月が綺麗だなあと思った金曜日の夜、コンビニ袋をひっさげて家路を歩く。今晩の食事であるおにぎりやらがガサガサと袋の中で揺れて、けどそれも街の喧騒に飲み込まれた。
あ、と僕の足は自然と止まる。道行く人が邪魔そうに避けていくが動けない。見なきゃよかった、なんて思うも時既に遅し。
路地の中で壁を背にする臨也さんと目が合ってしまったのは、完璧なる僕の過失であった。
「……こんばんは」
あからさまに無視するのも気が引けて、頭を下げる。暗がりの中の臨也さんはいつもの怖い笑顔ではなく、純粋な予想外に遭遇したような顔をしていた。
「君の家って、この近くだっけ」
「あ、はい。そうです」
好都合、と言わんばかりに臨也さんが笑った。驚愕の色は、既に無い。
「匿ってくんない?」
にっこりと笑う臨也さんが傷だらけなのに、僕はようやく気が付いた。
「狭い家だね」
部屋に招いて早々彼が口にしたのはそれだった。何だか申し訳なくて謝ると笑われた。この人の言動は、よくわからない。
「あの、怪我は大丈夫ですか」
「ん?ああ、大した事無いよ。致命傷はないし」
ちょっとドジ踏んじゃって、そう言う臨也さんの顔色はお世辞にも良いとは言えなかった。畳に腰を下ろす動作も酷く辛そうで、今日ばかりは常から抱いている恐怖を感じない。
致命傷はなくとも、怪我が与えるダメージは深刻なのだろうと、疲弊しきった様子から容易に想像がついた。
「とりあえず、手当てしましょう」
「手当て?君が?」
「痛むなら、応急処置くらいはしておいた方が良いと思います」
臨也さんはまたびっくりしたような顔をする。けれどそれは一瞬だった。すぐに笑顔に隠される。
「ならまず風呂に入りたいんだけど」
「風呂……ですか?」
「血だらけの泥だらけだからね、さっぱりしたいんだ」
彼の言い分はもっともだ。本人が望むならと、臨也さんを浴室へ案内するために立ち上がった。
「湯加減はどうですか」
「ん、ちょうどいいよ」
湯船につかる臨也さんの横顔をちらりと見る。普通お風呂に入っている時っていうのは肌が赤くなるものだけど、彼の肌は白いままだ。先程の青い顔に比べれば大分マシだと思うが、不思議だった。
「けど、君も心配症だね」
「え?」
「何も浴室に入ってまで見張らなくても、風呂くらい一人で入れるよ」
「あ、すいません。けど、幼児とか高齢者の入浴中は目を離してはいけないって聞いたので」
「俺の扱いって赤ん坊もしくは年寄りレベルなんだね」
けらけらと臨也さんは笑う。気分を害した様子はない。
別に馬鹿にしたわけではなく、それくらい心配だという意味での言葉だった。座るのも歩くのも辛そうな臨也さんを、一人で入浴させるのは気が引けた。
怪我をしているなら入浴は避けた方がいいのではと進言したが、彼は笑顔で僕の言葉を無視した。それが余計に、いらぬ不安を掻き立てる。
他意はない、ただ純粋に臨也さんの身を案じての事だ。
「別に、そんな顔しなくたって人様の家の風呂で死んだりしないって」
「だと良いんですけど」
「君はお人好しだね。底抜けに」
馬鹿にされている気がした。現に湯船の中で笑う臨也さんの表情はなんだか不気味だ。
このぐらい元気そうなら大丈夫だな、と判断して立ち上がる。長湯しないで下さいねと言い残して浴室から出た。スボンの裾が濡れてしまったのに溜め息をつく。
出る間際に見た、湯の中の臨也さんの腕は恐いくらいに白かった。