『今晩食事でもどう?』

臨也君からそんな旨のメールが入ったのは昼を過ぎた頃だった。僕がようやく起床した頃に鳴り響いた携帯の着信音に、無題のメールが一件。
臨也君からこうした誘いのメールが入るのは別段珍しい事ではない。大体の場合僕の方が何かと理由を付けて断るのが常だけれど、臨也君は何度断ろうと気を悪くする様子はなかった。
頻繁に食事や外出に誘ってくれるのは僕を気遣っての事なのかなあと思うが、真意は定かではない。

(どうしようかな……)

外に出たい気分ではなかった。そもそも外出自体、僕はあまり好きではない。外は嫌でも現実と自分を繋ぎ合わせてしまう。それが辛くて閉鎖的な自室に引きこもる様になって早三年。折角の誘いだが今回も断ろう、そう考えた時ふと冷蔵庫の中にお酒が入っていないのを思い出してしまった。昨日飲んだ分で切らしてしまったのだ。
僕は返信画面を開くとたった一言、行きます、とだけ返信した。すぐさま帰ってくるメール。もしや今、臨也君は暇なのだろうか。
添付されていた地図を開きながら、青白く光る携帯の液晶をただ眺めていた。








酒を飲まないと眠れなくなったのは、いつからだろう。

「ほら、帝人さんしっかり」
「ん……ご、め、」
「タクシー呼ぶからさ、とりあえず歩いて」

酔いつぶれて何も考えられなくして、そうしないと眠ることもできなくなってしまったのは、間違いなくあの頃からだ。大体三年前、その辺り。
僕の薬指に光る指輪の片割れを持っていた彼女が、いなくなってしまたあの時から。

「ほら、帝人さん、家着いたから」
「……きもちわるい」
「調子に乗って飲みすぎるからだよ……鍵、借りるからね」

臨也君が傍で何か言っているみたいだけど、それの意味もよく理解できない。ただ頭がぐわんぐわんして、今日はいつも以上に飲みすぎたなあとそれだけが頭に浮かぶ思考だった。体も重く感覚が鈍い。鉛の様な瞼を持ち上げると体が誰かの腕に支えられていて、見慣れた自宅のフローリングを歩いているみたいだった。

「帝人さん、水」
「ん……」

ぼふりと体が倒れ込む。どうやら寝室のベッドの上らしい。額にひやりとした何かが押し付けられて、多分水の入ったペットボトルなのだろうそれを覚束ない手つきで受け取る。キャップを開けて中身を半分ほど飲み干すと、大分頭がすっきりした。

「ありがと、臨也君……」

サイドボードにペットボトルを置く。その時だった。

手首を掴まれる。肩を押されて、体が乱暴にベッドに沈み込んだ。酔いの回った頭では何が起きたのか、それすらも理解できない。ただ目の前に臨也君の顔があるって言う、それだけが僕の知りえる全ての情報だ。

「い、ざやくん」

呂律の回らない舌で彼の名前を呼ぶ。ぎり、と手首の痛みが増し、彼に掴まれているんだとようやく理解した。僕は、彼に組み敷かれている。
なんで、どうして?

「無防備だよね、ほんと」
「ぁ……え、?」
「俺が……俺がどんな気持ちであんたの傍にいるか、知りもしないでさ」

耳に心地いい臨也君の声は、しかし今は何の色にも染まっていない。酷く低い無透明な声音。臨也君の顔が苦しげに歪んでいる、あの時みたいに。

「すき、なんだ」
「え……」
「好きなんだよ俺、帝人さんの事……」

言葉が正常に脳まで伝わらない。思考回路が働かない。臨也君の声が、ただの音として耳に流れていく。なに、今、彼は、なんて、好きって、なに。

「ずっと前から好きだった。好きで、好きで……だから帝人さんの奥さんが亡くなったって聞いて、あんたに近づいた」
「まって、なに、それ……」
「帝人さんは知らなかったろうけどさ、俺結構前から帝人さんの事知ってたよ。それこそもう、何年も前から」
「う、そ……」
「あんたがバイトしてた喫茶店も知ってる。あんたがいつ結婚したのかも知ってる。未だに奥さんの事を忘れられずにいる事も知ってる……でも、それでもっ」
「んっ……!?」

