多分いないんだろうけど、もしかしたらいるかもしれない。でもいない確率の方が高いからあまり期待はしないでおこう。
そう思いながら、いつもより大分重々しく感じる屋上の扉を開ける。ゆっくりと押して開けば扉の隙間からまず目に入ったのが澄み切った青い空。半分ほど押し開いて、全部開け切って、けれどそこにはやはり、先輩の姿は無かった。期待はすまい、そう心に刻んだはずなのに先輩がいないと分かるや否や心は目に見えて落胆を示す。

(やっぱりまだ、怒ってるのかな)




折原先輩から一緒に帰ろう、と誘われた日の放課後。教室の前で待っててと言われた通りに先輩の教室の前、廊下で窓に背中を預けながらホームルームの終わりを待っていた。正直三年生の教室のある棟は、緊張する。普段滅多に立ち寄る機会も無いし、廊下を歩く三年生の先輩たちがちらちらと物珍しそうな視線を歩きざま僕に向けてくるのが何ともいたたまれない。先輩早く出て来ないかなあと鞄の紐を握り締めながら俯いていると、かけられた声。

「竜ヶ峰か?」
「あ……静雄先輩」

声の主は一見すれば金髪で怖そうな印象の、でも実際はそれほど怖い人でもない平和島静雄先輩だった。折原先輩の友人である門田先輩と岸谷先輩の友達だそうで、その縁で知り合いになった一人だ。正直最初は折原先輩と並ぶ危険人物だと言う事もあって警戒していたのだけれど、先にも述べたとおり実際はそんなに怖くない。怒らせなければ、だけど。

「こんな所で何してんだ」
「あ、いえ、折原先輩を、待っていまして」
「帝人君」

静雄先輩の前で折原先輩の話は鬼門だったかな、と心の中でひやりとするよりも先に、背後からかかった聞き慣れた声。振り返るとようやくホームルームが終わったのか、折原先輩が立っていた。その顔は何処か少し、不機嫌な色で彩られている。

「行くよ」
「あ、はい。静雄先輩、失礼します」
「おう」

くるりと背を向けて歩き出してしまった先輩の後を追うように、僕も駆け出す。その隣に並んで先輩の横顔を見上げれば、やはり少し機嫌の悪い顔をしている。怒って、る。

「あ、の、」
「…………」
「折原せんぱ、」
「うるさい」

びく、と肩が跳ねる。思わず足を止めてしまうが先輩が止まる気配は無くてその背中がどんどん遠のいていく。まって、口に出したと思ったはずの言葉は実際はただの吐息になっただけで制止にはならなかった。背中から拒絶されているのが分かって、足が動かない。

「君は、」
「……」
「……いや、いい」
「せんぱ、」

最後まで名前を呼び切る前に先輩は僕を振り返った。

「名前、呼ぶな」

その瞳が怖いくらいに冷え切っていて、体の内側が凍りついたように冷たくなる。先輩はそれだけを言い残してまた歩き出してしまった。僕は追いかける事が、できない。
明確な拒絶。あんな風に突き放されたの自体初めてで、どうしたらいいのか分からない。

名前を呼ぶなと、そう言った先輩の冷たい声音が頭から離れない。
怒ってる、先輩が怒ってる。

(どうしよ、なんで、)

どうして怒ってる?何が先輩を怒らせた?自分は何を、何をしてしまったのか。
一緒に帰ろうと言われたから頷いて、教室の前で待っていてと言われたから待っていて、そこで静雄先輩と会って、それから、それから……

思い当たる節がない。一つ可能性があるとすれば、折原先輩と犬猿の仲である静雄先輩がと出くわしてしまったから、あんなに機嫌が悪くなったのだろうか。でもそしたらあの二人は場所がどこだろうがお構いなしに喧嘩を始めるから、やっぱり原因は僕なんだと思う。
でもやっぱり、何であんなに怒っているのか分からない。




その日の翌日から、先輩の姿を見なくなった。いつもなら一日に一回はメールをくれるのにそれすらもなく、学校内ではいつも先輩の方から僕に会いに来てくれていたから会話もしていない。よく先輩がサボりに使っているらしい屋上に休み時間の度に行ってみるけれど、やっぱりあの学ラン姿を見つける事は出来なかった。

