「好きなんだろ、臨也の事」

静雄にそう断言するかのように言われた時、帝人は自分でも分かるほどに間抜けな返事をした。

「……はい?」

動揺した、のではない。純粋に意味が分からなかった。何の脈絡も無い、ただいつものように自室の前の縁側に腰掛けて見張りの仕事を全うしていた静雄と、その静雄の隣に座り言葉を交わすでもくただ庭を眺めていただけの帝人。会話は無くとも共有する時間は心地よく、静雄の隣にいて沈黙を苦に感じた事はなかったが、今しがたされた問いかけに対する返答を考えている時間は酷く居心地の悪いもののように思えた。

「……すき、って、僕がですか」
「他に誰がいんだよ」

一瞬の間も置かずに静雄に切り返され、帝人の頭の中はさらにぐちゃめちゃになる。処理能力が追いつかない。今帝人の頭の中を占める全ては困惑、ただそれだけだ。

「すき、っていうのは、よくわからないです」
「分からない?お前、人を好きになった事ねえのか」
「……はい」

それは本心であり事実だった。両親を亡くしてから過ごしてきた日々の中で、恋慕と呼べる感情が芽生える状況など皆無であったし、また切欠も同様に皆無であった。両親が生前の頃にはいたって普通の生活を送っていた帝人ではあったが、まだ幼い年頃の話だ。恋や愛という感情を真に知るには早熟過ぎた。
帝人は人を好きになるという気持ちも、人を愛しいと思う感覚も、何も知らずに生きてきた。

だから、今しがたの静雄の言葉は困惑以外を生みはしない。確かに臨也の事は嫌いではない。恐怖の象徴であるのは変わりないが、どうしても拒絶できないでいる。それは臨也が時折気まぐれで与えてくれる優しさを帝人が欲しているからだという事は理解していたが、だからそれが恋なのかと言われても分からない。判断が出来ない。

「きらい、ではないと思います。こわい、ともあんまり思わなくなってきました。でも、やっぱり、あの人の事は、怖いです」

素直な心情を吐露する。静雄は煙草を吹かせながら庭を眺めていたが、帝人の言葉を聞くと腕を伸ばしてきた。そのままぽんぽんと掌で頭を優しく叩かれる。


そんなやりとりをしたのが今日の昼だった。ぼんやりと静雄の言葉を反芻する。

(臨也さんの事……好き……?)

静雄はどうしてあんな事を言い出したのか、それすらも分からない。彼の眼に自分はどう映っているのか、帝人は初めて疑問に思った。だがそんな思考も、背中から抱き締められた感触によってすぐに消し飛んでしまう。

「考え事?」
「いえ……なんでも、ないです」
「そう。ならもう寝ようか」

明日も早いしね、そう小さく笑って、臨也は帝人を抱きしめたまま布団の上に倒れ込んだ。帝人を背中から抱きこんだまま、毛布を被る。

「おやすみ、帝人」

耳の裏に口付られ、帝人は肩を震わせながら目を閉じた。こうして臨也に抱きしめられて眠る事は、もはや日課だった。彼に触れられただけで体が震えていた三か月前に比べれば、拒否反応はもうほとんど出ない。それはつまり、自分が臨也に心を許しているという事なのだろうか。

(臨也さんは、僕の事どう思ってるんだろう)

帝人は初めて、臨也という人間の内面を、気持ちを、知りたいと思った。






(な、に……?)

感じた違和感に、帝人の意識は浮上する。背中に感じていた温もりが消えており、それにまずは違和感を覚える。そして、遠くから聞こえる喧騒のような煩さに、二つ目の違和感を感じた。
帝人は臨也の私室である離れからほとんど出た事が無い。母屋の方がどういう造りになっているのかは知らないが、ここで生活をするようになった三か月の間に母屋の方がこんなにも騒がしくなる事は一度も無かった。それはつまり、今が非常事態という事だ。

(臨也さん……)

何かあったに違いない。だから臨也が私室から消えていて、そして母屋がこんなにも騒がしいのだ。
帝人は急に、漠然とした不安に捕われた。理由は分からない、何に対する不安なのかも分からない。ただ、臨也の姿が見えないその現実だけが、帝人の心をざわつかせる。

ずるりとサイズの合わない着物を引きずりながら、布団から抜け出した。無意味に足音を殺しながら、帝人は障子に手をかける。ここを出て、母屋の方へ行って、臨也の元へ行かなければ。

(臨也さん……)

帝人は気付いていなかった。臨也の事しか頭になかったが故に、障子の外に蠢く気配に微塵も気付かなかった。

帝人が障子を開け放つよりも先に開かれた障子。外は真っ暗で、姿は全く見えない。
ただ、急に室内に入り込んできた人間によって体を拘束された帝人は、久方ぶりに慣れ親しんだ"恐怖"を思い出して目を見開いた。






(ったく……なんだってんだ)

