「世間はすっかりバレンタイン一色だよなあ」

今日の仕事の解散間際、トムさんがそんなことをぼやいていた。そうすっねと気のない相槌を打った俺は右から左へその言葉を流してお疲れ様でしたと挨拶をしたが、そうか、明日はバレンタインなのか。

馴染みは正直言ってない。学生の頃からこんなんだった俺に好き好んでチョコをくれたのは、家族以外には皆無だ。ああ、一度セルティから友チョコって奴をもらったそういえば。次の日から新羅の野郎にネチネチ嫌味を言われ続けて腹が立ったのでぶっ飛ばしたのはまあ、そんなに昔のものではない思い出だ。

携帯で時刻を確認すれば、もう日付をすっかり超えていて、ああ通りで寒いわけだと肩を竦める。もう、十四日になってしまったようだ。

別に興味なんか今の今まで毛ほども持たなかったが、今年はどうしてか、すこくがっかりしている自覚はある。もしあいつがいてくれたら。そう思わずにはいられないのは、最早仕方のないことだろう。
もしあいつがいてくれたら、犬っころみたいな笑顔で俺に駆け寄ってきて、そして、いつもと代わらぬあの声で俺の名前を呼んで、そして、きっとチョコレートを、くれたことだろう。
あいつのことだから俺に限らず知り合い皆に配り歩きそうなのが面白くはないが、それでもあいつがいた心の穏やかさを知ってしまった今、こういった世間が総出で盛り上がるイベント事にあいつが不在というのが、嘆かれる。

(どうしてっかな)

もう一度携帯を取り出す。電話してみようか、そう思ったタイミングで、まるで見られていたのではないかと思うほどちょうどよく、携帯が鳴った。

「……もしもし」
『あ、静雄さん、お久しぶりです、三好です』
「分かってるよ、名前出るんだから」

そうでした、恥ずかしそうな声は、ああ、紛れもなくあいつの、三好の声だった。声だけで、寒さが微かに和らいだ気がした。

「珍しいな、電話、かけてくるなんて」
『すいません……もしかして、お仕事中でした?』
「いや、終わったところだよ」

夜になっても灯りの絶えない池袋の街を眺めながら、三好の声に浸る。電話越しなのがもどかしい、あいつのふわふわした赤毛にまた触れたい。

『……今日、バレンタインだなって、思って』
「それで電話?」
『本当は、直接、チョコレートも渡したかったんですけど』
「気にすんな。その気持ちだけで、嬉しいよ」

嘘だ。本当は顔も見たいし肉声も聞きたい。触りたいし、抱きしめたい。言ったところで三好を困らせるだけだから、決して口にはしないけれど。

しかし三好は、電話の向こうでくすくすと笑った。何かおかしいことを言ったかなと首を傾げるが、まあ楽しそうな三好の笑い声に、そんなのどうでもいいかと思えてしまうくらいには、俺はもう重症だ。

『静雄さん』
「なんだ」
『ハッピーバレンタイン』

その直後、耳慣れた馬の嘶きが聞こえてきた。視線を上げれば、目の前にはバイクに跨ったセルティの姿。電話は、いつの間にか切れてしまっていた。

「よう、どうした。仕事帰りか」
『いや、生憎とまだ途中だ。もう終わるがな』

そうしてセルティに突き出されたのは、小さな箱。菓子でも入っていそうなその白い箱に、俺は目を点にする。

「なんだこれ」
『今日はバレンタインだろう』
「ああ、友チョコって奴か?気持ちはありがたいけど、新羅のやろうがうるせーから俺はいいよ」
『誰が私からと言った』

それに友チョコでもないぞ、セルティの言葉に首を傾げるが、とりあえず押し付けられたそれを受け取る。白い無地の箱。既製品ではない。多分、手製だ。商品にするにはあまりにも安っぽくて、けれど商品と呼ぶにはあまりにも温かみに満ちている。

「おい、これって……」
『愛されてるな、静雄は』

俺が言葉を紡ぐよりも先に、再びバイクに跨りなおしたセルティは既に背を向けている。

『それじゃあ、私の仕事はこれで終わりだから。ちゃんと食べろよ、本命チョコ』

馬の嘶きが遠ざかる。




(……あいつ、)

脳裏に浮かぶのは、携帯を握り締めて恥ずかしそうに顔を赤らめる三好の姿だ。
俺は箱の中のチョコを一つ口に放り込みながら、また携帯を取り出した。はて、カメラ機能はどうやって使うんだったかな。

生まれて初めてもらった本命チョコは、あいつみたいにあったかくて、甘くて幸せな味がした。










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