そして、今日も。案の定昼休みの屋上には先輩の姿は無く、落胆のため息を隠せない。
扉からは死角になる場所に回り込み、フェンスに凭れて座り込んだ。綺麗な青空だ、でもそれすらも今は悲しみしか生まない。初めて先輩と言葉を交わしたのもこの屋上で、今日みたいに綺麗な青空の日だった。

「……もう、会ってくれないのかな」

元から僕には不釣り合いな人だ。雲の上の人の様な存在で、僕みたいな一般人なんかが手の届くはずもない人間で、こうして僕に付き合ってくれているという事が一種の奇跡なのだ。気まぐれでも暇潰しでもそれが一時でも、折原先輩から告白された事は嬉しかったし、僕みたいな人間をたったの一瞬でも好きだと思ってもらえた事も本当に嬉しい。
だからいずれ飽きられてしまうだろうと予想は出来ていたけど、その時が来るまではせめて先輩の隣にいさせてもらおうと思ってた。そう、先輩が離れていく覚悟は、出来てた。
出来ていたはずなのに、いざこうして先輩がいなくなってみれば僕の覚悟が上辺だけの物でしかなかったのだと、実感する。

悲しい、寂しい、苦しい、嫌われたくない、もっと傍に居たい。

なんで先輩が怒っているのかはどんなに思考を巡らせても考えても理解できなかった。
少しだけ、気持ちを落ち着かせようと膝を抱えて顔を埋める。目を閉じればここ数日の心労が祟ってか、ぷつりと意識が途切れてしまった。




「……かどくん、帝人君!」

(え、)

強く肩を揺さぶられる感覚にはっとして目を開ける。まず最初に感じたのは辺りがやけに暗いという事、そして次に視界に入ってきたそれに僕はぎょっとした。目の前に、酷く褪せた顔の先輩がいるではないか。

「せ、ぱい……」
「ったく、どこに言ったのかと思ったら……」
「あれ、え……?なんで、あの……」
「昼休みから急に姿消すし授業にも戻ってこないしあげく放課になっても鞄は置きっぱなしだし、なんか変な事に巻き込まれたのかと思って探し回ってみれば屋上で冷たくなって目閉じてるし、本気で死んでるのかと思ったらただ寝こけてるだけだったし、」

矢継ぎ早に飛び出す言葉の数々には先輩特有の厭味ったらしさや皮肉が窺えず、代わりに苛立ちと焦燥ばかりが滲んでいる。僕の肩を相変わらず強い力で掴んだまま、先輩は先程口にしたように走り回ったからだろう、汗ばんだ額を拭いもせずに強く唇を噛み締めた。

「……心配、したんだから」
「っ……」

嘘だ。だって、先輩、あんなに、怒ってたのに。メールもくれないくらい、会いに来てくれないくらい、怒ってたのに。

「な、んで……」

呆然とした風に呟けば、先輩はふいと横を向いてあーと罰の悪そうな声を出す。

「だからさ、その……」
「、?」
「……あーもう!」

そして突然叫び声をあげたかと思うと、今度は僕の両肩をがばりと掴んで真正面からその赤眼に射抜かれた。

「だから、その"折原先輩"っての止めろって言いたかったんだよ!」
「…………え?」

予想外すぎるその言葉、僕の頭は一瞬意識がぶっ飛ぶ。しかし混乱する僕を横眼を先輩は尚も言葉を連ねた。

「シズちゃんの事は名前で呼ぶくせに、俺の事は名字だなんて不平等だろう。そもそも俺はちゃんと"帝人君"って呼んでるんだからさ、君も俺の事名前で呼んでよ。照れてるだけかと思って暫く放置してたけど一向にそんな気配ないし」

(それじゃあ)

もしかして、先輩が怒ってたのって。

「……静雄先輩は、平和島先輩だと幽先輩とどっちか分からなくなると思って」
「……まあ、そんな事だろうとは思ってたけどさ」

先輩は、まだ僕に飽きてない?
僕は、まだ嫌われてない?

「……い、」
「え?」


「臨也、先輩……」


名前で呼ぶだなんて考えた事も無かった。だって先輩は雲の上の人で、僕なんかが手の届くはずもない人で。いつかきっと飽きられるんだと思っていた。

「帝人君、」
「……」
「ごめんね」


"ありがとう"


掴まれた肩をそのまま抱き寄せられて、僕はもう一度臨也先輩と呟いた。










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