あれから僕はどうしたんだっけ。気がついたら繋がっているはずの携帯は切れていた。自分で切ったのか、臨也さんが切ったのかは分からない。
途方に暮れて混乱する事に、僕は忙しかったからだ。

確かに、臨也さんはよく分からない言動の多い、一筋縄ではいかない人だ。けれどあの口ぶりは決して嘘を言っている風ではなかった。

(じゃあ、本当にここは……)

あれから宛ても無くふらふらと街の中を歩き回って、色々と気付いた事がある。気付いた事というか、発覚した事実と言うか。

どうやら、僕は本当にタイムスリップしてしまったらしい。

まず一つ、自宅であるはずのアパートの部屋には、行ってみると僕ではない別の人が住んでいた。
二つ、通っている学校の名前が"来良"ではなく"来神"だった。
三つ、試しにコンビニでおにぎりを買ってみたら、貰ったレシートに記された西暦が五年ほど昔だった。
以上の事から、むしろ答えなど一つしかありえないだろう。

歩き回って疲れた僕は、西口公園のベンチに腰掛けてぼんやりと夜空を見上げた。まばらに散る星を眺めながらおにぎりを齧って、ため息をつく。

(……どうすればいいんだろう)

心当たりと言えばあの路地しかない。もちろんあの路地は異常に気づいてから何回も行ったり来たりした。しかし何度反対側に抜けて往復しようとも、僕の知る池袋の街に戻る事は出来なかったのだ。

「まさか噂が本物だったなんて……」

性質の悪い冗談だと思いたい。もしくは嫌な悪夢。
だがこれは紛れもない現実。僕は路地を通り抜ける前に抱いていた興味や興奮を、思い出す事が出来なかった。あるのは不安。
家も無ければ居場所も無い、住む世界そのものが違う僕が、一体どうやってこの――五年前の池袋で過ごせばいいのだろう。

(戻る方法も分からないし……)

携帯で知人達に電話をかけまくったが、何故か誰にも通話中で繋がらなかった。先程臨也さんからは電話がかかってきたというのに、臨也さんにすら連絡がつかない。完全に八方塞がりだ。

「君、来神の生徒?」

どくんと心臓が跳ねる。慌てて振り返るが、誰もいない。

「こっちこっち」

いつの間にそこに居たのか、ベンチの横に男の人が立っていた。光源の乏しい夜の街頭ではその顔はよく見えないが、声だけには聞き覚えがある。

「いざやさん……?」

学ランを着た、僕の知る臨也さんより少し若い相貌。

五年前の臨也さんが、そこに居た。

「あれ?俺の名前知ってるんだ。俺も有名になったもんだね」
「えっ、あ、その……」
「ねえ、それより君来神の生徒?」

座る僕の顔を覗き込むように屈む彼は、確かに幼い様が伺えるのに瞳はまるでナイフのようで、知らずに背筋が震えあがる。目つきも笑みも、臨也さんは昔から変わっていないらしい。

「来神というか、一応そうですけど」

後に名前は変わるが、あの学園に通っているのは事実だ。臨也さんはふーんと相槌を打つと、どっかりと僕の横に腰掛ける。

「けどさあ、俺君の顔学校で見た事無いんだよね。君三年?」
「あっ、いや一年です……」
「にしても、マジで見覚えないんだよなあ」

ヤバイ。
なんかよく分からないけど疑われている。

(ってかこの人、あの学園出身だったの!?)

「そうだ、名前は?」
「りゅ、竜ヶ峰……帝人です」
「エアコンみたいな名前だね」

臨也さん、言ってる事が全く変わっていない。ここは笑う所なのか突っ込むところなのか、ちょっと迷ったが怖かったので笑みは引っ込めた。

「……まあ、学生っていうのは本当みたいだね」

え?と臨也さんの方を見る。なんとなく視線を合わせられなかったので正面を向いていたのだが、横を見遣ると臨也さんは何か小さな手帳のような物を読んでいた。

「……って、それ僕の生徒手帳!」
「ああ、ごめん。鞄開いてたからつい」

ついじゃないですよ!そう叫んでその手から生徒手帳を奪えたらどれだけよかったか。
僕にそうできるだけの勇気と度胸があれば、すぐにでもそうしていただろう。だがあの折原臨也に対してそんな事が出来る人間は限られていると思う。多分。

「まあそんな事よりもここからが本題。――君って何者?」
「え?」
「この生徒手帳、"来神"じゃなくて"来良"学園ってなってるけど?」

(あ――――)

血の気が引いて行くのが自分でも分かる。
しまった、迂闊だった。来良学園の生徒手帳なんて、今この時代で不用意に見せてはいけない物の筆頭じゃないか!
特にこの、現役学生の臨也さんには。

