目の前が真っ白になるとはこの事か、と俺はやけに冷静な頭でそう思う。

(ついてない)

池袋での仕事がある時はどこからともなく湧いてくる自動喧嘩人形。こちらは別に遭遇したくてしてるわけではないのだが、向こうは殺意ばりばりで突っかかってくるから本当に迷惑な話である。

自販機、電柱、バイク、自転車、看板、標識。
それらが飛び交う一見したらただの街中であるはずのその光景は、いともたやすく戦場へと塗り替えられた。いつもの事だ、そう、いつもの。

ただそこにイレギュラーが入り込まなければ。

「死ねいざやぁぁぁぁっ!!」

怒鳴り声と共に投げられた標識。それは一直線に俺に向かってくる。

「……なーんて、ねっ!」

缶ジュースに足を取られはしたが態勢を立て直す事は簡単だ。とはいえ反応が遅れたのも事実で、止む無しに俺はナイフで標識を弾く。正直これは腕にかなりの負担になるからやりたくないのだが、致命傷を負うよりはマシだ。自分の保身のためにナイフを振るった事を、今は若干後悔している。

標識が弾き飛ばされた先。その先にいるものがちらりと視界に飛び込んできて俺は目を見開いた。なんであの子が、こんな所にいるんだ。

「っ、よけろ帝人君!」

声は寸前で届かなかった。俺の言葉が終わるのを待たずして標識はただ無防備に突っ立っているだけの少年、竜ヶ峰帝人に直撃する。普段から貧弱で脆弱だと思っていた体がまるで布切れの様に吹っ飛んだ。そのまま近くのコンビニにガシャンと突っ込む。

(うそだろ……)

頭が真っ白になる。一瞬にして巻き起こった出来事。俺もシズちゃんも動きを止めコンビニを凝視する。
ちょうど窓際に置かれた雑誌類のラックに突っ込んだらしい帝人君は、倒れたラックに凭れるような形で倒れていた。見慣れた来良の制服がガラスで切ったのかぼろぼろで、吹っ飛んだ彼の鞄が道路側に落ちている。

そして
夥しい血の中に、彼は居た。

「っ……!」

駆け寄る、足元に転がる缶ジュースを蹴散らし割れて飛び散ったガラスを踏みわけ、彼の傍まで行く。

「帝人君っ!」

血の中で倒れる帝人君の体を抱き上げた。存外に軽い体。そこから溢れる血液。ガラスの破片を浴びたのだ、それで切ったのだろう。額から流れる血は彼の顔と制服と、そして体までもを汚す。まるで帝人君の命が流れ出ていく光景に、血の気が引いた。

「、みかどくん、帝人君っ……!」

呼びかけても返事はない。その肩を揺さぶろうとして僅かに残った理性がそれは不味いと歯止めをかける。頭を打っているかもしれないし、これだけ血が流れているのだ、動かすのは危険だ。

(なんで、どうして、この子が、なんで)

普段は冷静に、常に第三者に、そう振舞えるはずの余裕はこの時の俺にはない。綺麗さっぱり欠除してしまっていた。とにかくこのままではいけない、早くこの子を医者の元へ。
軽い、本当に不健康さを思わせる体を抱き上げた。そのままコンビニの外に出ていくと肩を掴まれる。

「臨也、まてっ!」
「っ、離せ邪魔すんなよ!このままじゃ帝人君が……!」
「だから、今セルティ呼んだから待てっての!」

見ればバーテン服の忌々しい男の手には携帯が握られている。運び屋に連絡を取ったらしい、この時俺よりもシズちゃんのほうが若干は、冷静であった。
けれど俺はとても冷静でいられる状態ではない。目の前の男をぎりっと睨み上げ、ただ感情の高ぶりのまま叫ぶ。

「大体さあ、なんで標識投げんだよ!人に当たったらとか考えなかったのかよお前!しかもよりもよってなんでこの子に、帝人君に……!」

歯痒さ、やるせなさ、悔しさ。割と、というか俺はかなり動揺していたし焦っていた。帝人君が目の前で瀕死の怪我を負った事に、らしくもなく憤って焦燥していた。意味はないと分かっていても目の前の男に八つ当たりをするくらいには、冷静さを欠いている。
それは相手も同じようで、俺の取り乱しようにおそらく普段のシズちゃんなら驚くなりなんなりの反応を見せたのだろうが、一般人を傷つけてしまった事への罪悪感と焦燥が大きいのだろう、「悪い」そう一言呟いた。

「謝って済むくらいならっ……闇医者も運び屋も必要ないっつーの……」

分かっている。これはシズちゃんだけではない、俺の責任でもある。あそこで標識を弾いてしまったのは俺だ。もっと別の場所にふっ飛ばしていれば、そもそも弾かないで避けていれば、この子がこんな怪我をする事はなかったというのに。

血が止まらない帝人君を見下ろして、俺はようやく応急処置をする事に思い至った。その場に彼を下ろして傷口にハンカチを押し当てる。それはすぐに真っ赤になって使いものにならなくなったから、俺は勝手にコンビニの中に入ると倒れた棚や商品中からタオルを見つけ出し、それを傷口にあてがった。コンビニ内にはレジにいた年若い男の姿しかなく、客もいなかったようだ。店員は怪我こそしなかったようだがこの状況に酷く混乱していて、携帯でどこかに電話していた。
警察に繋げられたらやっかいだ。

「場所を変えよう……」

シズちゃんが頷き俺が帝人君を抱え上げた所で、丁度良く黒いバイクの嘶きが耳に届いたのだった。








「あ、臨也。帝人君どうだった」
「今さっき起きたよ。また寝ちゃったけど……」
「そっか、意識が戻ったのならよかったよ。後は絶対安静にしてれば問題無い」

岸谷新羅は欠伸をしながらそう笑う。徹夜明けでぐーぐー寝こけていた所に臨也達に押し掛けられたのだ、寝不足なのは仕方ない。それでも旧友たちが血まみれの少年を担ぎこんできた時は驚いた。一瞬でも眠気が飛んでしまうくらいには衝撃的な訪問である。とうとうこの二人、人を殺めたのかと、そう勘繰るほどに。

「だからさー静雄、いい加減その世界の終りみたいな落ち込み方止めてくんない?正直鬱陶しいよ」

未だにリビングのソァーに腰掛け落ち込みオーラ全開で項垂れる静雄に、新羅は呆れた声をかけた。不本意な相手を傷つけてしまった罪悪感もあるのだろうが、正直自分と伴侶であるセルティとの愛の巣でそんな陰鬱なオーラを出されても目障りだ。

「臨也どーする、このまま帰る?」
「いや……今日は帝人君の傍にいるよ」
「そう?なら私は仮眠を取らせてもらうけど……君も少しは寝た方がいいよ?眉目秀麗が台無しな顔になってる」

軽口も交えて言ったつもりだったのが、臨也は普段の一言えば十返す饒舌さを披露する事も無く、「善処はするよ」とだけ言い残し帝人が眠る部屋へ戻って行った。どうやらただ帝人が目覚めた事を報告しに来ただけらしい。

「静雄は?君も泊まってくかい」
「いや……仕事もあるし、帰る。また明日来るわ」
「そうかい。いやあ律儀だねえ」

人を殺しかけたのだ、静雄が落ち込むのもよく分かる。自分のせいで何の罪も無い一般人を、そう思っているのだろう。しかもそれが自身の友人であるセルティのさらに友人だと知ってからの落ち込みようは、どこか痛々しさを感じるほどであった。

「……ところでさ、静雄」

静雄を玄関まで見送るがてら、新羅は問う。

「臨也はあの子……えっと、竜ヶ峰君だっけ?と知り合いなのかな」
「俺が知るか……」
「それもそうか……いや、なに。臨也があんなに取り乱した姿、初めて見たもんでね」

ここにあの子供を運びこんできた時の臨也の焦りっぷりは尋常ではなかった。治療の邪魔になるからと鎮静剤を打った程である。そのくらい、常の折原臨也とは違ったのだ。いっそこいつは別人ではないのか、そう勘繰るほどに。

「あの子、臨也にとってよほど大事な子なんだね」
「……そういやあいつ、ノミ蟲と一緒に居るの何回か見かけた事ある気がする」

静雄も、ここに来るまでに垣間見た激昂した臨也の様子には面喰ったらしい。長い付き合いではあるが、その中では見た事のない表情だったそうだ。

「案外と、あいつも人間らしい顔が出来るんじゃないか」

静雄が帰った後、仮眠前にリビングに居るセルティに声をかけようと戻ると、彼女はこっそりと帝人の寝ている部屋を覗いている。近づくとジェスチャーで喋るなと示された。手招きされ、そのまま二人で室内を覗きこむ。

(……やっぱり、人間らしい顔も出来るじゃないか)

ベッドに突っ伏しながら眠る臨也と、ベッドの上で規則正しい呼吸音を繰り返す帝人。
その二人を眺めながら、新羅とセルティは静かに扉を閉めたのだった。











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