ひゅうひゅうと吹きつける風に紫煙が流され、消えていく。口から吐き出した煙は夜空に溶けるようにして見えなくなった。また煙草をくわえて、その苦みのある煙を吸う、吐く。

「不健康」
「え?」
「毎日のように酒飲んで煙草も吸ってたらほんと体壊すよ」

帝人さんただでさえ貧弱なんだからさあ、ベランダにひょっこりと顔を出して臨也君はそう僕に酷評を下した。いや、自分でも体力が無いのは分かってるけどさ。そもそも引きこもりだし、学生の頃も運動なんて得意じゃなかったし。けれど体力なんか無くたって人生困るわけじゃないんだから別にいいじゃないか。
少しばかり腹が立ったから、僕は臨也君の言葉を無視して再び夜空に向かって煙を吐き出した。臨也君と言えば僕の態度に気分害した様子も無く、そのままベランダに出てくるとしゃがみ込む僕の隣に腰を下ろした。

「煙草、吸ってるとこ初めて見た」
「……普段はあんまり、吸わないから」
「じゃあなんで急に?」

視線を感じて横を見遣る。臨也君はじっと僕を見つめていた。その瞳が赤いのに、僕は初めて気付く。黒く輝く黒曜石の中で揺らめく、暗い赤。純粋な赤を放つルビーの様な宝石よりも、その瞳の赤黒さに僕は惹かれた。

端正な顔。臨也君の綺麗な顔が僕を、僕だけを見つめている。

「な、んとなく、口寂しくて、」

しどろもどろになりながら答えると、臨也君の口元が緩い弧を描く。微笑すら美しく、まるでこの世のものではないような錯覚すら覚える。
僕より年下なのに、僕よりも大人びた相貌の臨也君。僕を好きだと言う、臨也君。

「なら、煙草じゃなくて俺にしときなよ」
「あ……」

臨也君の長い指が僕の頬を滑った。赤い黒曜石から目が離せない。近づいてくる臨也君の唇を避けるという選択肢はその時の僕には無く、ただ彼の瞳だけを見ていた。
唇に触れる。けれどやはり、振り払うと言う思考回路が働かなかった。

「ん……」

軽く触れるだけで離れて行った唇。近い距離で彼を見上げれば、微かながらも欲の灯った瞳とかち合う。今度は両手で頬を包まれた。またいくらもしない内に重なる唇は、今度は深い。舌が口内に差し込まれ、僕のそれを絡め取る。

「っ、ふ……」

深く、長いキスだった。いつの間にか僕の手は臨也君の胸元を掴んでいて、臨也君の片腕は僕の背中に回っていた。体を引き寄せられ、そして覆い被さる様にして臨也君は僕の口の中を蹂躙していく。

(きもちい……)

頭がぼんやりと靄がかかったようにはっきりせず、さっき飲んだお酒がまだ抜けていないのだろうかと思う。変なの、今僕にキスをしているのは臨也君で、紛れもない男の人なのに。それがこんなにも気持ちいい、だなんて。

「……みかどさん、」

離れた唇が甘い声で僕の名前を紡ぐ。その事実に胸がいっぱいになって、再び降ってくる口付けを受け入れようとした時だった。

(ぼくは、)


ぼくはいま、何をかんがえた?


「っ……!!」

どん、と、臨也君の体を押しのける。臨也君はびっくりした顔で僕を見つめていた。急に体を離されたのだ、驚きもするだろう。しかしそれを謝る事も出来ないまま、僕は自分に愕然とする。

(うそだ、ぼく、)

きもちいい、だって?臨也君と唇を吸い合うのが、気持ちいいだなんて。
僕は今、忘れていた。臨也君のキスを拒まなかった。彼女の事を、今僕は忘れていた。忘れて、彼女ではない人と、男の人と、キスをしてしまった。

