元から浅かった眠りから意識を浮かせる。慣れない匂いのする室内に敷かれた慣れない肌触りの布団の中、慣れない温もりを背後に感じながら帝人はぱちりと一度だけ瞬いた。
室内は深夜のため当然ながら暗く、置かれている家具の輪郭もぼんやりとしか認識できない。首筋にかかる寝息は後ろから帝人の体を抱きしめるようにして眠る男のもので、腹の前に回された腕を帝人はゆっくりと剥がした。
するりと音も無く布団から這い出て、乱れた着物の前を掻き合わせる。年齢に見合うだけの標準的な体つきを持たない痩せた体に、男の私物である着物は些か大きくだぼだぼだった。帯はどこにいったのだろう、探そうと首を巡らせたが止めた。どうせまたいくらもしない内に解かれる事になるのだ。

この折原組の総本山である屋敷で"飼われる"ようになって、もう一カ月近くたつ。なんの気まぐれかこの組の若頭である折原臨也は己の命を狙った子供を殺すわけでもなく、未だに夜伽相手として傍に置いていた。
その真意は帝人にも分からない。死にたがっている自分をここでこうして無理に生かす事こそが罰になる、彼はそんな事をあの夜言っていたが、それだけなのだろうか。

帝人には分からなかった。折原臨也が何を考え自分を傍に置いているのか、何を想って自分の体を抱くのか。そして、どうして最近になって、酷く優しい手つきで自分を抱くのか。何一つ分からない。

(……死にたい)

室内の障子を少しばかり開け、その隙間から細い体を外に滑らせた。縁側にぺたりと腰を下ろすと空に浮かぶ満月を見上げる。

帝人は、死にたかった。どうにかして死のうとあらゆる手を尽くした。元々死ぬために今室内で眠っている男の命を狙ったのだ、ここで飼われるために帝人はこの場に来たのでは無い。
しかし、臨也はそれを許さなかった。帝人が少しでも自分を傷つける素振りを見せれば力づくでそれを抑え、そして折檻と称してあの夜の様に手酷く帝人の華奢な体を抱き潰す。抗えばまた酷くされ、それの繰り返しだった。
基本的に臨也の私室であるこの部屋にしか帝人の居場所は無かったが、臨也の不在の時を見計らって死のうとしても臨也が置いていった見張りに阻まれてしまい、未だに傷一つ付けられたためしがない。そしてそれが臨也の耳に入ればその晩はまた酷くされるのだ。

もう嫌だ、と何度も思った。帝人は元は堅気だった。何処にでもありふれている一般家庭の平凡な子供だった。両親を殺され無理矢理こちら側に連れて来られ、訳も分からぬまま足を開かれ男を受け入れたのはまだ十二の年の頃。
毎日が地獄の様で、死にたいと何度も思った。逃げ出そうとした。けれど脆弱な子供の力では抵抗も逃走も叶わず、ただ性奴隷として扱われる日々が続いた。そん生活が耐えきれなくて、帝人は折原組の頭を強襲するという話に自ら名乗りを上げたのだ。子供の自分ならば油断させられるはず、そう彼らを言いくるめてここまでやってきた。ただ死を求めて、地獄のような生を終わらせたくて。

それなのに、今の自分の惨めさと言ったら。
これでは昔と全く同じだ。抱かれる場所と抱く相手が変わっただけで、何一つ事態は好転していない。
一体自分が何をしたと言うのだ、何故こんな苦しい人生を歩まねばならないのだ。死にたいというたった一つの望みすら叶えられず、ただただ人形のように扱われる。それがもう嫌で嫌でたまらなくて、でもどうしようも出来ない自分の無力さがやる瀬なくて。

