未亡人シリーズその後




「帝人さーん、生きてるー?」

扉の外から暢気な声で生存確認をされ、いきてるよーと返しながらぐっと腕を伸ばした。ここ数時間睨みつけるようにして眺めていたパソコンのディスプレイから視線を外し、タイプしていた指を止める。脱力してチェアの背もたれに体重をかけると、ぎしぎしと体までもが悲鳴を上げた。

「コーヒー淹れたよ。少し休まない?」
「うん、今いく」

扉の向こうの気配が遠ざかる。自室の時計を見やればもうあと数十分で日付が変わろうとしていた。やれ大掃除だ買出しだと、朝から忙しなく家の中を動き回っていた臨也君だったが、僕も僕で納期の差し迫った仕事に追われ、家の中の生活音などものの見事に聴覚から遮断していたので、いつの間にかこんな時間になっていたのにも、家の中が静かになっていたのにも全く気づかなかった。「集中するとほんと周りは愚か、自分のことも二の次になるよね、帝人さんは」と呆れながら苦言を呈されるのにも、不本意ながら慣れてしまった自分がくすぐったい。

(誰かと暮らす……久しぶりの感覚だなあ)

チェアから立ち上がり、立ち眩みを覚える頭を抑えながらとりあえずコーヒーを求めて自室を出た。出来ることならお酒も飲みたいなあ。




「はい、どうぞ」
「……お酒は?」
「生憎と料理酒しか今この家にはないよ」
「じゃあそれで、」
「駄目に決まってるだろ」

リビングのソファに腰を据えると、香ばしい香りの漂うコーヒーがすぐさま目の前に差し出された。臨也君と暮らすようになって、本当に久方ぶりにコーヒーを飲んだ気がする。いや、気がするのではなく確実に。大学生の頃、喫茶店でバイトをしていた頃を思い出す。あの頃も、常にコーヒーの香りに囲まれていた。

(大学、か)

不思議だ。あんなり思い出すのが辛かった時分の記憶のはずなのに、今はそれほど苦には思わない。自身の心境の変化か。いやそれもあるだろうが、きっと大きな要因は臨也君、なのだろう。
臨也君が、辛いはずでしかなかった記憶を「思い出」に昇華させてくれたのだ。

「どうしたのさ、にやけて」
「え、にやけてる?」
「うん、だらしない顔してる。何かいいことでもあった?」

キッチンからお盆を持って戻ってきた臨也君に指摘され、別に何も、と口をまごつかせると冗談だよ、と意地の悪い顔で笑われた。これも気のせいではないことだが、一緒に暮らすようになってからというもの、臨也君、僕をからかう頻度が増えたよね絶対。

「まあそんな拗ねた顔しないでよ」

はい召し上がれ、と目の前に出された器には、湯気を立てる美味しそうな蕎麦。コーヒーとの付け合せにはお世辞にも合わないだろうそれに首を傾げると、今日何日か覚えてる?と尋ねられた。

「何のために俺が朝から大掃除に明け暮れたと思ってるの」
「……ああ、大晦日」
「……帝人さん、頼むからカレンダー見てよ」
「見てるよ。ただ今は納期のことしか頭になくて」

自分の分の器もテーブルに並べ、向かいに座った臨也君がぼそりと「このワーカーホリックめ」と呟いたのは聞かなかったことにしてあげよう、うん。

「仕事に戻るのはいいけど、せめて年越し蕎麦くらい食べてってよ」
「……うん」

まあ仕事もいいところで区切りがついたから、あと十分程度しかない大晦日とこれから迎える元旦くらいは、ゆっくりしてもいいだろう。

頂きます、と声を合わせて、二人で蕎麦をすすった。








遠くで除夜の鐘の音が聞こえる。

「ねえ帝人さん、ちょっと柄にもないこと言っていい?」

空になった器と、満たされた胃、そして聞こえる鐘の音が眠気を誘う頃。テレビもつけない静寂の中、臨也君の声が響く。促すように視線を向けると、彼はその紅い瞳を細めて笑っていた。

「俺さ、今こうして帝人さんと蕎麦食べて年を越そうとしてるのが嬉しいんだよね」
「……そうなの?」
「うん。だってさあ、無理だと思ってたから。けど、今こうして二人でいる。今年だけじゃない、来年も、再来年も、その先も、ずっとこうして一緒に年越せるんだよなって思って」

だから嬉しいなあ、最後の一言だけ、まるで独り言のようだった。僕は頭の中で、臨也君の言葉を反芻する。
来年も、再来年も、その先も。


(ああ、そっか、そうだよね)


僕と臨也君は、もう、家族、なんだ。

「帝人さん、今年も……これからもずっと、よろしくね」

見上げた時計は長針と短針が重なり、新しい年の始まりを知らせている。

「……うん、よろしくね」




そっと、気づかれないように。
左手の薬指で光る銀色に、触れた。










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