あ、と一瞬だけ意識が飛ぶ。倒れかけた体を気力だけで留めて、帝人は何とか態勢を持ち直した。

朝から熱っぽいとは思っていた。だがそれほど気分が悪いわけでもなく意識もはっきりしていたため、深く考えずに登校してしまった。それが間違いだった。
授業が終わる頃には熱も大分上がり、気持ち悪さと頭痛でまともに立っている事も難しい状態。不調は目に見えて明らかであり、心配した正臣や杏里も帰りは途中まで付いてきてくれていた。
それで何とかもう少しで自宅、という場所までやってこれたのだが、いよいよもって歩くのも限界らしい。吐き気と寒気と体のだるさに口元を押さえて、思わず大通りから路地に逸れた。建物に寄り掛かる形でなんとか座り込むのを避ける。
今しゃがんでしまえば、もう二度と立ち上がれない気がした。

(やばい、かも)

視界が回り始める。意識が断続的に途切れる。もう体を支えていられない。

(――――あ、)

だめだ、と思った時にはもう、帝人の体はぐらりと前方に傾いていた。


「っと、危ないなあ」

浮かされるような熱さに苦しむ帝人の耳に、突然として声が入り込んでくる。気付けば倒れたと思ったはずの体は受け止められていて、視界には黒が広がっていた。

「こんな所で生き倒れ?死ぬより悲惨な目に遭っちゃうよ」

臨也さん、口を動かしたつもりだったがそれが声として放たれる事は無かったらしい。帝人は自分から体を起こす事も自分を受け止めてくれた男の顔を見上げる事も出来ずに、ただ襲い来る頭痛と吐き気に抵抗する。それだけで精いっぱいだったのだ。

「……どうやら、かなりの重症みたいだね」

ひやりと掌が額に宛がわれる。その冷たさに驚くよりも先に、ほっと安心した自分がどこかにいた。

(つめたい……)

熱さばかりがこみ上げる今の己の体に、臨也の掌から感じる冷たさはとても心地良い。

「残念、だったね帝人君。こんな時に俺に見つかるなんて」

既に臨也が何を喋っているのか、帝人には理解が出来ない。そのまま沈みこんだ意識はまるで泥沼に沈むかのように、不快感を伴って消えていった。




(あ、れ……)

どこだろう、ここ。
目覚めた帝人は辺りに視線をやる。まだ頭は痛むし体は熱っぽいが、あれほど苦しんでいた吐き気はもう感じられなかった。額に濡れたタオルが乗っているのに気付いて、帝人は自分が誰かに介抱してもらったのだと悟る。

(……臨也、さん?)

意識を失う前に、近くに臨也がいたような気がする。もちろん朧気にしか覚えていないため、確信は無い。

「起きた?」

だが部屋に入って来た想像通りの男の姿に、やはりあの時自分を助けてくれたのはこの人だったのだと確信した。

「あの、」
「声が酷いね、あまり喋らない方がいいよ。あ、これ水」
「あ、どうも……」

指摘されて初めて、自分の声が枯れているのと喉が酷く痛む事に気がついた。受け取ったペットボトルの水を飲もうと体を起こすが、それだけで酷い眩暈に襲われあえなくベッドに沈みこむ。
そんな帝人を見かねてなのかは分からないが、臨也は酷く愉快気に笑ってベッドの端に腰を下ろした。

「覚えてないと思うから言っておくけど、ぶっ倒れて意識飛ばした君をここまで運んだのは俺。ついでに言っておくとここは新宿の俺の家ね。ああ、それと一応医者にも診てもらったから、体は大分楽になっただろ」

上手く喋れない帝人に対して、臨也は予期していたのだろう帝人の疑問にすらすらと答えを述べてくれた。熱のせいで思考回路もまだ十二分に機能していない帝人は、臨也の言葉を時間をかけてゆっくりと理解していく。
それを待つ間もなく、臨也は帝人が持っていたペットボトルを奪った。

「これから三日は絶対安静。四十度近く熱があったらしいよ」

君もよくやるなあと、臨也は馬鹿にしているのか感心しているのか、どちらともとれる口調で言い放った。
彼はペットボトルを開け水を飲む。そして前触れも無く伸ばされた臨也の手によって顎を掴まれた帝人は、そのまま抗う事も出来ずに臨也の唇を受け止めるはめとなった。

「ん、むっ、」

口に含まれたせいで温くなった水が喉に流れ込んでくる。顔を背けようとするも万全ではない帝人の力で臨也を押しのけられる訳も無く、水と共に入り込んできた彼の舌にぶるりと肌が粟立った。
熱のせいなのかキスのせいなのか、体がぼっと火が点いたかのように熱くなる。

「っ、ふ、い、ざやさん……」
「また熱上がった?まだキスだけしかしてないのに」

くつくつと笑う彼に帝人は漠然とした危機を感じた。心持距離を取ろうとするがベッドに乗り上がって来た臨也にあっさりと体を押さえつけられ、手首を掴まれる。

「いざ、や、さんっ」
「君、自分が今どれだけ色っぽい顔してるか自覚ある?」
「そんな、の……」
「涙まで浮かべちゃってさ。可愛いったらないよ」

べろり、目尻を熱い舌で舐められる。そのまま耳の形をなぞる様に滑る舌に、帝人は掠れた声で悲鳴を上げた。首筋にまで落ちた唇は軽く鎖骨に歯を立ててくる。じわりとまた、熱が広がる。

「いざやさんっ、やめっ……」
「こんな楽しい事を止めろっていうの、君は。残念だけどその希望には応えてあげられない」

帝人に掛けられていた毛布をばさりとはぎ取り、臨也は覆い被さる様にその小さな体を抱き締める。人肌に触れた体がまたしても熱を上昇させたのが分かって、帝人は泣きそうになった。

「俺はね、知りたいんだよ。普段とは違う状態の君が、どんな反応をしてどんな事を想うのか――ま、単なる気まぐれと言えばそれまでなんだけどね。拾っちゃった以上は、折角だから俺も楽しみたいし」

甘い声で残酷な、自分本位の言葉を語る臨也は、どう転んでもこのまま帝人を開放してくれそうにはなかった。
そうだった、折原臨也はこういう人間だったと、帝人はようやく思い出す。自分本位で自分の興味のある事のみに全てを尽くす。それで相手がどうなるかなんて、彼は考えていない。むしろどうなるのか、彼が知りたがるのは常にそれだった。

だから、今の帝人がどんなに高熱に苛まれていようと、その状態は臨也にとって観察材料の一つでしかない。

ぼろりと、ついに涙があふれた。それに気付いた臨也は早速嬉しそうに笑って帝人を見下ろした。

「せいぜい楽しませてよ、俺を」

歪んだ笑みすら、今の帝人には認識できない。ただこれから自分がどうなるのかだけは何となく察しがついた。
そしてその予想を裏切ることなく、臨也の手は帝人のシャツを引き千切ったのだった。










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