(ほんと、情が移ったのかな)

臨也は自問する。今現在彼の胸中を占める大半の事項は、部屋に閉じ込めるようにして"飼って"いる子供の事であった。
その子供は、今は臨也の隣で規則正しい寝息を立てて熟睡している。ここ一ヶ月の間の睡眠不足が祟った故の深い眠りなのだろう、目元にも薄らと隈が出来ているのに気づいて、臨也は深々とため息を吐いた。

実を言えば、臨也は気付いていた。
帝人がこの屋敷に来てからずっと、毎晩のように臨也の隣から抜け出しては縁側で涙を流しているという事を。帝人は気付かれていないと思っていたようだが、立場上気配には敏感な臨也だ、周囲で人が動けばそれを察知する事など容易い事である。

縁側に腰を落としてぐすぐすと泣く子供の後姿を、臨也はここ最近ずっと見てきた。帝人が臨也の視線に気づく事は無かったが、毎晩繰り返されるそれに臨也が感じたのは鬱陶しさや苛立ち等ではなく、妙に哀愁めいた感情だ。

「同情、か」

帝人の目の下の隈をなぞりながら、臨也は自嘲気味に呟く。
間接的にも直接的にも多くの人間を傷つけ時には命を奪ってきた己が、まさかただの子供にこんな同情めいた感情を抱くなど思いもしなかった。
どうして今になって、と思う。許しを請う人間も命乞いをする人間もたくさんいた。しかし臨也は非情なまでにそれに取り合う事はしなかった。粛清と制裁、自分と自分の組に歯向かう者達には徹底的にそれを強いてきた臨也の心情はぶれる事は無く、残虐残酷非道外道、陰で散々に酷評を付けられている事も知っている。
それでも己の生き方を悔いた事も改めた事もなかった臨也にとって、まさに帝人の出現は異質だった。

いや、正確には帝人の存在によって出現した己の感情が、異質だった。

同情、憐憫。帝人に抱く感情は一貫してそれだ。
不思議な事に帝人以外の人間には出現しないその感情は、日に日に臨也の中で大きく成長し、膨れ上がる。一体何故自分の中にそんな感情が出現し、それが肥大化していったのかは解らない。
しかし肥大化した感情というのは厄介で、時としてそれは理性の枷をも取り払う。理性というブレーキを失いついには暴発した結果が、まさに今の現状そのものなのだろう。

「一緒に生きて欲しい、だなんてな……」

少し前に帝人に告げた言葉を思い出した。未だ鮮明に脳裏に焼き付いている、臨也自身予測し得なかったあの晩の出来事。

臨也は、帝人を死なせたくないと思うようになっていた。手放したくない、傍に居て欲しい、一緒にいてほしい。
一緒に生きて欲しい。
そんな願望がぐるぐると胸を回る。

誰かに対してそんな気持ちを抱いた事はなかった。大切な人と呼べる人間も確かに臨也の中には存在したが、帝人に対する想いはもっと別物のような気がする。
思慕とか親愛とか、そういう温かい情から来る共生願望ではない。

ただ気の毒だから、可哀想だから。そうした同情の念から派生しただけの感情に過ぎないのだ。
帝人への、この憐れな子供への慈愛というのは。

「い、ざやさん……」
「みかど?」

不意に子供の口から己の名が発せられ、臨也は寝顔を覗きこんだ。ただの寝言だったようで帝人が覚醒する様子はなかったが、名前を呼ばれるまでに至った自分達の関係を自覚して臨也は不思議とほっとした気持ちになる。

言葉を知らないのかと疑う程頑なに口を閉ざし、目を離せばすぐに自分を傷付け命を投げ出そうとする。そんな痛々しい状態の彼をずっと間近で見ていたからこそ、臨也の中に芽生えた憐憫の情に拍車がかかったのかもしれない。

毎晩のように縁側で泣いていた彼が、ようやく臨也の隣で眠ってくれるようになった。
頑なに口を閉ざしていた彼が、ようやく自分の名前を呼んでくれるようになった。
死を切望していた彼が、ようやく臨也の傍で生きる道を選んでくれた。

(同情だ、これは)

それ以外に理由などありはしない。にも関わらず、臨也は歓喜していた。安堵していた。
子供が傍に居てくれる現実に、子供が自分を受け入れ始めている現実に。

帝人に抱く感情は、決して温かく優しいものではない。ただ可哀想だと思ったから、優しくしてやろうと思った。気の毒だと思ったから、せめて生きる事の楽しさくらい教えてやろうと思った。
数多の血で手を汚してきた自分がそんな事を考える日が来るとは、臨也はまた自嘲する。
とにかく同情と憐憫、それだけなのだ。本当、ただそれだけ。


だから、最近ごく稀に見せてくれるようになった帝人の笑顔に感じるのは、決して愛しさなどではない。
臨也はそう、否定し続ける。

(今はまだ、愛情じゃなくて同情で良い)

もし、もしも、もし本当に、帝人が心から臨也を受け入れ、心から笑顔を見せてくれる日が、そんな夢のような日が来た時は。
その時は、"同情"を"愛情"に昇華させてもいいかもしれない。
そんな日がくれば、の話ではあるが。


抱く事を頻繁にしなくなった日から、帝人は夜に泣かなくなった。暗かった表情には生気が宿り、微笑を浮かべるようになった。臨也の名前を呼び、臨也が触れても目に見えて怖がる素振りを見せなくなった。
自害しようとは、しなくなった。

着実に変化しつつある、可哀想で気の毒な子供。
子供へ抱く感情は同情だと決めつけている臨也は、いつか愛情を抱いてもいいと思いながらも気付いていなかった。
隣で静かに寝息を立てる子供を、確かに愛しいと思っている自分の本心に。


もぞりと布団に潜り込む。微かに身じろいだ帝人の体をしっかりと抱きしめて、臨也は瞳を閉じた。
この腕の温もりを温もりと認識するその感情こそが愛だとは気付かずに。
いや、愛だと気付きながら、見て見ぬふりをした。


(俺がこの子を愛するのは、この子が愛を覚えてからだ)


臨也は、子供に、愛を教えてやりたかった。











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