こんなに緊張するのはいつ以来だろう。もしかしたら初めてかもしれない。チームの代表としての責任が重いプレッシャーとなって僕の胃をきりきりと締め付けた。
なんで僕、リレー走者の列に並んでいるんだろうという今更過ぎる疑問が頭を過る。ほんと、なんでこんな事になっちゃったんだろか。誰か教えてください。

「大丈夫だよ」
「折原先輩……」
「君はただ走ればいい。ドタチンからバトンをもらってシズちゃんに渡す。たったそれだけじゃないか」
「……先輩。あの、僕って足遅い方なんですよ?」
「うん知ってる」

大丈夫、君に期待なんてしてないから、そう笑う先輩は僕を励ましに来たのか馬鹿にしに来たのか。絶対後者だと思うこの場合。

「だからさ、君の前はドタチンなんだ。どうせ一着で回ってくる、それも大差をつけてね。だから君は安心して走ればいい」

ぽん、と先輩の手が頭に置かれる。胡散臭い嫌な笑みはそのままだけど、掌の感触に若干緊張が解れていくようだった。
それは本当に若干で、不安はまだまだたくさんあるけど。

「みーかど、がんばれよー!勝てばモテ期到来だぞー!」
「頑張って下さい、竜ヶ峰君」

応援してくれる友達と、

「まああれだ、難しい事は考えんな。肩の力抜いて気楽にいけ」
「抜かれても俺が追い越してやっからよ、気にすんな」
「……大丈夫。俺達なら、勝てる」

門田先輩に静雄先輩に幽先輩、それにチームの皆。

「君ならできる。だから頑張りな、帝人君」

(折原先輩……)

皆の期待に、応えたいと思った。








なーんてちょっとかっこつけて思ったりしてみたのが数分ほど前の話だ。数分前の自分に声を大にして言ってやりたい。
この大馬鹿野郎。

(紀田君が言ってた"危ない"って、こういう事だったんだ……)

たかだかリレー如きで何故毎年負傷者が出るのか、どうせ紀田君の話は全部眉唾だろうと思っていた僕だったけど、今なら素直に紀田君に謝れる気がする。うん、ごめん紀田君。君の言葉は正しかった。

赤白黄色青。それぞれの走者がチームと同じ色のバトンを持ってコースを走っている。いや、ただ走っているだけではない。

時には足をかけ合い、時には腕を振るふりをして肘打ちをかまし、酷い時には突き飛ばし合う。ラフプレイその物のようなリレー競技は、まさに死闘だった。戦場だった。
こうして僕が順番待ちをしている今も赤チームの走者が青チームの走者に足をかけられて派手に転倒していく。
これじゃ毎年怪我人も出るわけだね。

(やばい、とてもじゃないけど無事に完走なんて出来ない絶対)

走っているリレー走者の皆さんはそれなりに体格の良い方々ばかりだったのも僕の絶望感に拍車をかけた。レスリング部やラグビー部と言ったばりばりの体育会系といった生徒の皆さんが肩をぶつけあいながら走行する。屈強な体の方が相手を蹴散らすのにも有利だからだろう人選。
あんな人たちと一緒に走るだなんて絶対無理。僕なんかが走ったら一瞬にして戦闘不能にされてしまう。確実に。

あ、今度は青チームの人が転んだ。ってかここまで分かりやすいラフプレイなのに反則とかにはならないのだろうか。僕はリレーのルールに詳しいわけではないからよく分からないけど。でも絶対スポーツマンシップにのっとりっていう開会式での宣誓の言葉は見事に忘れ去られてるよねこれ。

(っ、門田先輩だ)

そうこうしているうちに、白チームのバトンはいよいよ門田先輩にまで回ってしまった。次は僕の番だ。
うわ、まずい。さっき解れたと思った緊張が見事にぶり返してきてる。むしろ先ほどよりも酷いんじゃないだろうか。考えてもみればリレーなんて競技、小学校の運動会以来のような気もする。そんな僕がちゃんと走りきれるのか?この屈強な集団相手に。うん、やっぱり無理だと思うよこれ。

「竜ヶ峰!」

門田先輩が叫んだ。僕は身構える。折原先輩の言った通り、門田先輩は他の三人に大きく差を付けて一着で走って来た。
門田先輩がバトンをこちらに伸ばす。僕は意を決してそれを、受け取る。

そして、走った。

目の前であんな危険なラフプレイを見せつけられた後だ、そりゃあ怖いし不安だし責任は重大だし、僕のなんかのせいでチームが負けたりしたらどの面下げて皆の前に戻ればいいのかも分からないし。
それでも、逃げ出す気は起きなかった。

皆が繋いでくれたバトンを、今ここで僕が投げ出すわけにはいかないと思ったから。

たった、たった校庭半周だ。それがこんなにも遠いと感じた事は今まで無かった。必死に走る、足を動かす。
けれど、やっぱり体育会系でもスポーツマンでも無いただの平凡な高校生の脚力はたかが知れていて、折角門田先輩が作ってくれた差も徐々に縮んでいく。
もっと速く、そう思って全力で走るけど、僕の全力なんて所詮はちっぽけ過ぎる悪あがきでしかない。もう半分は過ぎた。あとちょっとで、静雄先輩に届く。

(もう少し……)

けれど、そう何事も無く無事に終わるなんて事あるわけがなくて。

追いついてきた青チームの走者の腕が意図的に振るわれた。あ、と思うも走りながら避けるなんて器用な真似が僕に出来るはずも無く、側頭部辺りにそれはぶつけられる。

「ッ……!!」

すごい衝撃だった。殴られた、と僕の思考が認知する頃には体は走行不能な状態で、無様にもその場に転げ落ちる。ずしゃあ、と砂の上に投げ出される感触がした。バトンも、手から滑り落ちる。

「帝人!」
「竜ヶ峰君!」
「竜ヶ峰!」

あちこちから僕の名前を呼ぶ声が聞こえた気がしたけど、僕の意識は痛みで塗り潰されていて音を拾っている余裕は無かった。ざわめきが次第に遠のいていく気がする。

(バトンは……)

指先を動かす。幸いにも遠くまで転がってはいなかったらしい、バトンはすぐに見つける事が出来た。不思議と上手く動かない腕でバトンを掴む。気合だけで、僕は立ちあがった。
擦り剥いてしまった左肘と右膝は出血していてじんじんと痛い。転んだ際に肩から落ちたせいか右肩も酷く痛んだ。殴られた頭もズキズキする。正直言って走れる状態ではなかった。
でも、今は、そんな事より、

(バトンを……)

繋げなきゃ。
足を引きずって走った。転んでいる間に一気に抜かされてしまったらしい、気がつけば先程まで首位を独走していた白チームが最後尾だった。

(僕の、せいで、)

体の痛みよりもその事実の方がずっと痛い。折角勝てそうだったのに、皆の努力が僕のせいで無駄になる。そう考えると涙腺が緩み出すのを止められなくて、視界がじわりとぼやけてきた。
情けない、みっともない。何をしているんだ僕は。たった校庭半周、それすらもまともに走りきれないなんて。

静雄先輩にバトンを渡す。足が痛くてそれ以上に立っていられなかった僕は、そのままずるずるとへたり込んでしまった。

「静雄、先輩っ、すいません……僕の、せいでっ、」

既に圧倒的な大差が付いてしまっている。もう挽回するのは難しいのではないかというくらいに、その差は顕著だった。誰もがもう、白の勝ちは無いだろうとため息をつくくらいに。
それが申し訳なくて自分が情けなくて、きっゅと目を瞑った。怒られても仕方ない、罵られてもしょうがない。僕は本当に、とことん役立たずな人間だ。

けれど、降って来たのは罵詈雑言ではない。掌だ。それが僕の頭をわしゃわしゃと撫でていく。

「よくやったな……後はまかせろ」

力強く、静雄先輩はそう言って走り出した。

(す、ごい)

かなり並はずれた怪力と身体能力を持っていると聞いていたけど、ここまですごいとは思わなかった。
まさに鬼神の如き気迫。尋常ではないスピードであっという間に差を縮めていく。これにはギャラリーも控えの選手も唖然とする他ない。

「幽、本気でいけ!」
「わかってる……!」

静雄先輩の手から次の走者である幽先輩にバトンが渡った。あまりそういうイメージは無いのに、なんと驚くほど幽先輩も早い。風に靡く前髪の下から覗くガーゼに、僕は幽先輩が怪我をしているんだと初めて気が付いた。しかし怪我を負っている事を周囲に気付かせないくらい、幽先輩は速い。
僕の段階であれほど開いていた差はほとんどなくなり、白チームは一気に二着まで追い上げていた。一着である黄色の背中はもうすぐそこだ。
後は次の走者、アンカーに全てがかかっている。

白チームのアンカーは、折原先輩。

「……お願いします」
「任せてよ」

幽先輩の手から、折原先輩にバトンが渡された。アンカーの証である白いたすきをかけた先輩の表情には、怖いくらいに真剣な色しか宿っていなかった。黄色チームのアンカーを驚異的なスピードで追い上げる。それでもやはり、黄色だって負けてはいない。一進一退の攻防。
そしてとうとう、白と黄色が並んだ。ゴールまでは、あと僅か。

歓声が大きくなる。互いのチームから応援が飛び交う。熱がこもる。ゴールテープはもう、目の前。

「――――先輩!」

無我夢中で叫んだ。

パーンと、ゴールを知らせる空砲が空に響く。











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