会う回数が増えた。一日置きや三日置き、時々二日続けて、彼との接触の機会を増やした。最初こそ怯えた小動物のような反応を示していた彼は、未だに緊張は抜けきらないものの俺と過ごす事に大分慣れてはきたらしい。顔を赤くして挙動不審気味なのも相変わらずであったが。

「あの、先輩、」
「んー?なに、竜ヶ峰君」
「えっと……どうして、先輩は僕と一緒にいてくれるんですか」

会う回数が二桁に到達した頃だった、彼がそんな質問をしてきたのは。良くも悪くも直球勝負な彼のストレートな物言いに瞬き、ぷっと吹き出す。彼はまた顔を赤くしてうろたえた後す、すいませんとわたわたしながら何故か謝った。謝る事が癖にでもなっているのだろうか。

「どうして、か……俺が君と一緒にいたいから、じゃだめかな」
「で、でも……僕なんかと一緒に居ても、楽しくないでしょうし……」
「そんな事無いよ?竜ヶ峰君面白いし、それに見てて飽きないし」
「そ、そうですか」

俺の答えにとりあえず満足したのか、彼はまた俯いた。直視できないのは分かるが、そういえばこの子の顔をまっすぐに見たことがあまりない事に気付く。まあ、そんな事この際どうでもいいけれど。




(そろそろ頃合いかな……)

大分彼の中に俺が浸透した。もう十分だろう、後はどう彼を突き落としてやるかだけだ。あの顔が絶望に染まる様を想像するだけで笑いが止まらない。怒るだろうか、泣き喚くだろうか、落胆するだろうか、俺を軽蔑するだろうか。

(そうだったら詰まらないなあ)

それでは今まで観察してきた人間と何ら変わらない。俺は期待していた。彼ならばもっと違う結果を出してくれるのではないかと、俺ですら予想のつかない何かをしでかしてくれるのではないかと。

最低な人間だなという自覚はある。誉められたもんじゃないとも自負している。それでも人間は己の欲望に忠実で、そのためならば他者の犠牲すら厭わない。それが人間、俺が愛してやまない、愚かな人間。

携帯でメール画面を起動する。放課後の校舎内には生徒の姿はまばらだ。遠くから吹奏楽部の練習の音と、グラウンドから野球部の掛け声が聞こえてくる程度。ぽちぽちとメールを打ちながら、彼の顔を思い浮かべる。
話があるから、体育館裏まで来てほしい。
ベタな内容だ。だが彼は絶対にこのメールにつられてのこのこと現れるだろう。他でもない、差出人が俺なのだから。

(楽しみ、だなあ)

その時だった。

「……だよ、」
「……てよ、紀田君」

(……この声)

近くの空き教室からだ。聞き覚えのある声に歩みを止める。そっと中を伺うと、そこには予想に違わない二人の姿がある。紀田正臣と竜ヶ峰帝人。机を向かい合わせてその上にノーとやら教科書を広げている事から察するに、勉強でもしているのだろう。そういえば中間テストも近い。いつも一緒の園原杏里が見当たらないが、彼女は先に帰ったのか、あるいは彼女待ちの合間の勉強会、と言ったところだろうか。

「だーかーら、あの人はやばいって。悪い噂ばっかだぜ?」
「うーん……確かに、よくない噂はたくさん聞くけど……」
「大体、何でよりもよって折原臨也なんだよ」

ああ、俺の話か。大方、俺とよくつるんでいる事を彼の親友は勘付いていたのだろう。彼の親友は彼とちがって危険なものを嗅ぎ分ける嗅覚は鋭いようだから、俺が危険人物である事を知っているに違いない。その忠告をしているのか、随分といい友達を持ったものだ。

「別に性別的に偏見はないけどさ……ぶっちゃけ、あの人のどこがいいわけ?」
「え?どこが、って……」

俺は気配を消してその場にとどまった。足音を消しこの場を立ち去る選択肢ももちろんあったが、俺はこの時彼の答えが無性に気になった。

彼はなんと答えるのだろう。俺のどこが好きだと、答えるのだろう。
顔、体、外見、笑顔、声、優しい所。今までの女たちのように、彼もそんなありきたりな答えを出すのだろうか。それはとても、詰まらない。だってそれはつまり、彼も、竜ヶ峰帝人も俺に恋をしていた愚かな女たちと変わりがないという事だ。俺の表面だけに惚れこんで、内面を知った途端に幻滅する。そんな愚かな人間と、同じ。

「……分かんない」

静寂に落とされた、彼の小さな声。

「理由なんて、分からないよ……何処がいいとか言われたって、分かんない」

その声は、泣きだす寸前の様に震えていた。

「……ただ、好きなんだ。あの人が酷い人だってのは、分かってる。僕に構うのも気まぐれなんだって分かってる。でも好きなんだ。叶わなくても、報われなくても、先輩だから……」

ちらりと覗き見た教室。見なければよかったと思った。彼の顔なんて、見るべきじゃなかった。

あの子は、本気だ。本気で俺の事が、好きなのだ。どんな俺であろうと、俺がどんな人間であろうと。それを如実に物語る顔だった。人が本気で恋をしている顔を、俺は初めて見た。その対象が自分であるという事実に、どくりと心臓が大きく脈打つ。
恋だの愛だの、そういった対象にされる事はあってもその事実を主観的に捉えた事は、今までになかったと俺は思い至る。自分に向けられる感情すら第三者的に捉え、眺め、見物していた。当事者になったことなど、今まで一度だってなかったのだ。

