※池袋崩壊




空が赤かった。夕暮れ時の茜色は、しかし三好の目には血の色のように映る。ぐしゃぐしゃになった街並みは、数刻前の荒々しさが嘘のように静まり返っていた。
倒壊したビルの数々からは、もうあの、日常だった池袋の景色を連想することは出来ない。見慣れた音符型のオブジェが真っ二つに割れて散らばっているのを見て、三好は泣きたくなった。

(帝人君、正臣君、園原さん、千晶ちゃん)

皆何処、呟いた言葉は乾いた空気に吸い込まれる。煙と鉄と何かが焼ける臭い、砕かれたショーウィンドウも崩れたビルも割れたコンクリートの地面も倒れた電柱も崩れたブロック塀もひしゃげて道路に置き去りにされた車の数々も未だ煙の燻る民家も所々に散らばる赤黒い水溜りも、全部全部、嘘だと夢だと思いたかった。泣きたかった。

「っ、」

ズキンと痛んだのは左足で、それまで極力見ないようにしていた足からは制服から滲み出るようにして血が流れている。銃を向けられたのは初めてだった。本物を見るのも初めてだった。だというのに掠り傷程度で済んだのは本当に幸いだ。そう、前向きに思うほかない。
足だけではなかった。転んで打ち付けた右肩も痛かったし白いパーカーは灰と砂塵で汚れてしまった。擦り傷も、あちこちにある。
痛かったが、痛いと足を止めるわけにはいかなかった。三好は今、一人なのだ。一人ぼっちなのだ。

(門田さん、狩沢さん、遊馬崎さん、渡草さん、トムさん、サイモンさん、谷田部君)

知り合いの顔を脳裏に思い浮かべてみる。皆無事だろうか。いや、絶対無事のはずだ。自分がこうして生きているのだから。あの人たちがそんな簡単に、やられるはずがない。

足を引き摺る。はあはあと意気が上がる。時折上空を飛び交うヘリの音にびくついては、それでも三好は歩みを止めなかった。

(、っ)

一人。ただの一人。壊された日常、崩壊した池袋の街の中で、三好は今、たった一人、彷徨っている。もしかしたら、もう生きているのは自分だけかもしれない。そんな最悪な想像が頭をよぎるくらいには、精神は擦り切れていた。

「し、」

走りたかった。走って早く、人のいる場に行きたかった。けどそんな場所あるのだろうか。存在するのだろうか。もし誰も、誰もいなかったら?

「しずお、さん」

会いたい。会いたい、会いたい。一人は嫌だ、会いたい、怖い、泣きたい。誰か、誰でもいい、一人は怖い、誰か、誰か、誰か。

足がもつれた。べしゃりと転んだその拍子に三好の眦からとうとう涙が零れて、悔しさと恐怖から三好はきつく唇を噛み締める。思考が、恐怖で塗りつぶされる。

「おいっ、誰かいるのかっ」

幻聴かはたまた奇跡か、願わくば後者であればいい。恐怖に支配されつつあった三好は顔を上げる。上げた先、確かに見えた。金色だ。白いワイシャツと黒いスラックス。ベストはないが、見間違えようもないバーテン服。目が合う。三好の眦から、また涙が落ちた。

「三好!」

駆け寄ってくる男は、ああ間違いない、会いたく会いたくて堪らないその人だ。静雄だ。生きていた。自分は、一人ぼっちではなかったのだ。

「しずっ、お、さんっ」

そんな力どこに残っていたのやら、三好は無理矢理体を起こし、立ち上がる。よろよろと歩く己の小さな体を抱きとめてくれた温もりは、幻覚でもなんでもない。奇跡だった。

「静雄さん、静雄さん、」
「三好っ、良かった、無事で……本当に……っ」
「僕、も、静雄さんが、無事で、よかった、ですっ」

痛いくらいの抱擁が今は酷く幸せだった。遠慮も羞恥もなく幼子のように抱き縋れば、その力はますます強くなる。それに安堵して、三好は今、自分が泣いていることをようやく自覚した。

抱き合ったまま、その場にずるずると二人して座り込む。静雄の体もぼろぼろだった。きっと、彼は三好のように逃げ惑うことはせずに、戦ったのだろう。鉄臭ささが鼻を突いたが、確かに今、静雄の胸からは心臓の鼓動が感じられる。生きているのだ。自分も彼も、生きている。
この、一人きりだと思っていた世界で。

「お前、怪我だらけじゃねえか」
「静雄さんこそ、あちこち怪我してます」
「俺はいいんだよ、痛くねえし」
「なら、僕も」

静雄が生きてくれていただけで、それだけで怪我とかそんなもの、どうでもよかった。痛みも気にならない。ぼろぼろだろうが傷だらけだろうが、生きているのだ。生きているからこそ、こうして抱き合っていられるのだから。

「……生きててくれて、ありがとう、三好」

上空をヘリが飛び交う音がする。赤い色は消えうせようとしている。もうじき夜が来る。

それでも二人は抱き合ったままだった。壊れた世界の中で、ただ二人、生を感じて抱き合っていた。










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