ぱらぱらと紙の擦れるような音が聞こえて、僕はうっすらと目を開けてみる。なんだか瞼が重い。瞼が重いというか、体が重いというか、全身妙に気だるい。自室の天井の木目は見慣れているはずなのにそれすらぼんやりとしか認識できず、一瞬ここは自分の部屋ではないのかもしれないと焦ってしまう。

たっぷりと時間をかけて瞬きをして、首を少し下の方に動かせば、そこには黒い頭が見えた。僕のベッドに背中を預けているらしい彼は僕の覚醒に気配だけで気づいたのだろう、ゆるりと首だけで振り返る。赤い瞳に、どきりとした。

「起きたんだ。体どう?痛かったり気持ち悪かったりしない?」
「ぅ、え、?」

問われた言葉の意味がよく分からなくて疑問符を浮かべるも、すぐに先ほどまでの淫らな行為を思い出して瞬時に顔が発熱したときのように赤くなる。そうだ、僕、いや、僕たち、えっ、ええええっちなことを、してしまったんだ……!

「あ、う、え、と、その、あのっ」

しどろもどろに言葉を紡ごうとしても、そもそも何を言えばいいのやら。まともに彼の顔を見上げることも出来なくて、うろうろと視線を彷徨わせる。体にかかっている掛け布団の下で微かに体を捩れば体の奥がじんと痺れた様な感じがして、僕の羞恥心により一層の拍車をかけた。

「何今更そんなに慌てふためいてるのさ。あんだけ散々喘いで恥ずかしいことも叫んでたのに」
「う、あ、……」
「それとも、あんまり覚えてないのかな」

問われて、反射的に首を横に振ってしまった。律儀な僕の反応に彼は笑みを深くしながら、そう、と呟いて、手を伸ばしてくる。さらさらと髪を撫でるその掌は温かくて大きくて、さっきまで僕の体を好き放題にしていたのはこの手なんだなと思って、でも先程みたいな乱暴さはなくて、肩の力を抜いた。

「さっき熱があったみたいなんだ。だから体の具合はどう」
「……だるい、ですけど、痛いとか気持ち悪いとかは、あんまりないです」
「なら結構」

さらりさらりと頭皮を直接撫でるように彼の指先が髪の毛の中に差し込まれて、そのなんとも言えない心地よさにようやく落ち着いた僕は彼の質問に答える余裕も少しだけど出てきた。ちらりと改めて彼を見上げれば、彼の表情はそれこそいつも通り、というか、あんなことになる前の常の彼の表情に戻っていて、とてもえっちなことをした後とは思えない。もしかして夢だったのかな、むしろ今この時も夢なのかな、と考えてみるも彼の掌の温かさは本物だ。まごうことなき、本物だ。疑う余地もなく、これは、現実だ。

(……じゃあ、)

さっき彼が言っていた言葉も、本物、なのだろうか。
ずっとずっと彼を想い続けてきた。彼を忘れたことはなかった。ずっとずっと、好きだったのだ。子供心故の一時の感情と片付けてしまうには誤魔化し切れないほど、彼のことが好きだった。そして、現在進行形で、好きだ。
忘れたことはなかった、彼もそう言っていたけれど、つまりそれは、僕と気持ちを同じくしてくれていると、そういうことなのだろうか。それとも本当に、ただ額面通りの意味なのだろうか。
彼の本心を探るなんて高度な技術を僕は持ち合わせていない。だから彼の本心が知りたいのなら僕は直接彼に聞くしかない。なんで僕にあんなことをしたのか、なんであんなことを言ったのか。でも聞くのが怖いのも事実だ。もうただの幼馴染としての関係には戻れないだろうけど、聞いたところで、さらに悪い状態に僕達の関係が転がっていってしまいそうで、怖い。漠然とした不安。僕は、彼がいなくなることを恐れている。
もう、彼が家庭教師になる前の疎遠だった関係に逆戻りするのは、嫌だった。

「……あ、の、臨也さん、」

それでも前に進まなければ。依然として僕の頭を撫で続ける彼の顔を見上げ、意を決して口を開いたところで、階下から物音が聞こえてくる。どうやら仕事に出ていた母が帰ってきたらしかった。もうそんな時間なのかと窓の方へ視線を向ければ、なるほど外は薄暗い。

「おばさん、帰ってきたみたいだね」
「あ……はい、」
「それじゃ、俺もそろそろお暇するよ。大分遅くなったしね」

彼の掌が離れていく。彼は僕に背を向けて、ローテーブルの上に広げっぱなしになっていた教材を片付け始めた。そういえば、結局今日は勉強なんて何一つしていない事実に思い当たる。

彼がこのまま帰ってしまったら。もう二度と、彼は僕のところに来てくれないような気がした。もう会えなくなってしまうような、気がした。
彼が何を考えているのか、分からない。結局何の言葉も説明も貰っていない。
あの行為は一体なんだったの?あの言葉はどういう意味なの?
無意識に口をついて出たのは、さっきまで散々呼んでいた、懐かしい呼び名。

「……いざくん、」

教材を片付けて、そして帰ろうと身支度をしていた彼の動きが止まる。ゆっくりと振り返った彼の顔は、怖くて見れない。でも僕の話を聞いてくれるつもりはあるようで、僕はおそるおそる、口を開いた。

「また……来て、くれますか?」

やっぱり怖くて顔を見れない。これで「もう来ない」なんて言われてしまったら本気で泣いてしまいそうだ。あんな行為を合意とはいえない形でされても、僕の積年の恋心は消えるはずもないのだから。

「……当たり前だろ」

くすりと、笑う気配がした。

「俺は、みーくんの先生なんだから」

だからまた、ちゃんと来るよ。

ばっと顔を上げる。上げた瞬間、やけに近い位置にあった彼の顔で視界が埋め尽くされた。ゼロになった距離。口唇に残るのは温かな感触で、ぺろりと僕の唇を一舐めした後、それは離れていった。

「い、ざくん」
「言っただろ。俺も忘れたことなかったって。折角またこうして近づいたんだ、離れるわけないだろう?」

それって。それって、つまり。ええっと、ああもう、頭が混乱してうまく彼の言葉が聞こえない。だから、きっと、それは。

「それじゃあ、またね。お休み」

静かに閉まる扉。どこか夢うつつのような、ふわりふわりとした感覚が体から抜けていかない。それは行為の余韻なのか、彼の言葉に浮かされた結果なのか。

(いざくんも、僕のこと、好きってこと?)

そう都合のいいように解釈しても、いいのかな。でも、また来てくれるてことは、嫌われてはないってことだから、それに加えて忘れたことなかったっていうことは、きっとそういうこと、なんだよね。多分。

自覚した途端、じわじわと顔が熱くなるのを感じる。誰が見てるわけもないのに布団を頭まですっぽりと被って、彼の姿を脳裏に描いた。

(夢みたいだ)

長年の恋が叶った、そう思ってもいいのだろう。ずっとずっと隠してきた、誰にも知られてはいけない一生の秘密。墓場まで持っていくと決めていたはずの恋が、まさか実るなんて。

「うれしい」

言葉にしてしまうと、やっぱり誰が聞いているわけでもないのに、なんでか恥ずかしくなって、僕は暫く、布団の中でじっとしていた。数分たってからもそもそと抜け出して、そこでようやく自分の格好がパジャマになっていることに気が付く。彼が着替えさせてくれたのだろう、多分後始末も全部してくれたのだ。
それにほっこりした気分になりながら、早くいざくんに会いたいなと、次の授業の日に思いを馳せた。










「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -