(あ、)

移動教室の途中。渡り廊下の向こうから歩いてくる人影に自然と胸が高鳴った。左隣で紀田君が何かうすら寒いギャグを言っているらしいけど、そんなものは耳に入ってこない。さらに言うと、右隣で紀田君のうすら寒いギャグに受けて笑っているらしい園原さんに、別に無理して笑ってあげる事もないのになあなんて常ならば思うのだけど、それすらも思考出来なかった。

大半の生徒がブレザーで過ごしているこの学園の中で、一際目立つ学ラン。流れる黒い髪と赤味を帯びた鋭い瞳、そして妬みを抱くのも馬鹿馬鹿しいほどに整った容姿。そのくせ、纏う雰囲気は鋭く、また不可解。何もかもが煙に巻かれているかのように不鮮明な、そんな人。危ない噂も色づいた噂も絶える事は無い、学園内での有名人の一人。

(折原、臨也)

僕は彼の事を名前と、そして学年しか知らなかった。名前以外の確実な情報を、僕は持っていない。噂みたいに信憑性の薄い不確かな情報だけなら五万とあるけど、そのどれもが眉唾のような内容だから、やっぱり彼に関する真実というのは、僕は名前と学年しか知らなかった。
後知っている事は、学園内でのもう一人の有名人、平和島静雄先輩と犬猿の仲だと言う事。これも裏を取った事はない噂から得た情報だけれど、僕は一度だけあの二人が校舎内でとても常識では及びの付かない規模の喧嘩を繰り広げている所を目撃している。それに加え、あの二人の人外な喧嘩はこの学園ではそれこそあの二人の入学当初からしょっちゅうだったらしいから、この噂はおそらく真実だろう。

折原臨也。三年生。平和島静雄とは犬猿の仲。

僕の知り得る情報は、たった三つ。
とてもとても少ない数の真実。それでも僕は、彼にどうしようもないほどの興味を抱いていた。正直に言うならば、焦がれていた。これが恋心に近いものなのだと自覚したのはつい最近だけど、彼に惹かれていたのはずっと前からだった。

始まりはあの日、偶然目の前で折原臨也先輩と平和島静雄先輩の喧嘩を目撃した日だった。ありえないほどの非日常を、僕は日常の塊である学園内で目撃した。入学して間もない僕は求めていた、日常とは違う何かを。それを模索するために学校に来ているようなものだった。
それをあの日、見つけた。
入学してから僅か二週間足らず。まさに僕にしてみれば奇跡に近いものだ。そんなに簡単に求めていたものが見つかるとは思っていなかったし、そしてその非日常の元凶に恋するなんて思いもしなかった。

つまるところ、簡単に言ってしまえば、一目惚れだ。僕は同性である筈の折原臨也に、恋をした。

正直今でもこんな感情を抱く事に罪悪感というか背徳感はあるし、恋しているからと言って何かをするつもりもない。
ただ好きだと思った。名前と学年と犬猿の仲の相手しか知らない人を、しかも同性を、僕は好きになってしまった。あの人の纏う雰囲気を、瞳の中に宿る影を、非日常を臭わせる彼の立ち振舞いを、姿を、全てを。

(気持ち悪いな……僕)

学園内で彼を見かける事は滅多にない。学年が違うから当たり前と言えば当たり前だ。だから今日みたいに偶然廊下ですれ違うような時は、嬉しさと、彼に感じる後ろめたさで、僕の思考は凍りつく。彼の存在を体全身で感じ取って、けど萎縮してしまう。
僕はいつも俯いて、彼とは目を合わせずに、それでも自然を装う事は出来なくて、無言ですれ違う。明らかに不自然だとは分かっているけれど仕方ない、体と心は別物なんだ。別物になってしまうんだ、彼を前にすると。

折原先輩が近づいてくる。僕も彼に近づく。紀田君も園原さんも僕の様子には気付かない。折原先輩も僕らを視界には入れていない。

ただ、すれ違うだけ。

「――――」

そうして今日も、すれ違う。
安心したような、けれどがっかりとしたような、そんな矛盾した気持ちを今日も僕は抱く。安堵と落胆、ほっとした、でも悲しい。

(……好き、です)

怖くて口になんてとても出来ない。なんて矛盾して傲慢で我儘なんだろうか、僕は。

「みーかど、どうしたよ」
「いや、何でも無いよ」

歩みの遅れた僕を不思議に思って紀田君達が振り返った。慌てて二人を追う。


臆病な僕は言葉を交わす事も出来ない。むしろ近づく切欠も理由も度胸も無い。ただこうして微かな出会いの瞬間に喜んで、安堵して、そして悲しむ。
それが、僕の日常。

いや、非日常。











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