「作り物にも見えないし、仮に作り物だったとしても作った意味があるように思えないからね。それにこの日付」

臨也さんが目の前に突きつけてきたのは、僕の入学年月日。

「今年から数えて五年後に、君は入学した事になっている」

(やってしまった……)

僕がこの時思ったのは、それだけだった。
とにかく、これ以上は不味い。これ以上この時代の人と関わってはいけない。理屈よりも本能がそう結論を出した。鞄を引っ掴んでベンチから立ち上がろうと、する。

「逃がさないよ」

にたりと暗がりの中で臨也さんが笑う。左手首を恐ろしい力で掴まれ浮かしかけた腰を再び落とす羽目になった。背中を背もたれに押し付けられ、僕の正面に回り込んだ臨也さんは覆い被さるようにして、僕の体をベンチに縫い止める。

「帝人君だっけ?君、面白い事情がありそうだね」
「い、いえっ!人に話すほどのものでは……」

ひやりと頬に宛がわれた冷気。まさか、と思って目線を下げるとそのまさかだった。
怖い、恐い!

「本当ならこんな嘘臭さ満載な話なんて信じないんだけどさ」

物的証拠もあるから無碍にはできないし。

ちらりと臨也さんが目線を投げたのは、僕が"ここ"に来る前に買った台所用洗剤の袋だった。多分、臨也さんはあれを見たのだ。袋の中にはレシートもそのまま入れてあるし、製造日もボトルには記されていたはずである。

状況を確認する。正面には臨也さん。左手は彼の右手の中。そして彼の左手には、ナイフ。

命の危機と自分の不思議体験の暴露。天秤にかけるまでもなく、僕は後者を選んだ。




くるくるとナイフを回して弄ぶ臨也さんは、拘束そのものは解いてくれたが僕の隣に座ったまま動く気配はない。
僕は自分の身に起こった事を包み隠さず綺麗さっぱり話した。話す事を条件に開放してもらった、というか脅されのだが。

(まさか信じないだろうしなぁ……)

一通り話し終えた後、臨也さんは何かを考えているようだった。もしくだらない話だと判断されて殺されたらどうしよう。そうなったら、話せと言ったのはそっちなのになんと理不尽な!と喚く事も出来ないまま、僕は死んで行くのだろうと想像して、ぞっとした。

「未来から、ねえ」
「……信じられませんよね、こんな事」
「うん」

(ああ、やっぱり……)

「……けど、認めざるを得ないかな」
「へ?」
「物的証拠があるからね、否定したってしょうがないでしょ」

それに、君自身には興味がある。

はっとした。頬に触れているのはナイフじゃない。指、だ。

「いざやさ――――」

目の前に迫った彼の顔は、近くで見れば見るほどかっこよかった。顔だけはいいんだなとどこか冷静な理性とは裏腹に、心は何故だかドキドキしていた。
唇から伝わった熱に、体が熱くなる。

「っ、な、に……!?」

すぐに離れたそれを認識して一気に顔が熱くなった。

この人、今、キス、した――?

「……動かないで」

耳元で囁かれてぞわりと鳥肌が立つ。再び奪われた唇。気付けば先程のように、臨也さんは僕に覆い被さるようにしてベンチの背もたれに手をついていた。

「っ、ん……」

さっきのキスより断然深いそれ。断りも無く舌が口の中を這いまわって、唾液が絡まる。いいようにされているというのに、どうしてか体がわけのわからない刺激に跳ね上がった。

何で、どうして、臨也さんはこんな事をしているのだろう。
少なくとも、現在の臨也さんと僕はこんな行為をした事は一度だってない。しようと思った事すらない。そもそも会う機会自体少なかった。何故だか向こうから話しかけられる事は多いが、僕と臨也さんの関係はまさに"知人"程度のものだった。
なのにどうして、僕は今、五年も前の臨也さんに――――

「……っは、」

ずるりと体が崩れる。臨也さんは抱き締めるようにして、僕の体を支えてくれた。改めて彼の姿を視界に入れる。学ラン姿の、臨也さん。何だか変だった。
臨也さんだって人間だ、普通に学校に通っていただろうし子供の頃だってあったはずだ。
なのにどうしてか、自分と同じ学生である彼に強い違和感を覚える。

(僕の知る臨也さんは、良い意味でも悪い意味でも、大人だった)

この人は、違うのだろうか。臨也さんじゃ、ないのだろうか。

「――――それじゃあね、帝人君」

未来の俺によろしく。

臨也さんの体が離れていく。気恥ずかしくて俯いたままでいると、気配が遠ざかって行った。大分時間が経ってから顔を上げる。

公園には、誰もいない。

「…………」

携帯が着信を知らせるメロディを流し始めた。深夜の公園にも関わらず、街は賑わっていて着信さえも聞き落としそうになる。

新着メール一件。
相手は、折原臨也。










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