが、三好吉宗という人間だからだ。

「……」

三好の手からコーヒー入りの紙コップを奪う。テーブルに置き、毛布越しでも分かるくらいに細い腰を抱き寄せた。

「わ、」

言葉を紡ごうとした子供の唇に、静雄のそれを押し当てる。伝わってくるのは冷たさばかりで、それを温めるように唇で中を割り開いた。

「……っ、…………!」

ぎゅう、と胸元辺りに縋ってくる掌を掴む。指先もやはり冷たくて、絡めるように指を繋ぐ。
腰を抱いて体を寄せ合って、熱を分け与えるように深く唇を合わせて舌を押し込んで、そうして、温めるように掌を包んだ。

どのくらいそうしていただろう。
唇から確かな熱が感じられるようになった頃、静雄はようやく子供の体を開放した。ふはりと息を吸い込んだ三好は真っ赤な顔で、微かに涙の膜を瞳に張っている。
握った指先からも、吐かれる吐息からも、抱いたままの腰からも、じんわりと、温かさが伝わってきた。

三好の、体温だ。
それを感じ取って、静雄はようやくほっと安堵の息を吐いた。

「寒いか」

また同じ問いかけをする。恥ずかしさからか、静雄の胸に額を押し当てるように俯いた彼の頭が小さく横に振られた。

「あったかくて……きもちいいです」

消え入りそうな回答に静雄は満足して、殊更強く子供の体を抱きしめる。


銃弾のように振り続ける激しい雨は、未だ止まない。
その音から、冷たさから、寒さから。
守るようにして、静雄は再び、三好の顔に唇を寄せた。










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