息ができなくなった。目を限界まで見開けば臨也君の綺麗な顔が眼と鼻の先、というか本当に目の前にあって唇に、むしろ口の中に変な感触がする。それが何か分からないほど、僕は残念ながら子供ではない。

(なんで、どうして、なんで)

口の中を怖いくらい乱暴に荒らし回されて、抵抗しようと掴まれていない方の手を臨也君の胸に添えてみるもそこに大した力は入らない。そちらの腕の手首も掴まれ、両手をシーツに縫いとめられてしまった。そうなれば、後は臨也君の舌を受け入れるしか僕に出来る事はない。

「っふ、は……あ、はぁっ、」
「俺は帝人さんとならキスだってしたいしセックスもしたい」
「っ、いざっ、くん……!」
「いっつもあんたと居ながらこんな事考えてたんなんて、帝人さんは知らなかったでしょ」

臨也君の指が僕の衣服にかかった。シャツを捲くり上げられベルトが外される。僕の体は相変わらず力が入らなくて、逃れようと体を動かすも臨也君に簡単に抑え込まれてしまう。ずり下げられたズボンと下着。外気に触れた肌は酒のせいで火照っていたためか、ぶるりとした寒さを顕著に感じ粟立った。

「いざやくん、まって……!」
「何年我慢したと思ってるんだよ……待てるわけ、ないだろ」
「いゃっ……」

臨也君の指が後ろに触れて、入口を指の腹が円を描くようにして撫でていく。その感覚の言いようのない気持ち悪さに本気で血の気が引いていく。
臨也君は、本気だ。本気で、さっき言ったように僕とセックスを、するつもりなんだ。

「やだ、やめて、いざやくん……」

酔いのせいではなく自然と溢れ出た涙で視界がぼやけていく。わからない、何がどうしてこんな事になっているのか。臨也君がずっと僕を好きだったなんて、知らなかった。
いや、ちがう。
僕は知ろうとしなかっただけなのだ。他人を知って自分が傷つくのが怖かったから、人の心に踏み込むのも自分の心に踏み込まれるのも怖かった。そんな自分勝手な保身で、僕は臨也君の気持ちを、考えようとはしなかった。

臨也君の指が中に潜り込んでこようと押し込まれる。僕の体は震えて、ただ小動物みたいに震えて泣く事しか出来なくて、それがとても悲しい。何がこんなに悲しみを生んでいるのか、それも分からなかった。

「お、ねがい、こわい、やめてっ……」

涙がシーツに吸われていく。臨也君の動きが止まり、指が後ろから離れた。覆い被さっいた体も離れていく。涙越しに見上げれば、臨也君は酷く傷ついた顔をしていて、どうしてかまた涙が溢れて止まらなかった。

「いざ、」
「ごめん、帝人さん、俺、」
「いざやく」
「俺、帰るから」

まるで泣きだす寸前の子供の様な臨也君の表情は、しかし彼が身を翻したためにすぐ見えなくなる。寝室を出て行った彼を追おうとするも体が言う事を聞かず、ただベッドの上に力なく座り込む事しかできなかった。
ばたんと、遠くで玄関が閉まる音がする。

(なんで……)

すき、だなんて、そんな。
僕の事をずっと昔から知っていたと言われた事がショックだった。好きだと思われていた事に気付けなくてショックだった。
でも彼は、臨也君は知っていたはずだ。ずっと前から僕を知っていたのならば、知っていたはずだ。僕に妻がいた事を、その人が三年前に亡くなった事を、それから僕の生活が今のように堕落したものになった事を。
そして、僕が彼女の事を未だに忘れられずにいる事を。

(それなのに、ずっと、僕の事、好きだった……?)

僕は臨也君をどう思っていたのだろう。不思議な人だと思っていた。でもそれからは?それからは、いや、それからなんてない。考えようともしなかった。僕は臨也君の事を何一つ知ろうとはしなかったし、与えられる親切も好意も言葉も、ただ受け入れるだけだった。

「わかんないよっ、臨也君……!」

分かるはずが無かった。最初から、そんな事。僕は臨也君の事を何も知らないのだから。

涙はシャツに染みていく。嗚咽は空気に溶けていく。僕はあの日、彼女を亡くした時と同じ虚無感を、味わっていた。
ただ祈る様に、薬指の指輪を握り締めて。











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