ガシャン、という音がした。いや、実際の音はもっと凄まじく、バリバリッ、とかグシャッ、とかを織り交ぜたような破壊音だった。それが一体何の音でどうしてそんな音が辺りに響き渡るに至ったのか、僕は咄嗟に判断できなかった。ただあれ?と疑問が浮かぶ。

下校時、だ。そうだ僕は学校帰りだったんだ。百円均一ショップで切れかかっていたシャープペンシルの替え芯と消しゴムとを買ってその帰りだった。偶然通りがかった通り。そこでもはや池袋においては不思議でもなんでもない、まさに怪獣大戦争のような光景が広がっている現場に出くわした。

(そうだ、臨也さん達が喧嘩してて……)

臨也さんと、そして犬猿の仲である平和島静雄さんとが繰り広げる戦争はこの日は特に凄まじく酷い。僕が通りがかった時にはもはや人の影すら無く辺りには壊れた自販機の残骸が二つとぶちまけられた缶ジュースとペットボル、バイクか自転車のなれの果て、どこから持ってきたのかポスト、後は電柱があり得ない場所、道路のど真ん中に歪な形で刺さっていた。

(二人はその時、ナイフと標識で立ちまわってて……)

片やナイフ、片や標識。いつもの臨也さんの軽口と平和島静雄さんの地を這うような怒声。思えば、僕はこの時大きな間違いを犯していたんだ。僕はこの時すぐにでもこの場から立ち去るべきだった。そうすべきだったのにそうしなかった。理由は簡単だ。

(……あぶないっ)

臨也さんが足元に散らばる缶ジュースを踏み、足を取られたからだ。見知った人の窮地に、とっさに目が釘付けになってしまう。臨也さんの態勢が崩れ、相手はそれを見逃さなかった。

「死ねいざやぁぁぁぁっ!!」

怒鳴り声と共に投げられた標識。それは一直線に臨也さんに向かっていく。

「……なーんて、ねっ!」

しかし臨也さんが立ち直るのも早かった。素早く軸足を入れ替えそのまま低い態勢のまま安定した足場を取り戻す。真っ直ぐ飛んできた標識をナイフで思いっきり弾いた。あれをぶん投げる平和島さんもすごいけど、そのぶん投げられた標識の軌道を腕一本で変えるなんて、もしかしなくとも臨也さんだってすごいんじゃないだろうか。

思考が出来たのはそこまでだった。

(あ……)

弾かれた標識が真っ直ぐにこちらに向かってくる。スローモーションで映るその光景に見入る。体を動かす、その考えに至らない。スローになっているのは周りだけでなく、僕の思考回路もそうらしい。
そして僕はガシャン、という音を聞いたのだ。

視界がぶれる。体が何故か浮遊する感覚がする。バリバリ、という音と共に何かが体に降り注ぐ。背中にものすごい衝撃がして、息が出来なくなった。

「かはっ……!」

焼けつくような熱さと呼吸を奪われた事による酸欠、そして嘔吐感。痛み、だ。これは痛みだ。ようやく僕は激痛を理解する。

「っあ……あ……!」

あまりの痛みに視界が黒くなった。まるでテレビの電源を切ったかのよう真っ暗になった目の前。それと一緒にぷちんと切れてしまった僕の意識が、再び浮上するのはずっと後の事だった。




(こ、こは……)

目の前に広がったのは白い天井だ。僕の家の天井はこんなに綺麗でも高くも無い。違和感に体を動かそうとすると途端、全身を駆け抜ける激痛。

「っう……!」

冗談抜きで体が動かなかった。首を少し捻るだけでも痛い。何がどうなっているのか、意識を失う前の記憶が混濁していて、よく思い出せない。

「起きた?」

聴覚が拾った別の人間の声。反射的に首を動かすとまた痛んで、小さく呻きをあげた。相手は僕の体がまともに動かないのを知っているのだろうか、僕のすぐそばまでやってきて腰を下ろす。どうやら僕はベッドに寝ていて、相手はそのすぐ脇の椅子に腰をかけたようだ。

(って、あれ……)

「いざや、さん?」
「うん、そう。俺だよ」

予想外の人物が視界に飛び込んできて僕の思考は一瞬止まる。しかしすぐに記憶の回路が直結した。そうだ、僕は帰り道に、この人達の喧嘩に遭遇して、それで……

「骨折一カ所」
「え、」
「左足の骨にひびが入ってるって。あとは背中の殴打による肺の損傷と気管支へのダメージ、肩も外れてるし頭は打ってないけど額からの出血が多量」
「は、え……?」
「打撲と切り傷だけでも全治三週間。足と内臓に至っては二ヶ月は最低かかるね」

