俺が初めて竜ヶ峰帝人と言う人間の存在を知ったのは、まだ高校生だった時の事である。下校時にたまたま入った喫茶店、そこで俺は彼を初めて目にした。

「いらっしゃいませ」

童顔で、ともすれば中学生に見えなくもないその容姿に一瞬、この国の就業規則はどうかしてしまったのかと馬鹿な事を考えたりもしたが、どうやらバイトで入っている大学生だったらしい。
その日は特に何とも思わなかった。ただその店で出されるカプチーノの味だけは気に入って、次にカプチーノを飲みたくなったらこの店に来ようと思っただけである。

二回目に来店した時も、その童顔のバイトはせっせと注文を取ったり会計をしたり汗水垂らして働いていた。ご苦労なこったと思いながら注文したカプチーノはやはり美味しく、その日もただそれだけだった。

ところが、だ。三回目の来店で、俺の心情に大きな変化が訪れる事となる。
その日はなんとなく、カプチーノではなく普通にコーヒーを注文した。そういう気分だった。その時にたまたまオーダーを取りに来たのが例の童顔のバイトだったのである。

「ご注文はお決まりでしょうか」

初めて間近で見た顔は、やはり見れば見るほど子供臭い。俺の方が年上に見られるのではないだろうか、そんな風に思いながらコーヒーを注文すると、彼は「かしこまりました」と告げ笑顔を浮かべた。接客業だ、あんなものは営業スマイルに過ぎないと分かっていながらも、コーヒーを運んできた店員は別の人間で俺は少しがっかりしたのを覚えている。

自分の気持ちに変化が生じたと自覚したのは三回目の来店のすぐ後だ。あの童顔のバイトの顔が、頭から離れない。家にいようとも学校にいようとも人間観察に勤しもうとも、ふとした瞬間にあのバイトの顔が脳裏を過りなにも考えられなくなってしまう。
それが所謂恋という感情なのだと気付くのにそう時間は要さなかった。

(恋、かあ……)

変なものだ。人間という種に向けるものではあるが、愛と言う感情知り得ていただけに恋という感情は全くもってやっかいな奴であると俺は気付く。他に何も手がつけられなくなるという性質にはほとほと困らされたものだ。
だが不思議と、その感情に不快感はなかった。

それから暫くは毎日のようにその喫茶店に通った。別に話しかけたりしたわけではなく、ただせっせと営業スマイルを振りまきオーダーを取るために走り回るその童顔を、眺めていただけである。
竜ヶ峰帝人という彼の名前、週三回のシフト。同じバイト仲間と談笑している会話に聞き耳を立てる。一つ一つ彼について知っている事が増えるというのは、なんとも言い難い充足感に満ちていた。楽しさとでも言うべきか。些細な情報でもそれが好きな人に関する事なら純粋に嬉しいものなのだと、俺はもう一つ恋の性質とやらを知った。

そして俺はもちろん、当時の彼には付き合っている女性がいた事も知っていた。
嫉妬しなかった訳ではない。恋を自覚し早速の失恋と結果的にはなったわけだが、元から打ち明けるつもりも無かった気持ちだ、それはそれはでどうでもよかった。
ただ彼を眺めるためだけに、俺は彼に悟られる事の無いよう最善の注意を払い、喫茶店に通い続けた。

大学を卒業後、彼はバイトを続けていた喫茶店の正社員として雇われる事となったらしく、いつの間にかバイトだったはずのネームプレートが社員用の物に変わっていた。そして、卒業してすぐに付き合っていた彼女と籍を入れたのだという話も、聞いた。
彼の左手の薬指にはいつの間にか指輪がはめられていて、幸せそうな彼の顔を見ると純粋によかったなあと俺は思う。
俺はその時になってもまだ帝人さんへの恋を諦め切れぬまま、かといって何をするでもなくただ彼を眺めているだけだった。それで満足だったのだ。

そして俺も卒業し、情報屋として色々と動くようになったため池袋を離れた後の事だ。
久しぶりに、本当に久しぶりに俺は池袋のあの喫茶店を訪れた。新宿に移ってからは行く機会もなかったために本当に久しぶりだ。
彼は元気にしているだろうか、今でも幸せそうに笑っているだろうか。

けれど訪れた先の喫茶店で、彼の姿を見る事は叶わなかった。

「え、竜ヶ峰さん?あなた竜ヶ峰さんの知り合いですか?ならご存じでしょう、竜ヶ峰さん、先日奥さんを亡くしましてね……ええ、事故だったようです。すごく仲の良い二人でしたから本当に気の毒で……それが原因でしょうね、先日ここも辞めていかれましたよ。今はどうしているんでしょうか……」

喫茶店の店員は、さも自分の事のように心を痛めた様子で俺にあの人の事を教えてくれた。
話を聞いた瞬間、俺は体が凍りついたかのように動かなくなったのを覚えている。体も頭も心臓も内蔵全てが、まるで動きを止めてしまったかのようなあの感覚は、一体何が原因だったのかは分からない。

(うそだろ、そんな……)

この間まで笑っていたのに。幸せそうな笑顔を振りまき、せっせとオーダーを取りに走り回っていたというのに。俺が少し目を離した隙に、そんな事に、なっていたなんて。

あの人は今どうしているのだろう。一人悲しみに暮れているのだろうか。あるいは呆然としているのだろうか。もしそうなのだとしたら。

(一人になんて、させておけるわけないだろっ)

伊達に情報屋をやっていない。どれほど彼ら夫婦が仲睦ましかったのかなんて探りを入れればすぐに知ることができた。だからこそ、あの人の傷つき様も容易に想像できる。
俺は自身の有するパイプと情報網全てを駆使し、偶然を装って帝人さんとチャットで出くわすように仕向けた。彼の心に取り入って心を開かせて、そして一年という歳月をかけて、彼と知り合いになった。
初めて面と向かって会った帝人さんは喫茶店で見ていた時よりも大分やつれ、そして疲れきっているような表情を張り付けていた。生活も大分不規則らしく、けれど左手の薬指の指輪だけは、俺の記憶の中と変わらない。まだこの人は、彼女の事を想い続けているのだ。

「分かってたけどさ、そんな事……」

それでも押さえきれなかったのだ。ずっと恋して焦がれて、彼女がいても結婚しても諦めの付かなかったこの感情。帝人さんをほっておくなんて事は出来なくて、自分でもらしくないと思いながら彼の傍に居続けた。

いや、結局は自己満足である。

ただ自分が報われたいから、それが本心だ。長年にわたって蓄積されたこの感情のはけ口を求めた結果が今の俺、なのだろう。所詮は報われる事のない想いだ、それも理解していたはずなのに。

「あの人に拒絶されて傷ついてるなんて、ほんっと馬鹿みたいだよなあ……」

傍に居続けて支えたいと思った。けれど結局抑えが利かなくなって、理性の限界を迎えた先日、ついに手を出してしまった。必死に彼の前で演じてきた知人としての立場を、俺はあの晩容易く手放してしまった。
拒絶も抵抗も、全て分かりきっていた結末。彼の心と自分自身を傷つける結果にしかならないと分かっていた。それでも止まらない恋慕。
どうすればよかったのだろう、俺は。ただあの人の隣に居たいと思った、それだけなのに。

(どんなにあの人から恐れられようとも軽蔑されようとも、俺は……)

この恋を消し去る事なんて、出来なかった。











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