臨也はぐしゃりと前髪を掻きあげると小さなため息をついた。執務室の机に寄り掛かる様にして足を崩すと壁にかかっている時計を見遣る。時刻は真夜中もいいところで、本来の起床時間よりずっと早い時間だ。

臨也の眠りを妨げたもの、そして今尚こうして折原組総本山である屋敷が慌ただしい理由。
原因は、屋敷の裏手に上がった火だった。つまり、火事が起きたのだ。
もちろん火の不始末が故の火災ではない。明らかに放火された形跡がみられた、不審火。

(ったく、どこのどいつだっての……今時放火とかありえない)

屋敷には見張りの人間も当然いるが、裏手の警備をしていた者は全員薬で昏睡状態にされており、そして外部から投げ込まれたと思われる火炎瓶が庭には転がっていた。これらの状況から導き出される答えなど最早一つしかなく、臨也は再びため息を吐き出した。

折原組ともればここら一体で名を知らない同業者はいない。むしろこの地域だけでなく全国的にも有名な組である。畏怖され恐れられるのも当然で、そしてそれと同じように恨みつらみを抱かれる事もまた当然の事であった。
今回の強襲は折原組を目の敵にしている連中の仕業であろう。組織的なのか個人による犯行なのかは調べに出て行っている部下が戻ってこければ分からないが、どう転んでも今後暫くは慌ただしくなるだろう事実にうんざりした。

「……みかど、起きたかなあ」

私室に残してきたままの子供の寝顔を思い出す。一応起こさないように気をつけて抜け出してきたのだが、こちらがこうも騒がしくては目覚めてしまうかもしれない。彼は離れにある臨也の私室からほとんど出た事が無かったから、目が覚めて臨也がいない事に戸惑っている可能性もある。
少し様子を見に行こうかな、と腰を浮かせかけたところでばたばたと慌ただしい足音が廊下から響いてきた。

「失礼します、若っ」
「若は止めろって」
「……失礼しました、組長」

入ってきた部下の一人は深々と頭を下げた後、書類を臨也に手渡す。それに目を通しながら、臨也は再びその場に腰を落ち着け直した。

「連中はやはりこちらに私怨のある者達でした。平和島さんが何名かの身柄は確保しましたが……いかがいたしますか」
「とりあえず適当に話聞き出して、加担した奴ら全員の居場所を吐かせろ。言わないなら後は始末すればいい」

命を受けた部下は再び頭を下げ、そのまま部屋を出て行った。無人になった執務室の中で臨也は受け取った書類をぱらぱらとめくる。

(多分拷問にかけた所で奴らは吐かないだろうから、諜報部の連中を動かして……あとは後始末をどうするか、だな)

火事は幸いにも速やかに消し止められたため付近の住民に悟られた気配はない。もしこんな不祥事が外部に知れ渡ってしまえば、どんなに些細な出来事であろうとそれは付け入れられる隙になる。組内部でもどうやって収拾をつけようか、そんな事を思案しながら読み飛ばしていた書類の一文。そこに目が留まる。
ただの情報、今回の犯行を起こした連中の所属する組織の名前が記されているだけである。だが臨也はそこから目が離せなかった。

(ここって……)

嫌な汗が流れる。その名前には見覚えがあった。三か月前、臨也自身が調べ上げ手を下し、潰した組織の名前だ。まだ残党が残っていたのかという驚きが、臨也の胸中に焦りを生んだのではない。

臨也が調べ手を下した組織。では何のために手を下したのか。なんのために潰したのか。もちろん報復のためだ。三か月前に臨也自身がこの組織から命を狙われた、その報復ために潰した。
そう、命を狙われた。この組織から差し向けられた、刺客によって。

「っ――――!」

がたんと机をひっくり返さんとする勢いで立ちあがる。すぐに部屋から飛び出し離れに向かおうとすると、廊下の向こうから現れた金髪の男と出くわした。正直そいつに構っている余裕はかったが、彼の表情が尋常じゃない程の焦りに色づいているのに気付き、臨也は足を止める。どうしたのと臨也が問うまでも無く、静雄は怒鳴る様にして声を上げた。

「あいつがっ……」
「え……」
「帝人が、いねぇ……!」

臨也は今度こそ静雄を押しのける。こんな事ならば静雄を帝人の傍から離すんじゃなかった、そんな後悔ばかりがぐるぐると脳内を巡った。機動力には申し分ない静雄を外に駆り出したのは他でも無い臨也だ。結果強襲犯を捕まえる事は出来たが、そんなものよりも臨也にとってはあの子供の方がずっと優先順位は高い。

(みかど……!)

ようやく辿りついた自室。扉を開ければそこでは帝人が眠っているはずで、臨也の足音で目を覚ました彼は寝ぼけた眼差しを臨也に向けるはずだった。

「いざやさん」

いつものように、そう名前を呼ぶはずだった。




開け放った自室の障子。
ただ誰もいない乱れた布団が、そこには広がるだけだった。











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