(なんで、今になって、)

竜ヶ峰帝人は変わらない。今まで俺に好きだのなんだのと言ってきた女と変わらない。なのに、どうして。

(こんなに、苦しいんだ)

気がつけば、俺はがらりと派手な音を立てて教室の扉を開け放っていた。中に居た二対の目が驚愕に染まりこちらに向けられる。構う事無く彼に近づいて、その腕を掴んだ。

「あ、え、先輩っ……?」
「いいから、来て」

無理矢理立ち上がらせ有無を言わせず連れていく。背後で彼の親友が何かを叫んでいたが俺は正直、掴んだ手の細さの方に意識を奪われていた。戸惑いの声、制止の声、それらがまともな音として耳に入ってこない。
目指したのはいつも彼と会う屋上。開け放った扉の先に広がるのは茜色だけで、当然だが人の姿はなかった。こんな遅くまで屋上で暇を潰していく輩はいないだろう。そんな事をするくらいならゲーセンにでも向うのが健全な高校生のあるべき姿だ。

「あ、のっ、先輩……っ」

息も絶え絶えな彼の手を、ここでようやく離した。頭の中には既に筋書きが出来上がっている。彼を突き飛ばして突き放すための言葉も丹念に考えてきた。準備は万全だ、後はそれを実行に移せばいい。口にするだけで良い。

「俺は、」

口の中が渇いていた。吹き抜ける夕暮れの風が心地いいとも、今は感じられない。背後に居るであろう彼に、全神経が奪われる。

「俺は、君が俺に好意的な視線を向けてるのに気付いてた」
「え、」
「気付いてて気付かない振りをして、そして君に近づいた。敢えて近づいて、君の近しい存在として俺を認識させたかった。君の好意に付け込んで優しくして君が俺を信頼しきったところで、俺は君を突き放すつもりだった」

違うだろ。言うべき言葉はそんな言葉じゃないだろ。わかってる、違う、分かってる。
なんだこれ、口が勝手に動く。

「酷い言葉で傷つけて傷つけて絶望に突き落としてやって、それで君がどんな顔をするのか、どうなるのかが見たかった。俺は最低な奴だよ、興味本位で他人を傷つける、最低な奴だ。君だって分かってるんだろ?俺に関わるとロクな事が無い、泣きを見る奴がほとんどだ、って」

何がいいたんだろう、俺は。こんな事を言うつもりじゃなかった。ただ一言、大嫌いを浴びせてやればそれでよかったのに。なんで、なんで。

(ああ、そうか)

ようやく俺は背後を振り返った。彼は大きな目をいっぱいに見開いていた。その虹彩が茜色に染まっているのが綺麗だと思って、途端納得する。ずっと頭から離れなかった。写真を受け取った彼のあの笑顔が、ずっと頭の片隅に居座っては俺の神経を焦がし続けていた。

「折角上手い事いってたのに全部台無しだよ……君のせいで」
「せ、ん、ぱい……」

幼さの残る頬に手を伸ばす。近づいて気付いた、彼の大きな瞳に水の膜が張っている事に。

「帝人君」
「っ……!」
「俺、君の事どうしようもないくらいに、好きになったみたい」

自分の欲求を満たす事よりも、この子の笑顔の方が見たいと思うくらいに。

「だから、俺と付き合って下さい」

ぽろりと、水の膜が許容量の限界を迎えて決壊する。ぼたぼたと幼い頬を伝う水滴の中で、帝人君は酷く顔を歪めて泣きじゃくった。

「ぼ、ぼくでっ、いいんですかっ……」
「君だから好きになったんだ……っていうかさ、君この状況で俺の言葉鵜呑みにするわけ?俺が言った事聞いてなかったの?俺君を騙そうとしてたんだよっ、簡単に信じるなよっ」

えぐえぐと喉を引き攣らせる帝人君はぶんぶんと首を横に振った。嗚咽に邪魔されながらも、声帯が聞き取りづらい声を発する。

「だ、て、せんぱいっ、顔、まっかっ……!」
「…………っ!」
「そんな顔でいわれたら、っ、信じるしか、ないじゃないですかぁっ……」

わんわんと、まるで赤ん坊の様だと思った。みっともない、高校生にもなってここまで泣き喚けるなんて、ある意味すごい。そんな風に揶揄するだけの余裕はない。
好きだと自覚するのがもっと速ければ、こんな醜態晒さずにもっとスマートな告白も出来たのになあと後の祭りな事を考えながら、その体に手を伸ばす。泣きじゃくる体は意外な程小柄ですっぽりと胸に収まってしまった。

「帝人君、」
「っ、は、い……」
「俺の物に、なってよ」
「は、い……っ!」

頷きながら控え目に俺の学ランに縋ってきた体が、心底愛しいと思った。

ああ、人間愛とか言っていたさっきまでの俺とはどうやらここでお別れしなくてはならないようだ。見つけてしまった、人間以上に愛すべきものが、人間以上に恋しい人が。
人間という種ではなく、個人という一人を愛してしまった俺は、もうかつての自分に戻れそうはない。いや、戻る事は出来ないだろう。


茜色が消えていく。
恋を自覚し実らせ、そして愛するという事を知った一日が、終わっていった。










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