すきです

あなたのことが




ラブレターを貰った経験がないわけではない。むしろ世間一般的な価値観からすれば、臨也は存外多くその手の手紙を受け取った事があった。学生の頃はほぼ毎日、愛の綴られた手紙や贈り物の類が下駄箱に入っていたくらいである。

だから自宅のマンションの郵便受けの中にラブレターが入っていた時も、さして驚きはしなかった。

もちろん、学生という身分ではなくなってからは初めて目にしたある種懐かしいものではあったから、その点に関しては若干の驚愕を覚えたのだが。

「すきです、あなたのことが。だってさ」

ぺらりと封筒の中から取り出した便箋は無地で、ただ薄い青色のラインが等間隔に引いてある、お世辞にもラブレター向きの便箋とは言えなかった。封筒も無地で、百円ショップ何かで簡単に手に入りそうな縦長の普通の白い封筒だ。
無地の便箋に綴られた文字はたったの二行。いっそ素っ気ないほど簡潔で、だがしかし率直且つ直球な想いが書かれている。
それを声に出して読みながら、臨也ははらりと便箋を机の上に落とす。

「毎日毎日飽きないね」
「そうね、いい加減こんな男に惚れた自分が間違いだって気付くべきね」
「酷いなあ、それじゃあ俺がろくでもない人間みたいな言い草じゃないか」
「違うっていのう?」

仕事に従事する秘書の棘のある言い草に、しかし臨也は気分を害するような事はせず小さく笑った。

机の上にある便箋。実を言えば、このラブレターを受け取るのは初めてではない。ここ何週間、気付けば自宅の郵便受けに入れられている。
他の郵便物に混じって、宛名も差出人も何も書かれていない封筒が、必ず一日一通投函されていた。内容も、変わらない。たったの二行が、たったの二行しか書かれていない手紙が、毎日毎日、臨也の元へと届く。

(本当に飽きないよね)

この手紙の送り主が自分に対して抱く恋慕や愛情といった感情に興味はなかったが、毎日手紙を送るその思考には興味があった。何を思って毎日手紙を書くのか、何を思って臨也の家の郵便受けにそれを入れるのか、何を思い何を考え、手紙の送り主はそうするのか。

「いやあ、楽しいねえ」
「……あなたって本当にろくな死に方しないでしょうね」
「それは波江さんもそうだと思うけどな」

キッチンから戻ってくるなり毒を吐く秘書の手には、ガラスの小さな花瓶が握られていた。その花瓶に見覚えのある赤い花が一輪挿してあるのを見て取って、臨也は眉をひそめる。

「それ捨ててって、何回も言ってるのに」
「あら、別に花に罪はないじゃない」

いけしゃあしゃあとのたまう彼女が持つ花は、ここ最近の手紙と一緒に郵便受けに入れられている花だった。毎日入っているわけではなく、ごくたまに、時折一緒に添えられている花。手紙はゴミ箱に放り込めばそれで終わりだが、花だけはどうしてか秘書は処分してくれない。理由を聞けば、それこそ先の様に「花に罪はない」と返されて終わりだ。意外に花が好きなのだなと、普段冷徹な秘書の女性らしさを垣間見たような気に、臨也はなった。
まあ、秘書の趣味嗜好などはすこぶるどうでもいいのだが。

「あなたもそんなに鬱陶しいなら、手紙の送り主でも付きとめて止めさせればいいじゃない」
「……まあ、そうだよね。そろそろ、うざったいもんね……」

最初の内はラブレターだなんてまた古風な、と思いその手紙の送り主の思考に思いを馳せては楽しんでいたが、秘書の言うとおり、鬱陶しくなってきた。いや、鬱陶しいというよりは、飽きてきた、という方が正しいか。

ただのラブレターは、一体この先どういった変化を遂げるのか。ただのラブレターに、変化は訪れるのか。そう期待して見ても手紙はおろか内容さえ全く変わらない。時折花がおまけにつくくらいで、何の変化も見受けられない。

つまらない、臨也がラブレターに感じる感想というのは、それだけになっていた。
率直且つ直球に、純粋な気持ちだけが綴られたラブレターの思いを汲み取ろうという気は、彼にはない。手紙の送り主の思考に興味はあれど、手紙の送り主自体に興味はなかった。
人の感情や思考が揺れ動く様を愉しむ臨也にとって、変化の訪れない手紙など、ただのゴミでしかなかったのだ。




もし本当に俺からの気持ちを望んだのだとしたら、この手紙の送り主はもう少し上手くやるべきだった、と臨也は思う。

「やあ、帝人君」

そんな事思ったところで、もう手遅れではあるのだが。

「偶然だね、学校帰りかい」
「あ、はい……臨也さんは、なんで、」
「俺もちょっと仕事があってね。まあすぐに帰るよ」

偶然を装って声をかけた下校途中の子供は、臨也の姿を見るや否やその大きな瞳をさらに見開いて会釈する。律儀な所作に苦笑しながら、臨也は少しだけ子供との距離を詰めた。子供は些か緊張しているのか、肩からかけている鞄の紐を殊更強く握り締めている。まるで小動物だ、と思いながら、他愛のない話を投げかけた。

臨也の言葉、行動、視線の微妙な動きでさえ、とにかく目の前の男の行動を全て読み取ろうとするかのように神経を集中させている子供は、観察眼の鋭い臨也が見なくとも警戒心を露わにしている事は容易に窺い知れただろう。その理由が分からないほど、臨也は馬鹿ではない。むしろ分かっていて、分かっていたからこそ、臨也は今、竜ヶ峰帝人の前に姿を現したのだから。

