「帝人さん、休憩したら」

背後から声をかけられ、キーボードをタイプしていた指に僕よりも大きな掌が重ねられた。そこでようやく意識が目の前のディスプレイから現実世界に戻ってくる。

「臨也君……?」
「集中するのは結構だけど、朝からぶっ続けはよくないなあ」

くるりとチェアを半回転程させられ、仕事の間だけかけるようにしている眼鏡が奪われる。ぱちぱちと瞬きをすると瞼が震え、長時間液晶を見つめていたために鈍い痛みがぴりぴりと走る。一旦自覚してしまえば、椅子に座りっぱなしだった腰もタイプし続けていた指も体中あちこちが痛くて、チェアの上で抱えるようにしていた膝を伸ばすとそれだけで関節が軋んだ。

「っ、いたた……」
「そりゃあ体も強張るだろうね」

痺れた足でフローリングに降りると臨也君が肩を支えてくれる。そのまますぐ傍のソファにぼすりと倒れ込むと、どっと体に疲労と睡魔が襲いかかった。もうここで眠れてしまいそうだ。

「寝るなら寝室行きなよ」
「うん……」
「帝人さん、いっつもこんな生活だったわけ?」

ぼすりと空いているソファのスペースに腰掛けた臨也君は、呆れたようにそう漏らしながらコーヒーのカップを啜っていた。ちらりと見上げるとよしよしという風に頭を撫でられる。僕は子供じゃないって言うのに。

「……あたま、止めて」
「ああ、ごめんごめん。帝人さんの頭撫でやすいからつい。そうだ、コーヒー飲む?」
「うん……」

ぱっと手を離した臨也君は気分を害した様子も無く、それじゃ淹れてくるよとにこやかに席を立った。


僕が臨也君を受け入れたあの日から、既に数週間が経過している。臨也君はあの一件以来僕の自宅に頻繁に訪れるようになった。曰く、大義名分を得たのだからもう小細工はしない、との事。

「ずっと気になってたんだよね、帝人さんの普段の生活。ほら、外で会う時は決まって帝人さん、腹が減って今にもぶっ倒れそうな時だったろ?あといつ見てもくまとか酷いし、酒癖も悪いし。多分まともな生活してないんだろうなあって」

否定できない。確かに僕の生活サイクルは酷いものだ。仕事が時間帯を選ばないものだという事を差し置いても酷いの一言に尽きる。
いつも昼過ぎにのそのそと起床して氷水を飲んで、目が覚めてきたら後はずっとパソコンの前に張り付きっぱなし。体が睡眠や空腹で限界を訴え始めたら晩御飯代わりのお酒を飲んでつまみを食べて、あとはそのまま朝方ぐらいに就寝。

(確かに酷いけど……)

傍にいてくれると言った臨也君はそんな僕の生活を見て心底呆れかえったらしい。俺の想像上だったよ、なんて漏らしながら家に上がり込まれ、今では毎日のように彼は僕の自宅にやってくる。僕が起きる時間よりも少し早めに来て僕を叩き起こして、ちゃんとしたご飯を作って僕に食べさせ、夜になるとまた晩御飯を作って帰っていく。
どうやら彼は、僕にまともなサイクルの生活をさせる事を目的としているらしかった。

「はい、コーヒー」
「ありがと……」

コーヒーのマグカップを受け取りソファにきちんと座り直す。コーヒーの苦みが舌の上を刺激して、最近お酒に慣れ親しんでいた舌先には変な味だった。

「帝人さんの仕事ってさ」
「うん?」
「ホームページのデザインなんだよね」
「臨也君はなんだっけ」
「酷いなあ、忘れちゃったの?俺は情報屋」
「それって自由業?」
「趣味が実益を兼ねるんだ、こんなにも素晴らしい事無いと思うけど」

臨也君は笑いながら自分のカップをテーブルに置く。
そういえば、あまり深くは追求した事なかったけれどどんな仕事なのだろうか、情報屋って。

「ぶっちゃけウェブデザイナーって儲かるの?」
「まあ……そこそこ、かな」

実際のところ、そう儲かるわけではない。そもそも依頼数そのものが多くは無いし、一週間に一件くらい来ればいい方だ。元々僕個人で始めた仕事だから規模も大きくはないので当たり前と言えば当たり前だが。
けれど正直なところ生活には困っていなかった。僕の場合、お酒とおつまみが買えるお金さえあればよかったわけだし。それを告げると、臨也君は心底呆れ返った白い目で僕を睨みつけてきた。睨むというより、怒られているような。我が子を叱る時の母親の目、みたいな眼差しだ。

「ほんっとに薬のつけようも無い馬鹿だね」
「う……そこまで言われると、さすがに傷つくんだけど……」
「自業自得だろ。俺も仕事柄金とか酒に溺れてる人間っていうのは結構見てきたけどさあ、帝人さん並に酷い人はそういなかったよ」

臨也君の言葉は基本的に刺々しい。というよりも厭味ったらしいというべきか。けれどその言葉の内容は全てにおいて正論であるから、僕がまともに言い返せた試しはない。話し上手であり聞き上手ではあるが、その言葉を武器として扱う人なのだ、話術で臨也君に敵う人間などそうそういないだろう。

「……ほんと仕方ないよね、帝人さんは」

けれど、どんなに言い方が刺々しい人であっても、最後にはそうやって少しだけ笑って僕を受け入れてくれるから、僕もこの人の事を無碍にはできなかったのかもしれない。
人との関わりを極力避けていた僕にとって、唯一ずっと傍に居てくれていた臨也君に、僕自身少なからず心を開いていたのだろうか。

(どうなんだろう)

「そろそろ夕飯作るから。それまで寝ないでよ」
「うん……」

臨也君は僕が好きだから傍にいさせてほしいと言ってくれた。彼女の代わりでもなんでもいいから、と。
結局、僕は彼の好意に甘えているだけなのかもしれない。与えられる優しさに少しずつ僕自身の心が順応し始めてきて、臨也君との時間に居心地の良さを感じているのは事実だった。

(臨也君は、それでいいの?)

きっと尋ねたところで、臨也君はそれでいいんだと笑うのだろう。
でもなんとなく、こんな曖昧なままではいけない気がした。

(僕は、臨也君の事を……)

その先の問いに答えは出ないまま、今日も僕は彼の好意を甘受する。










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