「っ……ふっ、うぅっ……」

膝を抱えて帝人は泣いた。こうして縁側に出て毎晩のように泣くのは、もう日課と言ってもよかった。
折原臨也は気配には敏感な男で、寝ている時でもそれは変わらない。だから彼が寝ている間に少しでも殺気を放とうものならば、それが臨也に向けられたもので無くとも彼はすぐさま覚醒する。彼から離れようとしても同じだ。自分の傍にいた気配が遠のけば、彼はそれだけで目を覚ましてしまう。
それをこの一カ月で学んだ帝人にとって、縁側は彼の覚醒を促さないぎりぎりの距離だった。彼が目覚めない、ぎりぎりの距離。臨也から取れる距離は精々ここまででしかない。

その距離の中で、帝人ははらはらと涙を落として咽び泣く。嗚咽を噛み殺し、悲しみと絶望と苦しみと、どうしようもない自分の無力さにただ涙を流し続ける。

(し、にたい……)

何故死なせてくれないのだろう。それが自分に対する罰だから?
帝人には分からない。折原臨也の考えも、ここ最近、彼が自分を優しく抱く理由も。
臨也は帝人が少しでも死のうとすれば容赦なく残虐なまでに帝人を蹂躙したが、それ以外の時は酷く優しく自分に触れる。壊れ物を扱うかのように帝人の性感を煽り、痛みと苦しみではなく快楽を引きだしてただただ甘い痺れを齎す。

無理矢理の性交渉が、帝人にとっては暴力以上に苦痛で、恐怖だった。それを強いてくる臨也への恐怖心は薄れる事を知らない。けれど、残虐で残忍な彼の気質を理解していながらも、優しく触れられればそこに生まれるのは確かな戸惑いだった。
優しくされた事などこの数年で全く無かった帝人にとって、臨也は畏怖すべき対象であるのと同時に拒みきれない存在でもあった。

怖い、嫌い、でも拒絶できない。心の底から彼を憎む事が出来なくて、帝人は戸惑う。抱かれるのは嫌なのに、抱かれている最中で感じる一瞬の優しさが、帝人の心をぐちゃぐちゃに引っ掻き回す。
訳の分からない自分の心に、訳の分からない臨也の真意に、そして日々募る精神と肉体への疲労に支配されながら、帝人は今晩も眠りに就く事が出来ず、ただ泣くのみだった。




「ねえ」

室内から突然響いた男の声に、帝人はびくりとして涙でぐちゃぐちゃの顔のまま振り返った。開けたままの障子の隙間から室内に月光が入り込み、布団の上に上体を起こしている彼の姿を浮かび上がらせている。

「こっちおいで、みかど」
「っ……」

甘い響きを持つのに、そこに含まれるのは有無を言わさない絶対的な威圧。暗闇でも光る赤い目が怖くて、帝人はしゃくりあげながらも室内に、彼の傍に戻る。
臨也はじっと帝人を見つめていた。その表情には勝手に寝具から抜け出した事を咎める色は浮かんでいなかったが、何の感情も伺う事が出来ず帝人は逆にそれが怖かった。
ふらつく体を引きずって彼の傍まで寄ると、唐突に手首を掴まれ引き寄せられる。

「あっ……」

ぼすりと彼の胸の中に倒れこんでしまい、無意識に体が強張る。背中に回された腕にびくりとしたが、臨也はただ帝人を抱きしめるだけで何もしてこなかった。

「怯えるなよ……って言っても無理か」
「……っ、」
「もう抱かないから、ちょっとは力抜いて」

さらりと短い前髪を撫でられまたぴくんと肩が跳ねる。しかし臨也は言った通り抱く素振りは全く見せなかったので、帝人は恐々と体に籠っていた力を抜く。そうする事でより深く臨也に身を預ける事になってしまうのだが、臨也はまるでそれを喜ぶかのように背中に回している腕の力を強めた。

「君は、まだ死にたいと思ってる?」
「え……」

胸に押し付ける格好になっていた顔を上げる。暗がりの中でも明確な色彩を放つ彼の赤眼がどこか困ったように細められていて、帝人は唖然とする。この人がこんな、どこか寂しげな顔をするのは初めて見た。
するりと伸びてきた長い指が帝人の目元を濡らす涙を拭い、次いでそこに唇が押し当てられて喉奥からひ、と悲鳴が飛び出した。