「そうそう、実は最近ね、自宅にラブレターが届くんだよね」
「、そう、なんですか……」

臨也が唐突に振った、けれど今までの他意ない話の流れから逸脱しない気軽さで口にしたラブレターという単語に、ぴくりと帝人の腕が震えたのを見逃さなかった。ビンゴだ、と臨也はこっそりほくそ笑む。

「うん、差出人も宛名もない、ちょっと不気味な感じの手紙でね。今時古風だよね、ラブレターなんて」
「……臨也さん、モテるんですね」
「まあそれなりにはね。でもその手紙はここんとこ毎日でさあ、ちょっとなんていうか、うん、気持ち悪いんだ」
「……」
「花まで一緒にくる事があるんだよ?毎日毎日、同じ事しか書いてない手紙なんだ、君も薄気味悪く思わない?」
「……ラブレター、なんて、そんなものじゃ、」
「まあそうかもね。でも俺としては、気持ち悪くて。もう止めて欲しいんだけど、生憎誰が送ってくるのかは分からないから。困ってるんだ」




その次の日のから、例のラブレターは届かなくなった。郵便物に紛れていた白い封筒は姿形も無い。当然ながら花も、届かない。

「来なくなったのね」

郵便受けから郵便物を取ってくるのは、大体の場合が秘書だ。今日も郵便物を取ってきた彼女は俺の机に郵便物を投げるなり、そう言い捨てた。相変わらず、弟以外の扱いは悉くにおいてぞんざいだ。

「何が」
「ラブレター」
「ああ、だろうね。すっごく清々したよ」

投げ捨てられた郵便物の内、ダイレクトメールや勧誘の葉書についてはゴミ箱に放り込む。

「あの白い封筒が無いってだけで、不思議だね。こんなにも心が軽いよ」
「そう、珍しいわね」
「何が」

顔を上げれば、既に秘書は背を向けていた。

「あのラブレター、そんなに意識してたのね」




それから数日がたった。秘書が決まった時間に取ってくる郵便物の中には、やはり今日も手紙はない。今日もそれがない事に満足して、不必要なものはゴミ箱に放り込んだ。
不意に応接用のテーブルの上に視線を送ると、空っぽの花瓶が置いてあるのに気付く。

「あれ、波江さん、あの花は?」

仕事中の秘書の背にそう投げかければ、億劫そうに彼女は振り返った。

「あれなら枯れたから捨てたけど」
「え?他は」
「……あなたとうとう頭がおかしくなったのかしら」

他もなにももう無いわよ、素っ気なく返された言葉にそうか、と臨也はどこか愕然とする。

手紙はもう、届かない。つまりそれは、花も届いていないという事。

いつもいつも、秘書が甲斐甲斐しく花を変えていたからここ最近、花瓶から花が消える事はなかった。空っぽの花瓶を久々に見た気がする。

(すきです、あなたのことが)

素っ気ないたったの二行、ラブレターと呼ぶにはあまりにもお粗末な手紙。一体手紙の送り主は何を思って手紙を書いたのだろう、何を思って花を送ったのだろう。


彼はどれだけの勇気を出して、臨也の元へ手紙を持ってきていたのだろう。


幼い顔が思い出された。年の割に童顔な彼の瞳が緊張と警戒で微かに揺れて、けれど真っ直ぐなその視線は決して臨也からそらされる事はない。
少しからかえばすぐに慌てふためいて、何かしてやればどんなに些細な事でも礼を言う。控え目で遠慮がちで、日本人の美徳である謙虚さの塊の様な子供。
何においても積極的とはいえない彼は、どれだけの勇気を振り絞って臨也への想いを文にし、どれだけの勇気を振り絞って臨也のマンションまでわざわざ足を運んだのだろう。どんな顔でどんな思いで、花を買っていたのだろう。

臨也の事だけ考えて、臨也の事で頭をいっぱいにして、そして、手紙を綴ったのだろうか。
あの彼が、あの子供が。
精いっぱいの勇気の現れが、あのたったの二行だと言うのだろうか。

(せめてもっと、気の利いた事でも書けばいいのに)

もう少しうまくやるべきだった、と少し前に臨也は思ったが、だが結果からいえば彼は上手い事やったのだと認めざるを得なかった。ため息を吐きながら、臨也は椅子に深く背を預ける。
仕事机の引き出しを開けて、ルーズリーフを取りだした。手近にあったボールペンを取り、さらさらとペンを走らせる。

「波江さん、封筒ってあったけ?」




外は生憎の雨だったが、臨也は気にしなかった。いつものファーコートを被り、黒い傘をさして、そして片手にルーズリーフを入れた封筒だけを持って自宅を出る。

(全く、君の勝ちだよ)

変化は見いだせなかった。何も変わらない、つまらないラブレターだった。けれどそれが、そのつまらないラブレターが、彼の精いっぱいだった。精いっぱいの、臨也へのアピールだった。
それで絆されてしまった自分の負けだと、臨也は素直に認めた。認めたからこそ、今こうして池袋までの道を歩いている。

(君はマンションの郵便受けまでが精々だったろうけど、俺はちゃんと、こういうのは手渡ししたい派だからね)

思えばラブレターを書いたのは初めてだと、古臭いアパートの扉をノックした所で臨也は気がついた。


差し出した封筒を受け取った子供はその中の、ラブレターと呼ぶにはあまりにもお粗末な紙に綴られた文を読んで、そして、泣きそうな顔で、笑った。




すきです

あなたのことが

俺も すきです










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