いきなりそうまくし立てられて僕は唖然とする。心なしか、喋っている臨也さんが少し苛立っているように見えて訳が分からなくなった。

「君の怪我の程度だよ。覚えてない?君俺達がぶん投げた標識に直撃してコンビニの窓ガラスに突っ込んだんだよ」
「そ、そうだったんですか……?」

正直記憶が無い。臨也さん達が喧嘩していたあたりの事は覚えているのだが、その後の事がどうにも曖昧だ。しかし今さっき彼が告げた事と怪我の程度が事実であればこの体中の痛みも納得できる。

「……あのさ、君馬鹿なわけ」
「へ……」
「なんであの場所にのこのこ来たの。なんでさっさと逃げなかったの。巻き込まれるって可能性考えなかった?馬鹿じゃないの、ほんと。池袋にいるなら平和島静雄と俺が喧嘩してたらさっさと逃げろ、って事ぐらい知ってるよね、ってか常識だよね?なんであんなとこでぼさっと突っ立ってたの。どうして逃げなかった、どうして、」

普段から饒舌な臨也さんだけど、今は何処か雰囲気が違う。その理由にはすぐに気がついた。臨也さんは、どういうわけかは知らないけれどすごく、とてもすごく、怒っている。

「いざ、やさ、ん……」
「ムカつくんだよ、勝手な事されると。こんな予想外全然望んでないから。なんでよりによって君が……一歩間違えたら死んでたかもって事、分かってる?」
「……ごめんなさい」
「本当に馬鹿な子は困るよね……愚鈍な子は嫌いだよ、俺は。なんでこんな……」

苛々としながら僕への文句を吐き出し続ける臨也さんに、僕はとても情けない気持ちになった。それはそうだろう、いくら僕のこの怪我の原因が臨也さん達とは言え、元はと言えば僕があそこで間抜けにも立ち止まりなんてしなければ負うはずも無かった怪我なのだ。僕がいなければあの事態は二人だけで終息しただろうし、僕が怪我をしてしまった事で臨也さんにも迷惑をかける事になってしまった。
体は痛むが、包帯の感触や薬の匂いがする。つまりは手当てをしてもらったのだ。それはきっと、臨也さんにはとても面倒な事だっただろう。

「ごめんなさい……ご迷惑、おかけして」
「……あのさ、帝人君。俺がなんでこんなに怒ってるか分かってる?」
「……僕が迷惑かけたから、じゃないんですか……?」

臨也さんを見上げる。彼は相変わらず苛立った表情のままだったけど、僕の言葉を聞くとますます顔を険しくさせた。これだから馬鹿な子は困る、またそう呟かれた。

「心配だから、だよ」
「え……」
「勝手に怪我するなんて許さない。勝手に怪我して死にかけてさ……血塗れで倒れてる君なんて、もう冗談でも勘弁してほしい」

ため息をつきながら臨也さんが掌で顔を覆った。その顔が少し疲れている事に気づいて、もしかして寝ずに看病してくれていたのだろうかと考える。いや、この人が?そんなはずないだろう、だってこの人は気まぐれで何を考えているのか分からない、人間を道具のように扱う人なのだから。

(けど……)

心配した、って、それは本当なのだろうか。

「……いざさやん」
「なに、」
「ごめんなさい……ご心配、おかけして」

言うと、臨也さんは全くだよとため息のように吐き出す。

「もう心配かけないでよ、この俺に」

この時ようやく臨也さんが少しだけ笑ってくれて、僕はとくんと心臓が脈を打ち出したのに気付く。心地のいい動悸。臨也さんがまるで幼子にする様に頭を撫でてくれて、ほんわりと体が温かくなった。

(なんだろ、これ)

心地良い。臨也さんの手の感触が、臨也さんの声が、臨也さんの笑みが、どうしてか心臓の鼓動を速くさせる。

「……全くすごい子だよ、この俺をここまで焦らせて、心配にさせるんだから」

まどろみの中で小さく彼がそう呟いた気がして、なんだか嬉しくなった。このまま寝てしまっても次に目覚めた時、また臨也さんがいてくれたらいい。
そう思って。











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