「っ、ごめん、臨也君、」
「え……」
「ぼく、ごめん……」

それは紛れも無く、彼女に対する裏切りだった。
僕が愛したのは彼女で、愛しているのは彼女だけで、だからこそ僕は彼女の事を片時も忘れてはいけなくて。彼女だけを想い生きていくと決めたはずだった。後を追う覚悟も無い僕は、せめてそれだけでもと誓ったはずだった。

「あの、臨也君、ごめん、もういいから」
「いいって、なにが、」
「もう僕に構わなくて、いいから」

彼に背を向ける。怖くて臨也君の顔なんて見れなかった。頭の中がぐちゃぐちゃで、考えがまとまらない。駄目だ、そうだ、駄目なんだ。最初から臨也君を受け入れるべきではなかったんだ。彼の好意に甘えていては駄目だった。それは結局、惰性でしかないのだから。

「僕は、君の気持に応えてあげられないから……だから、もう、止めよう、こんなの」
「……」
「僕が好きなのは、あの人だけだから。だから、」
「帝人さん」

言葉が遮られる。背中に感じる重みと温かみ。そして腹の前に回された腕。やけに近い臨也君の声。

「臨也君……?」

吹き付ける風は冷たいはずなのに、冷たさなんて少しも感じられない。それよりも暴れ始める心臓を宥める事に必死だった。ばくばく、そんな音がすぐ後ろにいる臨也君にも聞こえてしまうんじゃないだろうか。

「俺が言うと説得力なんてないかもしれないけどさ、」

ふう、と臨也君の吐く息が耳たぶを擽る。それにびくりと肩を竦ませると、体に巻きつく腕の感触が強くなった。

(なんでだろう)

何で今、僕はこんなにどきどきしているのだろう。愛する彼女の事すら、頭の隅にひっんでしまうくらいに。

「それ、帝人さん自身がそう思い込もうとしてるみたいだ」
「え……?」
「奥さんの事を好きでいなきゃ、他の何よりも彼女の事だけ考えなくちゃ。……帝人さん、そうやって自分を追い込んでない?」

そんなこと、ない。
そう即答する事が出来なかった。体の内側からさあっと血の気が引いていく。そんなことあるはずない、だって僕は、僕は。

(ぼくがすきなのは、)

「奥さんを死なせてしまったから、だからそうやって罪滅ぼししてるみたいにしか見えないよ、俺には」

逃げたかった。聞きたくなかった。臨也君の言葉を最後まで聞いてしまえば、僕の全てが壊される気がした。僕が信じて生きてきたこの三年を否定されてしまう。僕の生きる意味を、壊される。

「俺は帝人さんの奥さんに会った事がないから、その人がどんな人だったのかは知らない。けど、」

(やめて、)

それ以上は言わないで。


「帝人さんは、他人を愛して良いんだ。自分自身を、愛してあげてもいいんだ」


帝人さんが愛して帝人さんを愛していた人なら、きっと帝人さんが幸せになる事を望むだろうから。


ずっとずっと答えは出なかった。僕が臨也君の事をどう思っているのか、臨也君の好きという気持ちには答えられないけど、彼を拒絶する事も出来ないのはどうしてなのか。
答えは出なかった。自分の気持ちが分からなかった。

けどちがう。もう答えは出ていた。
彼女だけを愛さなければ、彼女だけを想わなければ、そう思い続けて自分を追いつめていたから、既に出ている答えから目をそむけてずっと分からない振りをしていただけなんだ。
認めるしかない。認めたくない。認めるのが怖い。だって彼女を愛する心は、確かにまだ僕の中に残っているのだから。それなのに、僕は臨也君の事が、

(……す、き、)

もう駄目だ、と思った。抱きしめる腕の力強さも、その瞳の仄暗さも、時たま人を馬鹿にしたように笑う表情も、僕に優しさを振舞う彼自身が、愛しい。

(ごめんなさい)

空に瞬くいくつもの星。その内のどれかが彼女なんだろうか。
僕はずっと心の中で謝り続けた。彼女を想って泣くのは、多分今日が最後になってしまう。そう、確信したから。










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