薄い肩からカーディガンを剥ぎ取る。セーターの下から掌を差し入れて、その肌を満足のいくまで撫でまわした。
「ん……いざやくん……」
甘い声が俺の名前を呼ぶ。その唇に噛みついて声ごと飲み込んだ。舌と舌を絡め、手は下半身へ。
「っ、ふ……あ、ぁ……」
ひくんと震えて快感に歪む眼差しが、俺だけを見つめる。俺を見つめて、見上げて、そうして伸ばされる両腕。
「いざやくん……抱いて、」
(最悪だ……)
目覚めた瞬間、先程までの夢の内容が克明に思い出せる事に絶望した。これで覚えていなければ罪悪感も多少は和らいだだろうに。
「最悪だ」
今度は口に出してから深々とため息をついた。こんなにも自己嫌悪に陥るのも久しぶりだ。ああもうほんと、最悪だ。
よりにもよって、あんな、帝人さんを抱く夢を、みるだなんて。
消えてはいない。十年近い年月を重ねた今現在でも、俺の中の帝人さんへの恋情は消えるどころかむしろその勢いを増してさえきている。昔は眺めているだけで幸せだった自分が今では信じられない。
受け入れて欲しいと言った。代わりでもなんでもいいから傍にいさせてほしいと。
けれどそれだけでは物足りなくなっている自分がいる。いや、元から足りてなんていなかった。彼の家に出入りするようになって、俺の中で燻っていた欲望というものが徐々にその質量を増している。
触れたい。触りたいキスしたい抱きしめたい、抱きたい。
女性ではない、柔らかくも無く豊満な胸を持つわけでもない、しかも俺よりも年上の男の体だ。正気じゃないと疑われるだろうが、けれど俺はどんな美女よりも帝人さんに欲情した。あの不健康すぎる体は日に焼けずに真っ白なのだろうか、あの薄い体は抱きしめたらどんな感触がするのだろうか、あの細い腕を掴んで押さえつけて、その足を開かせたら。
帝人さんは、どんな声でどんなふうに、喘ぐのだろうか。
(さいあくだ……)
今度は自分のみた夢の内容にではなく、自分の思考回路に深いため息を吐き出した。自己嫌悪はさらに募る。あんな夢の後だからか、帝人さんを抱くと言う脳内妄想が頭から離れてくれない。
どんな声で、どんな顔で。考え出したらきりがない。
「あー、もう……」
ぼふりと再びベットに倒れた。見つめる慣れ親しんだ天井の一点を凝視しながら、しかし考えるのはやはり帝人さんの事ばかりで。
抱きたい、セックスしたい。傍にいるだけではもう限界だ、満足できない。
「余裕ぶるのも潮時かな……」
これでも我慢をしてきた方だ。何食わぬ顔で帝人さんの家に行って食事を作って堕落した生活を送る帝人さんにまっとうな生活をさせようと奮闘してきたが、それは一重に俺の理性との戦いである。もうこれ以上は無理な気がした。最近帝人さんにかかりきりで欲を発散していないのもあるし、そもそも帝人さん以外の人間とそういう事をしても心は満たされない。自分で処理をするにも飽きが入ってきた頃だ。
(多分あの人、俺に襲われかけた事なんか忘れてるんだうな……)
あの時は酒も入っていたし、彼はかなり泥酔していた。俺からの告白に気をとらすぎて、多分俺があの時帝人さんを本気で抱こうとした事なんか覚えていないに違いない。それに、今彼は俺に心を許し切っている状態だ。俺が帝人さんに危害を加える相手ではないと、そう信じ込んでいる。だからこそ、俺は自分の本能を押さえつける事に必死だった。
まだ駄目だ。帝人さんの中にあの人がいるうちは、手を出さない。
そうだ、あの人が、帝人さんが奥さんに心を縛られているうちは……
「……っ!」
がばりと起き上がる。その反動のままベッドを下りて洗面台に直行した。寝起きの頭を冷水で覚醒させ、鏡の中の自分を睨みつける。
「最低だな、ほんと」
ずっとずっと押し殺してきた自分の本性、本音。それが今一瞬でも顔を覗かせそうになって、俺は自分に失望する。
結局のところ、喜んでいるのだ。帝人さんが心を痛め涙し傷つき、そしてあんな風に人間として底辺の生活を送るようになってしまった原因とも言えるあの人の妻の死を、俺は確かに喜んでいたのだ。
奥さんが死に、帝人さんが独りになったのだと聞かされた時、間違いなく心は歓喜に震えた。気の毒だと思うその心すら凌駕した。
それは、帝人さんの心を踏みにじるのと同義だ。どんなに言い訳をしようとも正当化されるはずも無い、俺がただひたすらに目を背けてきた罪悪感。それが今になって、とうとう顔を見せ始める。
(こんな俺の本心を知ったら、あの人はどう思うだろう)
机に座りパソコンを起動させる。メールをいくつかチェックしていると、仕事の連絡が入っていた。依頼だ。それも見た感じ、かなり大きめの。
すぐさま了承の返事を送る。さて、暫くぶりの仕事だ、忙しくなる。
「ぐだぐだ悩むのは、俺らしくないか」
背もたれに深く背中を預けながら、俺は言い訳をした。仕事が入ったから、だから暫くはあの人の家には行けない。いいや、行かない。こんな気持ちで会えるはずもない。罪悪感と欲望にまみれた、こんな気持ちで。
時間が全てを解決してくれるとは思っていないが、解決してくれるものもある。今の俺の心理状態も、時間がたてば落ち着いていくだろう。そうしたらまたあの人に会いに行けばいい。そう、それでいいはずだ。
「……今、なにしてるのかな」
時計は昼の少し前をさしていた。最近はいつもこの時間に押し掛けてはまだ眠いとぐずる彼を叩き起こしていたから、今日もまだベッドの中なのだろう。
気を抜けはすぐに彼の事が頭に浮かんでしまう自分に、今だけはげんなりした。