校門の柱に寄り掛かって待っていたら、珍しく一人で校舎から出てきた帝人君は俺の姿を見るや否や脱兎の如く逃げ出した。さすがの俺も想定外の出来事に唖然とする。しかもあれだ、あの子普通に学校の外に逃げ出したんじゃなくて学校の敷地内に引き返して行ったぞ。裏口から逃げるつもりか、どんだけ俺と顔を会わせたくないんだ。

(ったく、子供の鬼ごっこかよ)

いや、そういえばあの子はまだ子供だったっけ。妙に敏くて賢くて聞きわけは良いけれど、まだまだ高校生の子供に過ぎない。けれどそんな彼相手にムキになっている自分の方がよっぽど子供だと自覚してため息をついた。
とりあえず校舎の裏口の位置を脳裏で思い浮かべて、帝人君の逃走ルートを計算する。人とは不思議なもので、逃げられたら追いかけたくなるのが心理だ。相手が自分の意中の相手なら尚更。そしてその相手に顔を見ただけで逃げ出されたりしたら、尚更。

大人気なかったなと、そういう自覚は確かにあった。今もある。若干反省だってしているし、だからこそ今日わざわざ彼の下校時刻に合わせて学校まで赴いたのだ。なのに逃げ出されてしまう始末。
自分がやった事を鑑みれば彼に嫌われたり怖がられたりするのは仕方ないと思っていたが、前述の通り逃げ出されるのは想定外だった。そんなに俺の顔を見たくないのか、そうなのか。

確かに大人気なかった、反省している。

「っ、やだっ、いざっ、」

泣きながら真っ青な顔で俺を止めようとするまだまだ子供な彼を、無理矢理組み敷いて縛って酷くして犯してしまった事は、十分に反省している。

「いたぁっ……やぁっ、いたっ、!」
「っ、うっさいなぁ……」
「んぐっ!」
「ちょっと、静かにしてよ」

ネクタイで両腕を後ろ手に縛り、そのままうつ伏せにして腰を上げさせた。愛撫も碌に施さずに指を突っ込めば、帝人君の口から出るのは拒絶と痛みを訴える声ばかりではらわたが煮え滾っていた俺の苛立ちはますます悪化する。シーツを無理やり口に突っ込んでその煩い口を閉じさせた。

「んっ!?ん、んんぅ、んんっ」

顔は見えない、むしろ見たくない。その時の俺は怒りと苛立ちで頭が覆い尽くされていて、ただこの小柄な体を酷く扱ってやろうと、そんな考えしかなかった。
指一本で開いただけのそこに熱を宛がう。大袈裟に跳ねた体とくぐもった彼の悲鳴のような喘ぎが制止を叫んでいる事は気付いていたが、ここで止めてやるなら最初から抱いてない。

「っ、んんーっ!!」

ずぶずぶと性器で狭いそこを押し拓く。根元まで埋め切ると、彼の体は小さく痙攣していた。口からシーツが零れたらしかったが、まともな喘ぎすらその口からは出て来ない。

「っ……ぁ、ぃ、……」

見れば無理矢理割り開いたそこから血が滲んでいた。
帝人君は俺の大事な人だ。大事な恋人だ。彼を抱く時はいつだって真綿でくるむ様な優しい愛撫と前戯でその体を慣らしてから丁寧に優しくしてきた。性的に追い詰めて苛めて泣かせたいという欲求はあれど、肉体的な外傷を与えたいと思った事なんてその細っこい体を前にして一度もなかったというのに。
なのに、この時の俺は頭に血が上りすぎていた。秘部から流れ出る赤を見て、思ったのがざまあみろ、の一言だったなんて外道にも程がある。本当にお前は彼の事が好きなのか、第三者からそう思われても仕方ない所業を、俺は彼に働いた。

「くそっ、キツ……っ、」
「ぅあっ……や、あ、うご、か……なっ、で、」
「っ……!」
「いっ……っあぁっ!」

甘さなんて欠片も無い、ただの悲鳴が室内に響く。俺が腰を打ちつける度にその悲鳴の痛々しさは増していって、帝人君はあまりの痛みに脂汗を浮かべながらただ子供の様に号泣していた。

「うぁ……あ、あぁっ、ふぅ、あっ……!」

帝人君がその行為の中で達する事は一度も無かった。別に気持ち良くしてやろうと思って抱いたわけじゃない。ただ、腹が立って苛々して、彼にどうしようもなく激怒した。

(二週間、)

俺の仕事やら帝人君のテスト期間やらで、二週間ぶりに彼が自宅に遊びに来てくれたのだ。会えなかった時間を埋めるように部屋にやってきた彼の体を抱きしめる。その瞬間に香ったのは、彼には不釣り合いな匂い。

「……煙草」
「え?」
「帝人君から煙草の匂いがする」
「あ……ここに来る前に、静雄さんに会ったので」

そのせいかな、なんて呟く彼に、仕事の疲れとか帝人君に会えなくてたまっていたストレスだとかが、爆発した。
なんだよそれ、つまりは匂いが移るくらいあいつの傍にいたって事か。テストだなんだと言って俺には会わなかったくせに、あいつには会ってたのか。そんな事を嫌味ったらしく彼に投げかけた所までは覚えている。ただその後、俺の理不尽な言いがかりにさすがに怒ったらしい彼が、「臨也さんなんかっ、嫌いだ!」そう叫んだ後の記憶ははっきりしない。

ただ酷い口論だった。互いに感情のままに叫んで、そして帝人君は本気で怒ったのか俺に殴りかかってきた。頭に血が上りすぎていた俺も咄嗟に殴り返し、帝人君は本気で泣きだした。泣きながら俺への罵りを散々叫んで、そして気付けば俺は彼をベットに組み敷いて、強姦と何ら変わりない行為を彼に強いていた。

「うあぁっ!いざっ……やだっ、やぁ……」

際限なく落ちる涙を拭う事もせずに、ただ乱暴に扱っただけの日から、一週間。その間会う事はおろかメールもチャットもしていない。
帝人君の事となるとストローの穴並に心が狭くなる自分を自覚しているだけに、今回の件はやっぱり俺に大部分の非がある事は認めざるを得なかった。俺でなくシズちゃんと会っていた彼にもやっぱり腹立ちはあるが、このまま平行線な状態でいるわけにもいかない。
俺の方が彼より大人なんだ、だからここは俺の方から詫びに行かなければ。無体を強いてしまった俺が悪いんだから。

そう反省して学校にやってきたのが一時間前。

「っ、どこ、行ったんだよ……」

反省とか謝罪だとか、そんな考えはすっぱりさっぱり消え去って、俺は池袋の街で彼との鬼ごっこに明け暮れていた。彼の逃走ルートは大体把握している、にも関わらず見つからない。体力が俺の足元にも及ばない彼が俺を振りきれるはずはないし、これは相当頭を使って逃げているようだ。

(ちっくしょ、)

苛々する。ムカつく。なんで逃げる、折角俺の方から会いに来たってのに、なんで逃げるんだ。
完全に自分を棚に上げている事には、彼の事になるとストローの穴並に心が狭くなる俺は気付いていなかった。自分本位も甚だしい、誰かにそう言われたっておかしくはない有様だ。

(っ、いた!)

入り組んだ路地の先、当たりを付けて何本かの道を走っていると、前方の角を曲がっていった青い制服の残像が視界に映り込む。スピードを上げて距離を詰めた。角を曲がり視認したその背中に向かって走る。手首を、掴んだ。

「っ、!?」
「やっと、捕まえたっ」

振り返った事でようやく拝めた彼の顔。久しぶりに見る彼に、胸の内の苛々が若干和らぐ。しかし帝人君は俺の手首を離そうと本気で抵抗してきたから、また気分は急降下だ。もう片方の手首も掴み、そのまま壁に押さえつけた。

「っ、」
「ねえ、なんで逃げるの」
「……」
「……そりゃあさ、俺だって悪かったと思ってるよ。でも人の顔見て逃げる事はないんじゃないかなあ」
「……」

(だんまりかよ)

ため息をつきたくなるのを寸でで堪える。見下ろした彼は、俺の方を見ようともしない。俯くばかりでその顔を俺に見せようとはしなかった。
ああもう、苛々する。なんなんだ、この状況。

「やっぱりアレなわけ?俺よりもシズちゃんの方がいいとかそういう事?」

苛立ちに任せるとただでさえ普段から彼に厭味ったらしいと言われている俺の口調が、顕著に刺々しくなる。嫌味と言うよりも相手を責める口ぶりその物で憤りを吐き出した。話をしようと思ってここまで来た、けれど彼は聞く耳もたずに逃げ出すしこうして捕まえてみてもだんまりだし。俺でなくとも腹が立ってしょうがない状況だと思う、絶対に。

「……ぼく、は、」
「は?」
「ぼくは、これでも、怒ってるんです」

久しぶりに聞いた彼の声。低すぎないその音は緊張で強張っているのか、それとも彼の言う怒りで固くなっているのか。

「いや、だから無理矢理抱いたのは悪かったって……」
「そう言う事を、言ってるんじゃない……!」

人の影が皆無と言ってもいい閑静な路地裏。コンクリートのビルばかりに囲まれたその閉鎖的とも言える空間の中で、滅多に聞く事の出来ない彼の大声が高らかに響いた。
今日は、想定外の事ばかりだ。

「臨也さんはっ、何もわかってないです!」

きっ、と強い視線で俺を睨みつけてくる帝人君とようやく目があった。けれどその大きな目の淵には溢れんばかりの涙が溜まっていて、瞳の表面にうっすらと水が張っている。

「何で、僕と話してるのに静雄さんの名前を出すんですか!何で、僕と居るのに静雄さんの事ばっかり、追いかけるんですか……!」
「みかど、」
「僕は、臨也さんの事、好きなのに……なんで、静雄さんの方がいいとか、そういう事ばっかり、言うんですか……っ」

限界まで張り詰めていた涙のダムが決壊する。頬を伝い落ちるそれを眺めていると、また帝人君は俯いて視線をそらした。

「ぼく、静雄さんに嫉妬するくらいに、すきなのに……なんで、信用して、くれないんですか……」

涙声で小さく紡がれたその一言が、とどめだった。それまで俺の内側でぐるぐる渦巻き蓄積し膨張するばかりだった苛立ちが、穴の開いたタイヤのように萎んで消えていく。後に残ったのは後悔と、そして不謹慎かもしれないが、どうしようもない喜びだ。

「……みかどくん」
「…………」
「ごめん」

謝ると、すごい勢いで彼は顔を上げた。驚きに見開かれた瞳からまた涙が落ちる。それに唇を寄せて拭いながら、またごめんと告げた。

「謝りにね、来たんだ」
「いざ、や……」
「無理矢理抱いた事を。けど、それ以外にも謝らなくちゃ、いけないみたいだ」

情けない。彼より大人だと自負していながら、彼の事になると途端ストローの穴並に心の狭くなる自分を自覚していながら、結局俺は自分の事ばかりで彼の事を何も理解してやれなかった。帝人君が何を考えているのか、何を思っているのか。俺は全部、自分本位でしか彼を計っていなかっのだと、今になってようやく理解する。

(ほんと、子供なのは俺の方だよ)

「俺さ、けっこう嫉妬深いみたいだ」
「、え?」
「独占欲も強い。参ったよなあ、どうしようもなく君に執着してる」
「臨也さん……」

手首を離す。少しだけ距離を開けて帝人君を見下ろした。赤らんでいる目元が可愛いだなんて常ならば思う所だが、それが帝人君の悲しみの結果だと理解している今となっては痛々しさしか感じない。

「……ごめん、帝人君。俺、君の事好きだ」
「っ、」
「何回でも言う。不安なら、君が望むなら何回だって言う、だから」

許してほしい。

「……めーる」
「うん」
「電話、」
「うん」
「……会えないなら、ちょっとでもいいです。電話でもメールでも、欲しいです」
「するよ、いくらでも」
「あとっ、」

僕の事、もっと信じて下さい。

「信用してもらえないのが、一番悲しいです……」

俯いたままの帝人君の髪に手を伸ばした。少しだけ距離を詰める。

「帝人君……抱きしめても、いいかな」
「……はい」

真綿でくるんで優しくしてきた。大事にしてきた。けれどそれだけでは足りない。足りなかったがために、結局は俺の単なる嫉妬心だけでこの子を傷つけてしまった。足りなかったのは愛じゃない、言葉だ。

「……今日、俺の家にこない?」
「え、」
「結局三週間、会わなかったわけだし」

やり直しをさせてよ、帝人君は俺の腕の中で小さく身動ぎした後、微かに頭を縦に振った。

そうだ、全部やり直そう。彼を家に招いて夕飯を一緒に食べてゆっくりと二人で過ごして一緒にベッドで眠って。
そして、言葉が足りなかった俺達の関係をやり直そう。

「帝人君も嫉妬してくれたんだね」
「……臨也さんだって、」
「そりゃあ、俺君の事大好きだし」
「……僕もです」


もうこの子を泣かせないように。








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