「なんでだろうな、」

涙の跡を舌でなぞりながら臨也は呟く。瞼にかかる彼の吐息にまた肩が強張ってしまい、帝人はぎゅっと臨也の着流しの襟を握り込んだ。接触はどうしてもセックスを彷彿とされるから、無抵抗に受け入れきれない。
それを臨也も分かっているのだろう、震える帝人背中を宥めるように撫でながら唇を離し、そのまま帝人の頭を胸に抱え込むようにして抱きしめた。

「君の事見てるとさ、死なせたくないって思うんだよなあ……」

情でも移ったかな、苦笑しながら呟く臨也の言葉が理解できなくて、帝人は目を見開く。
臨也がこんな風に優しく触れる事はセックスの時以外になかったし、そもそも触れるという行為がイコールセックスだったため、下心も無しに触れあう事自体初めてだった。
そして、臨也の口からこんな、こんな言葉が飛び出す事も、初めてだった。

「ど、して……?」

帝人は呆然としながらも臨也の胸の中でそう問いかけた。帝人から臨也に対して言葉らしい言葉が投げ彼られるのも実に初めての事で、今日は本当に初体験な事ばかりだ、とどこか冷静な理性が頭の隅でそんな事を思う。
臨也も帝人からの問いに微かに驚いた素振りを見せたが、どんな顔をしていたのかまでは帝人には分からない。ただ、また少しだけ体を抱きしめる力が強くなったの感じて、涙腺が緩んだ。

「どうして、か。どうしてだろうね、俺もよく分かんない」
「……ぼく、」
「ん?」

ぼろりと零れた涙は、臨也の着流しに染み込んでいく。

「死にたい、です」
「そっか……」
「だっ、て……生きてても、つらい、だけだから……」
「うん……」
「楽しいことも、やさしくしてくれる人も、何も、ないから……っ」

枯れる事を知らない涙がとめどなく溢れ、その全てが臨也の着流しに吸い込まれていった。濡れていく衣服を気にするでもなく、臨也はたどたどしく言葉を紡ぐ帝人の頭を撫で続ける。

本当に初めての事ばかりだ。帝人がこんな風に自分の胸の内を吐露する事は今の今まで一度も無かったし、セックスの時以外に彼の前で涙を見せる事も一度だって無かった。
どうして今、こんな風に自分心情を彼に打ち明けているのだろう。恐らく臨也がいつになく、優しいからだ。こんな風に優しい彼は本当に初めてで、帝人は迂闊にも自分が求めいたものを彼に求めてしまう。

「なら、さ」

だから彼がそう言った時、帝人は夢でもみているのではないかと本気で思った。

「俺が、これからうんと優しくしたら……君は、生きたいと思ってくれる?」

夢だと思った。この男がこんな事を、ただの子供相手にこんな事を言うはずが無い。
こんな――――慈愛のこもった眼差しを浮かべるはずが、無い。

ありえない、理性はそう分かっていた。しかし帝人はそれでも手を伸ばしてしまった。求めてしまった。
死にたがっていた自分が一番、本当に、心底求めていた物。それは安息の死などではない。

自分を愛してくれる、一心に愛して優しくしてくれる、ただそれだけをくれる、そんな人間。
死を渇望するその裏で真に欲しかったもの。それを、この男に。この、人間に。

「俺と一緒に……生きて、ほしい」

これがこの男の気まぐれでも虚偽でも偽善でも何でもよかった。今与えられている温もりと優しさだけは確かに本物で、帝人は拒めない。
そうだ、どうしてこの男を拒絶する事が出来なかったのか。その答えは単純で明快で、既に帝人の前に転がっていた。

(僕は、心のどこかで予感していたんだ)

この人が、自分の求める物を与えてくれる人だという事を。


帝人は重い腕を持ち上げる。涙を流しながら、臨也の背中に細い両腕を回した。
それが、答えだった。











「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -