最初に耳に響いたのは銃声だった。次いで視界が赤く染まり、それとほぼ同時に絶叫が室内の空気を震わせる。

(え……)

帝人は目を見開いた。帝人だけでなく、その場に居た全員が驚愕をその顔に表情として貼り付けていた。
ぴちゃりと広がる血だまり。その血を踏みながら室内へ現れた、影。

「あれだけ痛い目に合わせてやったってのに、まだ懲りてなかったんだ」

見慣れた着流しではなく黒いスーツに身を包んだ男は、未だに硝煙の立ち上る拳銃を片手にそう嘲りの笑みを浮かべる。帝人を拘束していた男達は皆彼を見て動揺し、焦りの色を浮かべた。
先程の銃声は帝人を撃った音ではなく、彼が帝人を組み敷いている男の一人を撃った音だったのだとその場にいる全員が気付くのに、そう時間は要さない。

しかし、帝人はそんな事どうでもよかった。

「ぁ……、あ……っ」

震えるばかりの声帯は言葉を生まず、その代わりのように両の目からは涙がはらはらと流れ落ちる。ずっと心の中で呼んでいた彼、その彼が今、ここにいる。

臨也が、いる。

安堵なのか驚愕なのか、理由は知れない。ただ彼の姿を視認しただけで溢れだす涙。それを拭う事もせず帝人は臨也をただ凝視した。

「さーてと、大人しくその子を離してもらおうか」
「お、折原……テメェ、どうしてここに……!」
「離せって言ってんのが聞こえねぇのか」

急に落ち込んだ臨也の声のトーンに感応するように凍りついた場の空気。帝人は経験のある急激な場の剣呑さに喉奥に嗚咽を引っ込めた。

(こわい)

純粋な恐怖のみを与える彼は、間違いなく"折原臨也"だ。折原組四代目の頭が見せる裏の顔。それはどんな人間をも圧倒し、畏怖させ、征服する。絶対的な威圧感、逆らう事は許されない強大な力、それを惜しげもなく、そして容赦なく行使する。
それが、折原臨也という男。

「さっさとどきな。いつまでも汚い手でその子に触ってんじゃねぇよ」

いつもの臨也とは違う。彼が常のように浮かべている嘲りの笑み、人を食ったような笑みは存在しない。ただ憎悪と敵意と殺意、それらだけが顔を覗かせている。
珍しい、と帝人は思った。嫌な感じの笑顔が彼にとってのデフォルトのようなものなのに、彼がそれら一切を消し去ってしまうのは本当に希少だ。それほど本気で、彼は憤慨しているのだろうか。何に、対して?

(なんで……)

今更ながらの疑問が浮かぶ。帝人は心の中であれほど臨也を求めていたにも関わらず、実際に臨也が来るという事を予想すらしていなかった。何を思って臨也求めていたのか、それすらも分からない。ただ無我夢中だった。来てくれるなんて思っていなかった。
今更だ、本当に。乱された着物も涙もそのままに、帝人はようやくこれが安堵という気持ちなのだと思い出した。恐怖に支配されていた四肢に徐々に感覚が戻ってくる。状況に流されるがままで凍りついていた思考回路もようやく動き出したようで、ぐるぐると頭の中で疑問が渦巻き始める。

「い、ざ、やさんっ……」

ようやく言葉になった名前。臨也はちらりと帝人を一瞥するがすぐにその視線は外される。持ち上げられた彼の腕に構えられた拳銃は、しっかりと組織の長へ向けられた。
彼は足元で水溜りを形成している男を蹴散らすように、一歩足を進める。撃たれた男は低く呻くだけで動かない。容赦なく急所を撃たれたのだろう、臨也の残酷さに帝人は改めて息を飲んだ。

「海外にトンズラしようとしてたみたいだけど、お生憎様だね。そっちも抑えたからあんたらの逃げ場はもうないよ」
「っ、テメェ……!」
「もうだめだ、慈悲なんかかけない。あんたらは一番やっちゃいけない事をした……絶対、ただじゃ殺さない」

臨也が蹴破ったらしい扉の外から、ぞろぞろと別の人間達が入り込んできた。折原組の構成員だろう、皆一様に拳銃を持ち、すぐさま男達に突き付ける。帝人を押さえつけていた男達は恐怖か焦りか、顔を青く染めながらすぐさま離れていった。
銃を下ろした臨也が、こちらに近づいてくる。

「あ……」

伸ばされた腕にびくりと身が竦む。条件反射のようなそれに臨也は一瞬動きを止めるが、強引に手を伸ばして帝人の体を抱え上げた。震える体を痛いくらいに抱きしめられ、臨也はそのまま部屋を後にしようとする。

「そいつらは連れて行け。生き地獄ってやつを体験させてやりな」

部屋を出る間際、彼は振り返りもせずに冷酷な命令を下した。




「いざやさん……」

抱えられている帝人は微かに身じろぐ事もせず、小声で臨也の名前を呼んだ。未だに体が言う事を聞かないのだ、動きたくとも動けない。先程まで感じていた緊張と恐怖による体の強張りは大分解れてはいたが、しかし完全な回復にまでは至っていなかった。
臨也はぴたりと歩みを止める。帝人の体を下ろす事はせず、しかしどこか忌々しい、苦虫でも噛み潰したような声をあげた。

「君さ、ちょっとは考えてよ。こんな面倒事に巻き込まれて……どんだけ迷惑かけたと思ってんだよ」
「ご、ごめんなさい……」
「謝って許しが得られるほど甘い世界じゃないって事を、君はいい加減学習するべきだよね」
「っ……」

厳しい臨也の言葉に、帝人はびくりと体を震わせた。
怒っている。彼の顔は帝人の角度からでは見えないが、表情を伺わずとも察知できるくらい、臨也の声は怒りに彩られていた。自分は臨也が来てくれた時、嬉しさと安堵のあまりで泣きだしてしまうほどだったというのに、臨也にしてみればそれも"面倒事"の内でしかないのだろう。

勘違いしてはいけない。
臨也は帝人を助けたいと思ってこの場に来てくれたわけではないのだ。ただ、組織としてそう動かざるを得ない状況だったから。そこに彼の私情が入り込む余地なんて無い。
臨也が自分を傍に置いておくのはただの気まぐれ。心の底から帝人を心配してくれるはずなんて。

(あるわけ、ない……)

再び涙が浮かびそうになり、帝人はぎゅっとそれを堪えた。ここで泣いて面倒な奴だと思われたくない。いや、既に彼にとって帝人はお荷物そのものなのだろうが、これ以上そう思われるのは苦痛すぎる。
臨也の体に縋りついていた腕の力をほんの少しだけ緩めた。鬱陶しいとも、これ以上は思われたくない。

「よせよ、臨也」

不意に帝人の背後から声がかかる。帝人の背後という事は臨也の正面であるという事だから、彼には声の主が誰なのか見えているのだろう。しかし帝人も、顔は見ずともそれが一体誰の声なのか、すぐに分かった。毎日聞いていたのだ、間違えるはずがない。

「シズちゃん……どうしたのさ、君には迎えの車を手配しといてって頼んだはずだろ?」
「いつまで待っても来ねえから様子見に来たんだろうが……それより、」

静雄が呆れたようなため息を吐いた気配がする。帝人は声の主が誰なのかは分かっても、静雄が今どんな顔をしているのかまでは分からなかった。そして、次に発せられた言葉の意味も。

「言いたいのは、そういう事じゃねえんだろ?」

(え……)

ざり、と静雄が踵を返す気配がする。臨也は動かない、動かないどころか声も出さない。先程まであれだけ帝人を詰っていた言葉は、ぴたりとも出て来ない。
帝人は臨也の今の状態と静雄の言葉の意味が分からず、ただ臨也の腕の中でじっとしている事しかできなかった。重苦しい沈黙だけがあまりにも長く続くから、いっその事声をかけてみようかと思い悩む。しかしここで下手な事を口にしてまた彼の気分を不快にさせてしまうのは嫌だし、とぐるぐる考えを巡らせていると、はあ、と臨也の口から大きなため息が漏れた。

「……分かってはいるんだよな」
「え……」
「言いたいのは、そんな事じゃないって事くらい」
「あ、の……いざやさん……」

意味の分からない独り言に、先程までの戸惑いも忘れて帝人は彼の顔を見上げた。見上げようとしたのだが、ぎゅっと後頭部に回された掌が強い力で帝人の頭を肩口に押し付けてくるものだから、帝人はそれ以上臨也の表情を伺う事も下手に声を上げる事もできなくなってしまう。心なしか自分を抱きかかえる彼の腕の力も強まった気がして、息を飲んだ。

「……心配した」
「え……」
「すごく、心配した。君がいなくなったって気付いた時、ほんともう気持ち悪いくらい頭にきて腹がたって、不安だった。最短記録だよ、こんなにも速く情報をかき集めて乗り込んだのは」

(あ……)

「もう離れないでよ、帝人。次に俺の傍から勝手に消えたりしたら、許さないから」

夢を見てるのかと思った。だって、彼が自分を傍に置くののはただのきまぐれで、だから彼が自分の事を本気で心配するはずは無くて、ここに来たのだって帝人を助けるためというよりは組織としてそう動かざるを得ない状況だっただけって話で。

「無事でよかった……」
「っ……!」

もう我慢なんて出来なかった。鬱陶しいとかお荷物だとか面倒だとか、そんな卑屈な考えも全部全部どっかに吹っ飛んでいた。ただ臨也の体にしがみついて、嗚咽を噛み殺す事もせずに臨也の名前を呼んだ。

「っ、臨也さん、いざやさん、いざやさんっ」

臨也は何も言わない。ただ帝人の頭を慈しむように撫でるだけで、泣いている自分を咎める事も詰る事もしなかった。それがさらに、帝人の胸を苦しめる。

どうして、なんで、臨也は自分を傍に置く?
分からない。
ただの気まぐれ、じゃなかったのか?
分からない。
どうして、彼はこんなにも、優しく自分を撫でてくれるのだろう。
――――分からない。

"臨也の事、好きなんだろ"

何故かこの時、帝人の脳裏には静雄のこの言葉が思い出されていた。
恋なんて知らない、好きになった事なんて無い、愛なんてもの分からない。

(じゃあ、なんでこうも胸が痛いんだろう)

帝人は自覚し始めていた。臨也を思い涙する自分が、彼に対して抱いているこの気持ちを。抱いていると気付いてしまった、この感情を。

(ぼくは、臨也さんの事が……)


帝人は泣き続けた。
恋慕とは、こんなにも苦しい気持ちなのだと初めて知った。











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